早慶上理MARCHなど現実世界では称賛される有名私大が、ネットではこれほど評価が低いのは何故なのか、不思議に感じている諸氏も少なくないだろう。
以下、その理由を考察したので参考にして欲しい。

まず前提として、地方では早慶よりもその土地の旧帝大、MARCH関関同立よりもその土地の駅弁や公立の方が進学志望度、優先度が高い。
伝統的にそのような文化であることと費用が主な理由である。

そんな中で敢えて早慶マーチ(以下有名私立と表記する)を志望する「私立専願」は落ちこぼれに限られる。
数学が壊滅的とか、授業をサボっていてセンター試験にとても間に合いそうもないとかの理由で国立大学を狙えない生徒である。
その種の生徒はもともと劣等生であるから、狙い通りに有名私立に合格するのは稀で、多くは偏差値50以下の地元の私立大学に収まることになる。ただし僅かながら有名私立の合格者も発生する。

地方民にとっての有名私立との二つ目の接点が指定校推薦である。
国公立進学者に比べ推薦進学者の成績はハッキリ言って低い。
国公立への志望度が高いので、それなりに国公立大合格の可能性のある生徒は推薦を取得しない。
また、推薦をとりたくても経済的に不可能な家庭も少なくない。これも推薦取得者の成績が低くなる一因になっている。

彼らの有名私立に対する評価はこの2種類の私立進学者が基準となっている。

三つ目の接点が国公立の滑り止めとしての私立大学である。
国公立に落ちて有名私大に進学した場合には、上記の基準となる生徒と同じところまで落ちぶれたという見方となり憐みと軽蔑の対象となる。

これら三つの私立進学者に共通するのは、国公立大学に行きたくても行けなかったという点である。
このため地方の高校における有名私立の地位は実態以上に低く、地元国公立の下位に位置している。
また、彼らの有名私大に対する情報が限定的で偏ったものであり、難易度や学生の質等、実態をよく知らないことも重要な点であり留意しておくべきである。
(地元駅弁>早慶と考えてる者もしばしば。)

一方、首都圏においては(特に文系にとってだが)早慶やマーチは各自のレベルに応じて積極的に目指す大学である。
地方のように何はともあれ国公立、国公立が第一条件ということはなく、(生徒の大半が東一工医を志望するような一定以上の進学校を除いて)私立専願がおちこぼれという認識は特にない。
東大一橋に手の届かない大半の生徒が目指すべきは早慶であって千葉でも横国でも埼玉でもない。ましてや地方の旧帝大でもない。
それ故、早慶はその勝利者として尊敬と羨望の対象であるし、マーチはまずまず良い大学という認識が一般的である。地方のような敗者というイメージは一般的ではない。

もちろん中下位の国公立を志望する層も存在するが(公立高校に多い)、私立ラインと併存するような形の位置取りとなっており地方のような上下構造という認識ではない。

大学受験サロンにおける国公立崇拝-私立蔑視はこのような地域的な認識の差異が根本的な原因である。
早慶-旧帝、マーチ-駅弁の対立が起こるのも同じである。

更にこの上に、知名度やネームバリューに対する羨み、就職の良さや東京で遊べることへの妬みやっかみ、金持ちに対する僻み、リア充にたいする逆恨み、等々が加わり様相は混迷を極める。

彼らの認識からすると有名私大に対する世間一般の評価(マスコミ発の評価、大企業からの評価)は過大としか思えない。これらの感情が相当なものであることは想像に難くない。
コンプレックスや不満など負の感情が大きな者ほど発言の声も大きい。
こうして匿名掲示板における有名私立叩きの空気が醸成されるのである。


<今日のまとめ>
ネットでの有名私立叩きは、田舎者の無知と僻み
ネットでの有名私立叩きは、田舎者の無知と僻み