あなたは自分が頭がいいと思いますか?
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質問1
あなたは自分が頭がいいと思いますか?
YES or NO 1です
この質問にYESと即答出来る人はなかなかいないよね
YESだと思っていたとしても、そう主張するのには勇気がいる YESと答えられないのはなぜ?
叩かれるから?学生証うpしろとか言われるから?
そうじゃない
自分が頭がいいと思うことに戸惑うのは、自分が頭がいいかどうかを、自分で疑えるから のー
頭良くというよりは賢くなりたい。
まだまだ力不足 >>8
我神である。故に神在り。
ある意味神の存在証明だね 自分が頭がいいか
それを決めるのは他人?それとも自分? 頭がいいって相対評価でしか測れないから不安定な定義だよね
自分を誰と比べるか、それに尽きる そもそも「頭のよさ」ってなんだろう
学力?知能?知性?賢さ? 質問をした者として定義しておこうか
わたしは「頭の良さ」とは、判断力だと思っている
判断力とは、物事の真か偽かをする能力
例えば、「明日雨が降るかどうか」
これを判断するには、まず情報収集が必要になる
あらゆる天気予報を見たり、天気予報士の的中率を参考にしたりすれば、明日の天気に関する大体の予想がつく
外れるかもしれないけどね
その時は、「自分の判断力が足りてなかった」ということになる YESが来たね
自信があって気持ちがいい
そう思うことは決して悪いことではないと思うよ 短期的に答えを出すいわゆる頭の回転の瞬発力とも呼べるIQはやや良いくらいの自負しかないが長期的に構想を練ってある日突然マスターキーを見つけるように閃いて、全ての鍵を開かせるのなら割と得意だと思ってる。そんな自分はadhdグレーゾーンだが。 見世物パフォーマンスとしてはIQテストとか記憶力問題の方が目立つし実際にも役に立つと思うから羨ましいとは思う。 自信のある人もちらほらいるみたいだね
でも実はわたしが気になるのは NOと答えた人だ
さっきの質問に NOと答えた人に質問2
あなたは自分が頑張ればどんな大学にでも合格できると思いますか?
YES or NO >>23
NO。それどころかセンター七科目で永遠に8割超えられないと思う。
でも、早慶ならどっかしら受かりそうな気がする。 答えは書いても書かなくてもいい
普段自分が正直どう思っているかをYESか NOで思い浮かべてほしい …二つとも NOと答えた人は自分が矛盾していることを自覚できていますか? あなたは自分が頭がいいとは思っていないと言いながら、日本のトップの大学の入試がどれくらい難しいかを勝手に評価し、勝手に断言し、勝手に自己完結している 頭の悪さを自覚して努力するのが大事とかいうお決まりのやつかな いわゆる進学校で、優れた教師と出会えたら、もう例えようもない幸せ者だ。
と、或る都内の進学校で、ひとりの快活聡明な青年教師が、一年生を前に突然こんなことをおっしゃった。
「君たち、もしも東大に入りたいのなら、読書したまえ。
但し易しい本じゃダメだ、それじゃマーチどまりだ。
いいか、懸命に頭を振り絞って、ああこれは難しい、でも負けてなるかと、
そういう本を3年生の冬までに"30冊"読むんだ。
分野はなんでもいい、英語の本でももちろんよろしい。
とにかく、何度も挫折しそうになりそうな本を30冊読みたまえ」
すると、ある反抗期盛りの生徒がスッと挙手して、
「それでは名古屋大や大阪大に入るにはどうしたら…」
この教師もさるもの、ニヤリと笑うと、その生徒にすかさず言葉を返す「20冊だね」
更に別の生徒が挙手して、「では慶應の環境情報は?」と尋ねると、「15冊だな」
またまた別の生徒が「じゃあ上智の理工は?」ときけば、
この教師はフンと鼻を鳴らして「5冊で結構!でも、寂しいね君は」
これにはクラスがドッと沸きかえった。
その歓声に煽られ、最後列で半口開けて笑っていた生徒がおずおずと挙手したので、
この教師がすかさず「なんだ!」と荒々しく言葉を返し、
更に「おまえは寝ててよし、うちの高校に居るのが間違いだ!自覚しろ!」
しばし失笑がクラス中を覆う中、この生徒が、「め、明治に受かるには本を何冊読めばよいですか?」
「150冊だ、少年ジャンプ!」
「チッス!」とこの生徒が懸命にお辞儀を返したが、
委細構わずこの教師が授業を開始すれば、皆がしんと緊張感の佇まいを取り戻したのはさすがであった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています