【明治初期の渋谷には茶畑が広がっていた】

角川日本地名大辞典 13 東京都
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN00734098

幕末期の本区域は、東部にある幕臣・大名の武家屋敷地帯と、
江戸市中に接する西部の近郊農村から成り立っていたが、
維新で武家屋敷が新政府に没収され、ほとんどが荒廃地となった。
東京府は一時その跡地に茶・桑畑化を奨励したが、東京遷都以来、
住宅地の急速な膨張と「士族商法」の失敗により多くは不成功に終わった。
中には上渋谷村、宮益町、代々木村などで狭山茶・宇治茶の移植が行われ、
「渋谷茶」の名を得るものもあったが、これも明治22年の東海道線開通により、
宇治茶の大量輸送が始まると急速に衰退した。現在の鍋島松涛公園は、
肥前鍋島家の茶園「松涛園」の跡である。(859ページ)


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>青学は明治時代の中期に元大名屋敷跡地を手に入れたから敷地は大きかった

その大名屋敷跡は農場になっていた。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN03264988

松平家の最後の藩主松平頼英は明治に入って廃藩後政府に上地し、
明治政府はこの土地を開拓使農事試験場第二官園とした土地である。(118ページ)