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『おばあさんの新聞』 岩國 哲人(78歳) 東京都渋谷区
 1942年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と2歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。
 小学5年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝40軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。
学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では
新聞を購読する余裕などありませんでしたから、
自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさん
が読み終わった新聞を読ませていただきました。
おじいさんが亡くなっても、その家への配達は
続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、
「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれ
よ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてく
れました。
 そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか? おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。
 もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。