責任者は当然電験2種、特級ボイラー程度は所持していて知識経験も豊富で人格の優れた人物がなるというのは暗黙の了解というのが業界の常であった。
だが今回はそれをすべて覆す人物が所長になったのが衝撃であった。この人物の特徴は「オーナーをうまくやればいいんだよ、資格は関係ないタイプ」であった。
実際頭の悪いオーナー側に人間には通用してはいたが一流大学を出た人間には???であったように思えた。
永くこの業界に勤めると電験の壁というものにぶち当たる。これは責任者になる為の登竜門というか必須なものである。
電験の壁を越えられなかった者のほとんどがこのようなことを言う「資格(電験)なんていらないよ、仕事が出来ればよいのだよ」所長はマネジメントが仕事だから電験なんていらないよ、という自分に都合のいい言い訳を見つける。
自分の能力を誇示しつつ、結果が伴わない責任を環境に押しつけて満足しているのだ。この手の人間はビルメンには多い。つまり自分の能力を受け入れられない人なのだ。
自分の「本当の能力を受け入れたがい人物」がどうすればそれ受け入れられるか?それはこの場合で言えば電験などの難易度の高い資格に合格すればいいことなのである。
しかし、所長だから一回で合格しないと無能というレッテルが貼られるのを恐れてリスクを取って損失を被ることは避けたい。その為の理由は「資格なんて関係ない」である。
所長になる人物は本来なら資格相応の技術知識もマネジメント力も人間性も必要なのはわかっている。
今の自分の能力では到底及ばないのは分かっている。だから他人や環境に責任転嫁しているのだ。
「〇〇さんは資格持っているけど仕事出来ないよ」→「資格は関係ない(いらない)」、「所長は現場がうまく回ればよいのだよ」→「所長は資格がなくてもいい」
これで何一つ解決できる訳がないことも理解しているがとりあえず、自分の責任と向き合うことだけは避けられる。他人のせいにした方が楽だから。
自分に免罪符を与えることを目的に、他人や環境のせいにして文句を言い続けるのだ。ここで人間性が問われる。
自分と向き合うのは簡単なことではない。でも向き合わないことは他人や環境のせいにして壁を乗り越えず、逃げて来た自分の人生を認めたようなものである。
これを読んで思うところがある人物は結構いるのではないだろうか?