>>23
@それに従わないことが悪いと言える客観的根拠は?
答え:高校は義務教育ではなく、「そちらの学校の方針に従うから入れてね」「いいよ」という契約によって入学するからだよ。
そしてすべての普通科高校は国が定めた高等学校の教育科目に沿って授業をする。
3科目以外を捨てて勉強を放棄することは、7科目を習得させよと国から命じられている学校教育の方針に反するものだから、学校との約束を破ることになるんだよ。
中退は「高校をやめるから高校との約束を解消させてね」というものだよ。
約束を解消して外に出ていく人が7科目を勉強する必要はないよ。


Aそれとも不当と正当以外の第3の概念があるのかい?
答え:君は話の流れを理解できてないように思えるよ。
Q.7科目を勉強しないことを批判できるのか?→A.普通科高校の人間は「全科目を勉強すること」が本分であるから、特別な事情がない限り、勉強を放棄することに正当性はないから批判可能
Q.では大学に進学しないことは不当か?→A.普通科高校の人間の本分は「進学すること」ではないから不当ではない
こういう流れなんだよ。「大学に進学するかどうか」は高校教育を終えた後の話だから、普通科高校の人間の本分にかなっているかどうかの判断枠組みの外にあるのはわかるかな?
ある判断枠組みの外にあるということは、その判断枠組みの中で二者択一的に評価することはできない。
「赤いか、白いか」という判断枠組みで、黄色いものを「赤くはない」「白くはない」と判断するしかないのと同じだよ。


B別に制度的にダメになっているわけではないのに、必須科目をないがしろにして捨てるのはなぜダメなんでしょう?
答え:@を読んでね。


C仮に防寒から逃げることと上記のことが「違う」としても、その違いがあるとなぜ結論が変わって良いのか?で、その基準は今回の場合は何なんでしょう?
答え:何度も言ったけど、暴漢は不正に危害を加えるものである一方で、高校は入学者が高校教育を受けることに同意したうえで入るんだよ。
「襲っていいよ!」と表明してもないのに襲ってくる人間から逃げることとは全く違う。
高校は全科目を習得することを目的にしていることを知りながら、「高校教育をうけます!」と入学して、結局それを放棄するのは同意の意思表明に反するよね。
暴漢から逃げるのは悪行の回避に過ぎないのに対して、勉強を蔑ろにすることは悪行でもなんでもないことに同意しておきながら一方的に放棄する行為だから批判されるんだよ。