東京大学理科3類に入った方の体験記
http://blog.livedoor.jp/danceinblack/archives/140859.html

現役時(センター試験 570点)
「 放課後は8時ごろまでゲーセンにいりびたって対戦ゲームに明け暮れていました。先生からは「お前は大学に入ってもろくなことがない。そもそも入れない」と激励(?)されるほど。」

一浪(センター試験640点)
「浪人になって仙台の河合塾文理という河合塾の提携予備校に通います。ところが当時流行っていた『バーチャファイター2』に入れ込んで、相変わらずゲーセンに通いつめていました。」

二浪(センター試験5教科6科目800点。)
「『バーチャ2』にはまり続けながらの浪人生活。このころはゲーセンにいたのは5時までになりましたが。」

三浪(センターは736点)
「夏の東北大オープンで医学部の全国5番がとれました。このころは新しく出た『バーチャ3』があまり面白くなかったので、゛バーチャ熱゛は下火になり、『バトルガレッガー』というシューティングゲームに熱中。」

四浪
「9月から河合駒場校に編入して、東京に移り住みました。
この河合駒場校にいたときは、授業の出席率は95パーセントと、僕にしてはまともに出席していました。」
「早稲田の理工学部に合格し、進学を決意します。
躊躇しながらの早稲田理工入学でした。4歳年下の周りとの違いも感じました。それ以上に、もはや後戻りできない自分、もう京大か東大の医学部にでも進まなければケリをつけられない自分を認識することになります。
すぐに学校には行かなくなり、今度は駿台の市谷校に通い始めました。」

五浪
「京大オープンでA判定を出しましたが、やっぱり不合格。」

六浪
「夏の京大オープンで医学部志望全国19番の成績を取りました。
さすがに自分は何で予備校にいるんだろう。とっくに受かってるはずだろう。と切実に感じました。そこで気分転換を図り、志望を東大に変更します。結果はやはり数学で失敗して不合格。」

7浪
「7浪目の今年は、本当に勉強しませんでした。勉強はやっても1日30分。それもやらない日のほうが多いほど。家でテレビばかり見る、ひきこもりを明るくやっているような生活です。週に4日は「笑っていいとも」を見て、曜日の感覚を保ちました。」
「6年以上も続けた浪人生活で、試験に関することは頭にしみついたのでしょうか。もうA判定も、模試の順位も信用できるものではないことはわかっています。」
「今年の東大の数学はあまりにも簡単で、まただまされているんじゃないか、疑いながら解き続けました。それでも、もう自分の解答に責任を持つのはやめよう。変に緊張する必要はない。解答を書けばなるようになるだろう、とそれしか考えていませんでした。
合格発表。今回も不合格を予想して見に行きました。自分の番号がないのに慣れてしまっていたので、逆におどろきも感動もなく、「あー、あるんだー」という感じ。
大学受験なんて、大した意味を持つものじゃありません。実力もあるけど、結局は運だと思っています。そんな無意味なことをずっと続けて極めた7年間。」


今や東京都内の中核病院の放射線科の医長にまでなった。
http://www.tobu-hp.or.jp/section/radiation-oncology/index.html

7浪しても問題なし