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●『伊藤忠』の歴史について

<出典> https://ja.wikipedia.org/wiki/瀬島龍三

「『瀬島龍三』氏(1911年−2007年)は、日本の(元)陸軍軍人、実業家。
 太平洋戦争のほとんどの期間を『参謀本部』部員(作戦課、『大本営参謀』)として務めた。
 戦後は『伊藤忠商事』会長、『中曽根元首相の顧問』など多くの要職に就任し、政治経済界に大きな影響力を持ち、「昭和の参謀」と呼ばれた。
 「財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会」名誉会長、「日本会議」顧問、等を歴任した。」

(1)「生涯」
*「太平洋戦争時」
「1939年11月、参謀本部幕僚附(作戦課)に補され、開戦前は対ソ作戦を担当。
 太平洋戦争の開戦後は『太平洋方面における作戦』を担当。1945年7月に『関東軍参謀』に転じるまで同職にあって、『多くの作戦命令を起案した』。」
「終戦後、ソ連のシベリアへ11年間抑留される。」

*「伊藤忠商事時代」
「1956年、シベリア抑留から帰還し、1958年に伊藤忠商事に入社。
 1960年、『航空機部長』になる。1961年には『業務本部長』に抜擢され、翌1962年に『取締役業務本部長』、半年後に『常務』となる。
 1968年以降、『専務』、『副社長』、『副会長』、『会長』、『相談役』、『特別顧問』を歴任。」

「1981年、『鈴木善幸首相』らの推薦・『中曽根康弘』氏から依頼を受け、『第二次臨時行政調査会』委員に就く。『中曽根政権』(1982年−1987年)のブレーンとして、政財界に影響力を持った。」


(2)「昭和天皇との関係 (戦後)」
「田中清玄氏は入江侍従長から直接聞いた話として、「昭和天皇」の発言を自著に記している。」

(昭和天皇)『先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵達を咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ 《 敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ 》。』