平成31年度版・東京大学の世界史模擬試験(大論述)が完成した、挑戦者求む:Ver9【東トルキスタンの大論述】
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解けると思う人がいれば、ぜひ挑戦してほしい。
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世界史
第一問
東トルキスタンの歴史に関する問題です。
東トルキスタンはタリム盆地を中心とした、北は天山山脈、西はパミール高原、南は崑崙山脈に囲まれた地域を指し、
さらにオアシスの道の中継地点に当たるために東西の内陸貿易の要地となり、この地を巡り古代から多くの民族や国々が興亡してきました。
この地の紀元前2世紀から現代に至るまでの歴史や政治的状況を、民族や宗教の移り変わりに留意しつつ、600字以内で述べなさい。
なお、その際に、以下に示す8個の語句を必ず1回は用いなさい。
ウイグル,カラ=ハン朝,亀茲,ジュンガル,
清,前漢,中華人民共和国,唐
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結局、浪人しても苦手意識の為か進んでリスニングを自分から勉強することは
無かった。重い腰を上げるようなと言う感じで。
社会は好きだったから自分から進んで勉強してたが。
予備校でも一応、東大クラスではあったが、長文読解や英作文に比べて
軽視されてたような気がする。今は知らないけど。 >>47
受験は攻撃防御で、苦手科目でいかにダメージを軽減するかというのも重要だしな。
全体のバランスで。
究極的には全てを放り投げて私文専願になるんだろうが。 >>49
数学は英語や社会といった暗記科目をある程度極めてから本格的にとりかかっても問題ないと思っている、
いざとなれば切り捨てればいいからだ。
数学でレベルが低いと、もうまったく歯が立たないから捨てるしかない。 さすがに英語と社会をカバーできなければ、いい大学には死んでもうからない。
数学はともかくね。 >>50
東大ばかり考えていて、後から知ったが一橋の社会学部は
数学の配点が非常に低いらしいな。
数学が苦手な人はそういう穴場を探せば良い。 >>46
ソグディアナは確かにトルキスタンだが、
トルキスタンを東西でわけた場合に、西トルキスタンにあたる地域だ。
もっとも、東トルキスタンのオアシス都市にもソグド人はすんでいたけれど。 >>52
その代わり一橋は世界史が鬼だけれどね。
東大よりも難しい。 西トルキスタンは、タリム盆地のもっと西側の、アラル海のあたり。
この問題は、中央アジアとか、トルキスタンとか、ソグディアナとか、
そのあたりの分別が足りない人間には難しい問題だ。 >>53
そうなのか。受験勉強をしてないので、記憶に残ってる断片的な知識から
推測するしかないので、どうしても不正確になってしまうな。
ただ、この地域に住んでる、住んでた人は、
原始宗教?土着宗教?仏教?のモンゴル系?の西域のソグド人から
新疆のイスラム教のトルコ系ウイグル人だろう。
西域は新疆に包摂される関係か。
西域はシルクロードの線のイメージに対し、新疆はタクラマカン砂漠を中心とした
広範な面のイメージ >>56
東トルキスタンの原住民は印欧語族系のアーリア人だよ。
そこからイラン系のソグド人がやってきた。
宗教は、彼らがいつから信仰していたかはしらないが、一応ゾロアスター教だよ。 >>57
なるほど。難しいな。
言われてみれば安禄山などのソグド人は何となくイランっぽい感じがするな。
漠然とした感覚だが これらを短時間に600字にまとめるのは大変だ。
試験の現場で、やれというのなら無理やりにでも、
やるだろうけど。 >>59
解答の糸口がつかめれば必ずしもそうでもないが、
解答の糸口が見つけられなければ、大変だろうね。 >>60
まあ、時には全く思い浮かばずフリーズする問題もあるしな。 >>61
まったくの初見の問題でないかぎり、解答のカギは見つかる場合が多い。
だから受験勉強は過去問を、数をこなす必要があるのだ。 カラハン朝の時代に中央アジアで初めてイスラム化したのが肝だよね
あとは19世紀からロシアが進出したとか
乾隆帝がジュンガルを征服して、最後の騎馬民族国家が滅んだとか 世界史好きなら、中国のビリビリ動画の国史館?という
中国の領土拡張と衰退の歴史の動画は感心すると思う。非常に詳細で。
中国人の歴史に対する感想も興味深い。
少し、共産党史観の影響はあり、客観性に欠ける部分はあるかもしれないが。 >>64
中国人の歴史に対する感想って具体的にどういうの? >>63
>カラハン朝の時代に中央アジアで初めてイスラム化したのが肝だよね
せやねん >>66
何も見ないでわかったぞ。
ちなみに大学で東洋史やってました。 >>65
まあ、簡体字の流れるコメント見てると
明治からは反日的な感じは受けるな。
あと、日本の戦国時代は、村長の戦争みたいな悪口か。
あと1949年の中華民国成立の時は、天朝万歳みたいなコメントと
台湾は中華人民共和国となっている。
しかし、全体としてみると、それほど、韓国みたいに反日という感じは
受けなかったけど。全体で1時間と少しくらいあったような。 >>68
中華人民共和国だ、間違えた。
史国館ではなく史図館だったかもしれん。 >>68
大学で中国語とってたの?
オレはドイツ語だったがほぼ忘れた。 オレも昔独学で中国語をやっていたけれど、今はほぼ忘れた。 >>71
俺もヒトラーやナチスやビスマルクに関心があったから
ドイツ語だった。
中国語はやってないが、簡体字は漢文みたいな感覚で
何となく分かる感じ。漢字の力は偉大と感じる。
韓国や北朝鮮は属国扱いされるのが嫌でナショナリズムで
放棄してしまったが。 >>73
よくドイツ語は医者がやるべきだとかいわれるが、
なんとなくそういったインテリっぽさでドイツ語を選んでしまった。
特に後悔はしていない。
中国語は発音が難しいし、単位取得に響くかもしれない。独学でやるべきだ。 医者といっても、オレは理系じゃないから、本来無関係だけれども。 >>74
発音はまったく分からんな。ただ、簡体字をぼんやり眺めてると
何となく意味は分かる。 モンゴル語とかチベット語とか中国周辺のマイナーな言語をやってた人はいないの? >>76
簡体字はともかく、繁体字なら、もっとよく意味がとれるぞ、
台湾のヤフーとかみればよくわかるが。
中国本土は、簡体字になってしまったことが日本人からすればはっきりいって残念だ。
向こうからすれば、識字率の低い国民に字を読ませるために改革したらしいが。
その試みは、オレはどちらかといえば成功だったと思う。 >>76
簡体字はともかく、繁体字なら、もっとよく意味がとれるぞ、
台湾のヤフーとかみればよくわかるが。
中国本土は、簡体字になってしまったことが日本人からすればはっきりいって残念だ。
向こうからすれば、識字率の低い国民に字を読ませるために改革したらしいが。
その試みは、オレはどちらかといえば成功だったと思う。 問題点は、過去の漢文とつながりのない字を使っているために、
今の中国人が漢文をそのままでは読めなくなったことだ。 >>79
あと日本みたいに、ひらがなが無いから簡略化せざるを得ないな。
の、をいちいち的って書いてるし
識字率は相当、高くなってそうだな。でないと、中国で日本のアニメは
普及したかったろうし。 >>77
西夏?などモンゴルに真っ先に征服された弱い?国の文字など
中央アジアには、今ではもう失われて意味が分からなくなった文字が
あるそうだが。 もうみんな、解答はかけたか?
もうスレが立ってから、2日がたっているぞ? >>81
日本語の「の」と中国語の「的」は使い方も意味も良く似ているが、
それでも細かい違いがあるらしい。 スターリンの葬送協奏曲という映画を見たが、
韓国のDVDレンタルドラマでYOUTUBEに上がってて、近現代の韓国史を興味深く
学ぶために不可欠な第5共和国と類似点を発見した。
もっとも映画自体は、あまり面白くなく、つまらなかったが。
人物の果たした役割は違うが韓国の12.12シビシビクーデータ事件との類似
スターリン首相:朴正煕大統領:毛沢東首席
ベリヤNKVD長官:金載圭KCIA部長
マレンコフ首相:崔圭夏首相:華国鋒首席
フルシチョフ・モスクワ党第一書記:全斗煥保安司令官:ケ小平
また本問に戻ると、
独自の文化であるウイグル文字と、一時の独立の夢だった東トルキスタン共和国の言及は題意を捉まえた加点事項、事由として
記述することは必須なのだろう。
そして、この地域における最初のイスラム王朝であるカラハン朝と
最後のイスラム王朝で清の康熙により制服が着手され、乾隆により滅亡させられたモンゴル系?かトルコ系?の
オイラト部族のジュンガルと、始まりと終わりを書くこと。 世界史大王様
世界史の参考書ゼロだが何が良いと言うスレが立ってますが、
出張してもらえないでしょうか? >>85
東トルキスタン共和国は用語集にのっていない、かなり細かい情報だが、
書けるにこしたことはない。 >>89
ほかの古文とかを勉強しているとか?
あるいは理系とか? ウイグルの北方のモンゴル高原のキルギスに押し出されて南下して
東トルキスタンに9から10世紀ごろにやってきたのを一つの画期とするならば
ヤクブぺクの反乱も一つの画期では無いか?
これによって中国は新疆(新しい土地、くれよんシンチャン)に内地並みの政治体制を敷き
ロシアの勢力伸長を食い止めようとして、トルキスタンは分断され
西トルキスタンはロシア領、東トルキスタンは中国領と完全に分かれ
その後の漢人同化、漢人流入ともつながる。
この反乱を画期とするならば、大まかに3期に分かれるのか
また、ゲルマン民族の大移動ならぬ、ケマル・アタチュルクのチュルク(トルコ)の大移動でモンゴル高原から
ペルシャ(イラン)を抜けてって小アジアに西遷、西進してったか。 カラ・ハンのカラは大きい、偉大という意味で、カラ・キタイのカラは
モンゴル語で黒いらしい。
クチャは前漢の時代に??都護府、唐の時代に安西?都護府が置かれ
中国の帝国の西域経営の拠点となった。
前2世紀の前漢の時代の時代は、班超という班固の兄が武帝のもと、活躍した。 表音文字のウイグル文字に刺激されて、従来、漢字の表意文字しか知らなかった
中華帝国周辺、周縁の遊牧騎馬民族は民族主義が刺激されて、それぞれ固有の文字を
発展させる契機となったらしい。
クチャは中国の西域経営の中心地だが、同じオアシス交易都市の敦煌は有名だが
中国から西域への入り口又は出口という役割があったらしい。 この地域に関係する王朝や国としては、
前漢、後漢、突厥、唐、ウイグル、カラ・ハン朝、西夏、満州方面から金に追われて
西夏を通過した西遼(カラ・キタイ)、モンゴル、オゴタイ汗国、キプチャク汗国、オイラト族の
最後の遊牧国家ジュンガル、それを1758年に滅ぼした清の乾隆帝、中華民国、東トルキスタン共和国、
中華人民共和国
ロシア人によって発見され解読された西夏文字は漢字の影響を色濃く受けてるらしい。
この遺跡もカラ、黒い城と言われてたらしい。カラがとにかく多く出てくる。
意味は大部分が黒いだが、時々、カラ・ハンのように大きいという意味もある。 また、この地域のチュルク化(トルコ化)とイスラム化は時差があるらしい。
民族としては既に5.6世紀?に突厥がこの地を治めていたが、トルコ系だったらしい。
その後、同じくトルコ系のウイグルがこの地を支配するが、この地の最初のイスラム帝国は
9世紀?のカラ・ハン朝だったらしい。
トルコ系だからといって必ずイスラム教というわけでなかった時期が2,300年くらい
あったらしい。 >>92
敦煌よりも亀茲ならやや渋いチョイスになり、東大っぽくなるかなと思い、
指定語句に前者ではなく後者を加えた。 西トルキスタンバージョン
平成31年度版東京大学の世界史模擬試験(大論述)が完成した、挑戦者求む:Ver10【西トルキスタンの大論述】
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