◆◆宮崎と押井と大友と庵野と今と…106◆◆
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▼宮崎 駿(77)▼
★監督 三鷹の森ジブリ美術館用短編『毛虫のボロ』 上映中
★監督 劇場アニメーション映画『君たちはどう生きるか』制作中
▼押井 守(67)▼
★監督 劇場アニメーション映画『キマイラ』(原作:夢枕 獏)制作中
▼大友克洋(64)▼
「2,3本企画(劇場アニメ?)が有る」平成25年秋の褒章受賞にて
▼庵野秀明(58)▼
★総監督 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:|┃』鋭意制作中
▼今 敏(満46歳没)▼ 2010年8月24日(火)午前6時20分膵臓癌(膵癌)により永眠
★『夢みる機械』制作中止 公式:http://yume-robo.com/(現在リンク切れ)
公式ブログ:http://yumemirukikai.jugem.jp/
今 敏 オフィシャル・サイト KON'STONE:http://konstone.s-kon.net/
konsatoshi Twitter:http://twitter.com/konsatoshi
前スレ ◆◆宮崎と押井と大友と庵野と今と…105◆◆
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/iga/1508991111/ 押井さん、悪いのは全部アンタだ!
「攻殻機動隊」25周年リレーインタビュー 黄瀬和哉 前編 レイアウト・システムの功罪 (2)
https://anime.eiga.com/news/101482/2/ >>525
「○○知ってるか?」
「○○読んでるか?」
お前のレス全部これしか書いてないって気づいてるか?
「駿的なキャラの見方」ってなに?今までのレスのどこでそんな話してたんだ
湖川のアニメーション作画法も押井のメソッドもジブリレイアウト展図録も持ってるし読んでるしなんなら模写もしてるが
お前の言いたいことが抽象的すぎて何がなにやらなんだが
面倒だから無視するとか言わないで言いたいことがあるならハッキリ言え
お前、場外から石投げてマウンティングしたの丸見えで不快なんだよ 俺が言ってるのは中央に置けばいいとか三分割法をするなとかいうんじゃなくて
「アニメをどう捉えてるかという意識の問題」だ
例えば、山田は実写ごっこをやりたくて三分割法を多用するのに
実写ではご法度の真ん中に被写体のアップを置くことも躊躇しない
ここに演出的な統一性のなさ、演出家の甘えが見受けられるわけだ
徹底的に実写的文法にこだわるならわかるが
「ここは実写映画っぽく、ここはアニメだからアニメっぽく」といった無神経な倫理観しか感じない
一方で、駿や押井が三分割法を使う時は、ちゃんと演出家の中でのルールや決まりが感じられる
上の千尋のおにぎりのカットなど、キャラが横を向いたカットでは余白を作ることでキャラの感情を別方向に解放させようという演出意図が見受けられるし
http://livedoor.blogimg.jp/newsch777/imgs/7/2/72d030b2.jpg
例えばこのカットではハクが画面外の対象にアクションを起こすカットだから余白が設けられている
横顔を向いてる被写体を中央に置くと観客がひっそりとキャラを見つめる感じが強くなる。例えばこのカットだ
http://rapport-analysis.com/wp-content/uploads/2017/02/2001-%E5%8D%83%E3%81%A8%E5%8D%83%E5%B0%8B%E3%81%AE%E7%A5%9E%E9%9A%A0%E3%81%97%E4%BA%88%E5%91%8A%E7%B7%A8.jpg
押井が三分割法を使うのも基本的に「単位が二人」の会話シーンだ
余白を感情が移動する空間として活用してる
http://japan.kfc.co.jp/news/ino/img/photo_01.jpg
https://eiga.k-img.com/images/anime/news/101217/photo/ac7d91bcd660fced/320.jpg
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/h/hpf4353/20180709/20180709235642.png
https://pbs.twimg.com/media/DhpsnDzVAAA6plF.jpg
例えばこのカットは上のハクの「攻撃」と全く同じ余白の使い方だ
https://i.gzn.jp/img/2015/03/20/kokaku-new-movie/s014_m.png
このカットはほぼ中央のレイアウトだが、語りかけてる相手のバトーが既に現場を去った後の半分独り言なので
ほぼ真ん中、そして目線がフレームの外に向いてることで一応語りかける体を取ってることがわかる 要は演出意図によって的確にレイアウトを設計するという点で
よほど駿や押井のほうが理知的だし、実写映画にも通ずるという話だ
若い演出家の実写ごっこにはとにかく画面効果のソレっぽさや
切り返しの多用など、浅くてわかりやすい安直なものしか感じない
その作品のなかでどういう構図を使ってきたか、このパートをどう差別化するか?といった工夫がなく
終始同じトーンの「実写ごっこ」が繰り広げられるだけ
駿はいくつかの作品のコンテの注釈で「作中最大の顔のアップ」を明記してる
いかに劇場作品で顔のアップを使うことに気を配ってるかの証拠だ
実写ごっこの連中にこの意識はない。だって「俳優」だと思ってるんだから
いくらバストアップ、顔のアップ、真ん中に置こうが気にしない
あざとい実写的構図を入れてフィルターの一つや二つかましてればソレっぽくなってると思ってるんだよ これに関連して、最近流行の癇に障る演出として「浅い被写界深度」がある
新海や山田が特に多用するが、これは一体何を想定した表現なんだ??
アニメは勿論、三次元の空間をカメラで撮影したものではない
撮影台に触れてきた世代の連中は、アニメの画面は所詮セルが重なってるだけのものだという意識が強い
今のデジタルアニメはそのセルアニメっぽい表現をデジタルで再現してるだけ
(マルチプレーンのようにセルアニメでも空間的距離を発生させることも出来るがほぼ特殊技巧なので考慮しない)
駿や押井は、ペラッペラなアニメのキャラ、画面をいかに立体的に見せるかに注力してきた
80年代以降のアニメ、漫画の絵の変遷は間違いなく「リアル化」というのが大きな特徴の一つ
絵を立体的に見せるのには非常に高い画力、空間把握能力が要求された
ところが最近の作品は対して基礎画力が高いわけでもないくせに
実写素材のトレスに頼った情報量の画面を、ヘタクソなキャラを乗っけて撮影で焦点をボカしてはい奥行きでございって風を取る
これには本当に呆れるしかない。絵の立体感の表現、レンズの想定、実写撮影のあらゆる束縛にどれだけ精通していれば、こんな演出しようと思うのだろうか
ハリウッドではCGアニメのヒックとドラゴンに実写の撮影監督のロジャー・ディーキンスを起用したり
本格的な試みが見られるし、またCGアニメにもそれを実現出来る懐を持ってるが
日本のアニメ、アニメ映画で適当に被写界深度を弄ってるだけの作品には反吐しか出ない
こいつらはアニメーションという表現を突き詰めて考えてない。アナログの頃ならアニメ業界に入ってたかも怪しい連中だ 大体、美術史を概観すればこの思想がいかにおかしいかわかる
日本のアニメーションにレンズの概念を本格的に取り入れたのは押井だろうが
その押井でもわざとらしい浅い被写界深度は使わないし、基本的にはパンフォーカスの画面だ
現代のアニメーションの画面が「実写的な空間の取り方」を意識してることは否定しない
しかし、元々「パース」ってのは数学と美術の世界から発生してる技術だ
だから、単焦点の画面を作ったからといっても実は「実写的」というわけではない
デューラーの透視図法
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/03/gr/sa/5draught.jpg
このスレでも昔駿の作品が終始パンフォーカスなのはおかしい!と言ってる奴が居たが
そいつの見識のほうがよっぽど浅い
駿は「人が目でみたものを画面にしてる」と言っている
これは要は正統的に「絵」であることを意識してるんだ
この意識が今の若手にはないんだよ 千と千尋が300億である
ポノックは宮崎の500分の1の力しかないのである ポノックなんぞ宮崎の1000分の1の力でもよかった >実写ではご法度の真ん中に被写体のアップ
そんなことないでしょ、イマジナリーライン維持するのには
どっちかに寄せたほうがいいってだけで、スタジオ撮影なら撮る方向も
制限されちゃうから意図的に崩さないといけないし
アニメはそこらのコントロールは全部頭の中でやらんといけない
別に今の若手のレイアウトのがうまいとかは思わんが例が持論の都合に
合わせてだしてるだけにしか思えないよ、3分割法でソロシーンのみとかさw
http://iup.2ch-library.com/i/i1938535-1538030413.jpg
別にこれの演出意図とか説明しなくていいよ、それをしても若手のカットに
意図がないことの説明にはならないから
若手がセンターアップをすると駄目センターで宮崎がやるとアニメーション表現とか
文章で説明できてないんだから長文垂れ流されてもなぁと >>540
また相変わらず場外石投げ
つまるところ何が言いたいんだよオマエ
また「ご法度=絶対やっちゃいけない」みたいな極端な捉え方して反論したつもりになってるだけだし
「説明出来てない」とか言いつつ説明しなくていいよ、とかいう予防線貼るダサさ
ちなみにそれらのLOも思いっきり意図のある位置づけだよねw
一枚目:このシーケンスはしのぶの車内から段々車外の状況にシフトするシーケンスだから車外の空間に意識を割いてる
二枚目:後藤と橋。これは人物じゃないというだけで意味的には立派な二人称のカット
三枚目:これも一枚目と同じ。柘植との「密室的」逢瀬から邪魔が入るシーケンスだから背景を見せてる
四枚目:前方への移動、この後素子と二人称カットになるための余白
オマエが挙げてんの、特に二枚目と四枚目はソロシーンですらないw
具体的な言及出来ないなら黙ってろよ 大体、若手の三分割法に意図がないなんて言ってもない
若手はそれを「濫用しすぎてる」と言ってる
そのせいで劇空間が貧弱になってるとな。これは君の名はと聲の形の批評の時に岡田も言ってたぞ
説明出来てない?オマエが読み取れてないだけだろ 実はこういう意図だったって後出しジャンケンばっかだな >>541
>また「ご法度=絶対やっちゃいけない」みたいな極端な捉え方して反論したつもりになってるだけだし
いや日本語をきちんと解釈しただけだが極端もなにもない
絶対やっちゃいけないと解釈したとも言ってない、そんなことないでしょとしか言ってない
>「説明出来てない」とか言いつつ説明しなくていいよ、とかいう予防線貼るダサさ
だからその説明をしてもあなたの説を立証することにはならないから不要といってる
それができる説明を拒んでいるわけではない、だから説明できてないとなる
>オマエが読み取れてないだけだろ
いやベテランの演出をいくら説明しても説明にはならないよ濫用してるというなら
それを具体的に論証しなけれな説明にはならない、あなたの印象論でしかない
浅い被写界深度の話にしても何を嫌ってるのかわからない何がしたいってマルチプレーンって
解釈でいいんじゃないの実際そういう意識あるか知らんけど
あと情報量のコントロールの意味はあるでしょ、描き込み時点で
省略させるのとは表現としてちがうしね
あとベテランが使わないというがたしかイノセンスくらいの時代だとガウス暈かしとかの
まやかしじゃなく光学的にレンズに近いきちんとしたエフェクトのプラグインで
実用的なのがあんまなかったはずだよ当時はけっこう重い処理だし
ジブリはそこらの処理は初期の初期こそいろいろ試行錯誤してたが途中から
もう退化してんじゃないかという勢いでそこら手をつけなくなる ジブリは奥井さんが抜けてからどうでもよくなったっぽい >>546
だから、お前の主張はマウンティングしたいだけで意思も主張もないから意味ないの
「そんなことない」という指摘に何の意味があるのか?ならこっちは「そんなことないことはない」と言えるからな
実際実写映画では俳優を画面に向かい合わせてど真ん中に立たせるカットは特殊な意図がない限りあまり使わない
俺はあくまで俺の持論の根拠としてそうした風潮があることを挙げてる
別にそれが絶対などとは言ってない
お前がいくら「説明出来てない」と連呼してもそれこそ立証出来てないからな
具体的に「ここがおかしい」と根拠に基づいて反論しない限りはな
だからお前のレスは無意味だって言ってんだ
当時は技術的に難しかっただけ?その根拠はどこにあるんだ
過去にそう明言してたり、各監督の思想哲学からそういう様態が推察出来るのか?
人の意見を印象論だとか言う前に自分の意見の信憑性を疑ったらどうだ もののけ姫のレイアウトって庵野が酷評してなかった?
平面的だって 被写界深度で情報量をコントロールとか言ってる時点で山田や新海と同類の価値観なんだよお前は
手描きのアニメーションにはそもそも「実情報のコントロール」などというものは存在しない
手描きの絵は情報を「創出」するものだからだ
実写の被写界深度は確かに情報量の間引きという役割がある
実際に存在する三次元空間と質量を持った俳優をどうフィルムに映すかが操作出来る
ところが絵は元々「誰かが知覚した情報の再現」でしかない
だから情報を間引くなら作画段階で省略的な絵を描くべきなんだよ
キャラクターのロングの処理は未だに省略的に描くのが主流
大きく描いたものを縮小しても違和感しかない
それは、元々アニメの画面のあらゆるものが描き手の印象による再現でしかないからだ
背景の情報量だってそう。木を大きなサイズでめっちゃ書き込んでそれを縮小しても違和感しかない
新海が「一生懸命描いた美術を撮影でボカす」ことを得意げに語ってたが
あんなのは愚の骨頂だ
絵の表現力を信じてないバカのやること。実写の真似事でしかない しかも「イノセンスの頃は処理が重くて出来なかった」とか平然とホラ吹いてるが
素人の自主制作の新海でさえイノセンスの二年前にほしのこえで被写界深度弄りくらいやってる
これが「あれ知ってるか勉強し直してこい」とかくっさいマウンティングするだけ奴のデタラメっぷりよ 新海監督は絵の表現力を信じてないというか、作画を不得手としてるので
そこには依存しない制作スタイルを作り上げてしまったのをずっと引きずってる気がする なかなか面白いバトルだ
富野キチガイもこれくらい語ってくれればな やってる本人はクソつまんないんだけどな
何も具体的なこと言わず石投げて悦に浸るだけのマウンティング猿だから
不毛以外の何物でもない >>548
>立証出来てない
いやすごいシンプルだぞベテランのテクニックをいくら説明しても
今の人の演出の不備の論証にはならないカットの説明なぞいくら
説明されても無意味
>当時は技術的に難しかっただけ?その根拠はどこにあるんだ
いや、商品としてないといってるだけで監督の思想哲学は関係ないよ
知ってる限り商品としてはひとつだけしかなくて個人がつくってるようなもんで
重いし業務に使うにはちょっと躊躇するようなもんしかなかった
「だけ」とかってに付けくわえれれて論証しろといわれても知らん
物理的にできなかったことを意図的してないというのであれば
それを論証するのはそちら側でしょ 押井が語ってるせいか鳥海さんが単なる親分肌の人に見える・・・w >>557
お前本当に頭悪いな
ベテランの演出意図の説明は比較対象として提示してるんだ
お前が若手の演出を説明しない限り俺の主張に反論出来てることにはならない
お前が個人的に「説明出来てない」と喚いてるだけの話だ
?じゃあお前結局自分の観測した範囲から勝手に推論してるだけってことか
素人の新海が二年前にやってるのに?それで人に論理性を説いてるんだから笑わせる
だから何度も言ってるだろ。お前は不毛な石投げしかしないカスだと
都合が悪くなったら面倒だとか言って逃げて何も具体的な証拠を出さない >>550
>だから情報を間引くなら作画段階で省略的な絵を描くべきなんだよ
>新海が「一生懸命描いた美術を撮影でボカす」ことを得意げに語ってたが
それを得意げに語り始めたのは押井が先だよ
イノセンスではわざわざ美術に恨み節まで言わせて悦にいってる
べきといわれても暈け的な絵を筆で再現するよりフィルターで作るほうが
効率的であるならそちらを使うというだけだよ
>>559>>552
ガウス暈しは指摘してるよ、ガウスで全体的にレンズボケを模倣表現すると
暈しのをある量超えると残念な絵になるよ
さえというが当時、新海のデジタルの使い方はあのレベルに
達してない商用作品のが多かったろ
>比較対象として
だから比較というのは両者を論じないと比較にならないんですよ
勝手な推論というかあなたが印象論にしかなってないよと指摘してるだけ
印象論を長文でたれ流れれてもなぁという話 >>560
>それを得意げに語り始めたのは押井が先だよ
>イノセンスではわざわざ美術に恨み節まで言わせて悦にいってる
はいソースよろしく
>当時、新海のデジタルの使い方はあのレベルに
>達してない商用作品のが多かったろ
比較というのは両者を論じないと比較にならないんですよ?
というわけで何と何を比較してどの作品の処理がほしのこえに対してどう”達してなかったのか”
ちゃんと説明してくださいね 宮崎駿は反面教師?高坂監督15年ぶり新作が公開
https://news.infoseek.co.jp/article/dmenueiga_1185798/
〜宮崎駿監督は反面教師でもあった
前作『茄子 アンダルシアの夏』は宮崎監督から
「読め」と原作コミックを手渡しされたことがきっかけ。
宮崎監督が
「モンチ(高坂監督の愛称)を助けてやってくれ」といった
某映画プロデューサーへの一言で、TV局の参入が決まった。
そんな恩人でもあった宮崎監督は、反面教師でもあったという。
「『茄子 アンダルシアの夏』の時は
宮崎監督の“一番弟子”と書かれてしまったのですが、
一番弟子ではありません。
スタジオジブリは徒弟制度も敷いていませんし、
スタジオジブリそのものが
宮崎駿の作品を作る会社なので、宮崎さんは王様です。
だから、強権を振るうことが可能ですけど、
僕はそんなことはできないです。
宮崎さんは口では『いろんな人の意見を聞いて作っている』って、
言いますけど、言える人はごく一部。
みんな、何も怖くて言えないですよね」
「宮崎さんは良いが、自分はそれではダメだと思ったので、
『反論、大歓迎』と言いました。
宮崎さんは必ず代替案を出せというんですけども、
みんな萎縮しちゃうんです。
だから、代替案はなくていいから、
『とりあえず何かあったら言って』と。
それでもやっぱり言ってくる人は少なかったですけどね」 高畑勲監督との仕事
今年4月に亡くなった高畑勲監督とは
TV版「じゃりン子チエ」(1981年?1983年)、『火垂るの墓』(1988年)、
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)などでともに仕事をした。
「宮崎さんは感覚優先。理屈を言うと、
ちょっと癇癪を起こすところがありますが、
高畑さんは理屈先行型。対照的で面白かったですね。
また一緒に仕事していただけたら、
かなりレベル高い作品が
できたんじゃないかなと思います」と故人を惜しんだ。
現在は、アニメ「秘密結社鷹の爪」などで知られる
コンテンツ制作会社「DLE」に所属。
今後は作画監督から、監督業へシフトしていく。
「次の企画は進んでいるような、進んでないような感じでしょうか。
まだはっきりしてないです。
たくさん撮れるかは、分かりません。
だって、1本に3年もかかってしまってはね……。
もうちょっとどうにかしないと」
かつてはアニメ業界のロードレース
ル・ド・信州」の常連の優勝者だった高坂監督。
一段ギアを上げて走っていく。〜 押井「ほしのこえに関しては言いたいことが一杯あるんだけど(笑)。
映画というのは一人で作るもんじゃない、いや一人じゃいかんのだ、
一人で映画を作っちゃつまんない。一人なら小説を書けばいい。
映画は人と付き合って、違った物を貰わないといけない。
ほしのこえというのは、壮大な独り言に見えますね。良くでき
てるけど、どこかで見た画になってるし、作品自体もどこかで見た
作品になってる。出来上がりは悪くないけど、
どっかで見たような画でどっかで見たような作品。一人の人間が
パソコンの前で作りましたという以外に評価する点が何があるのかとね。
でも秀作だからそれで良いんですよ。
それはそれでいいんだけど、問題はそれがDVDになって二万本も
三万本も売れてしまったこと。それでアニメスタジオの若いアニメーター
とか演出家とかが動揺していること。「もしかして、出遅れたんじゃないか」
と思っているんですね。スタジオで怒鳴られたり蹴られたりして(笑)
下積みやってシステムの中で我慢しているのに、システムの中に
いない人間がぽんと物作って評判になって売れて、出来上がりが
悪くないからそれで良いじゃんと。
一人で初めて一人で作ってということは、いつでも止められるとおう
ことですね。気楽に見えるだろうけど、物を作るというのは
基本的にしがらみの中で物を得ていく、そういうところを通じ
て現実と出会うわけ。そういうところを考えると、
一人で作るというのは気楽に見えるけど、実はつらいんだよと。
僕も本当はそうしたいんだけど、人に会いたくないから(笑)。
http://www.kyo-kan.net/oshii-ig/report/20030306.html 今のご時世、タイトルに「小学生」って付けたら人前で言えないだろ
中年キモオタの支持が得にくい >>561
>はいソースよろしく
当時のテクニカル系のインタビューでも言ってるし
コメンタリーでも言ってたはずだよ
イノセンスで使ったDOMINOってそもそもそのためのものじゃ
またお得意のベテランがやると解説してくれるのかな?
>ほしのこえ
当時は過渡期だし動画はデジタル彩色で撮影もデジタル化しても背景の作画から
デジタルにしてるのは少ない撮影段階で絵を仕上げる比重が違って絵を作る
プロセスが違う、集団作業では個人作業と違ってそもそもプロセス自体を柔軟に
しにくいというのはあるけど、当時より今の方が仕上げのプロセスの比重が
高くなってる、どの作品かって?じゃめんどくさいからチョコベーダー
というかこれどっちが上だろうが下だろうが、話の主旨には関係ないんだけど
それしか言うことないという判断でいいのかな? 若手演出がっ!とムキにになって駄目だししているのは
「実写的レイアウト」やらと背景のボカシ程度。
引き合いに出しているのは宮崎的レイアウトと宮崎的キャラ芝居の絶賛のみ。
視野狭窄すぎる。
落ち目の岡田斗司夫の受け売りなんかして得意になるなよな。 >>569
当時のインタビューで言ってたって言われても俺は記憶にないんで証明になってませんね
コメンタリーで言ってたなら具体的に分数指定してね。確認するから
チョコベーダーという作品は知らんが、調べるとこんなショボいフラッシュアニメと比較して新海はスゴかった!なんて言われてもねぇ
https://www.youtube.com/watch?v=nODo6YgFHSo
ちなみに微妙に論点ずらそうとしてるけど元々「当時は技術的に被写界深度を弄るのは処理的に重くて実用されてなかった」だよね
1997年 テイルズオブデスティニー OP
https://www.youtube.com/watch?v=6NIGDQz-3JY
1999年 WILD ARMS2 OP
https://www.youtube.com/watch?v=ENTDOqD6xnk
2000年 テイルズオブエターニア OP
https://www.youtube.com/watch?v=MT1M6w13eTs
2002年 WILD ARMS3 OP
https://www.youtube.com/watch?v=pplfD210cIk
はいいずれもIG制作で当時クオリティの高さが話題になったデジタル制作のアニメーション作品です
バッチシピントぼかし演出使ってますね
また「めんどくさい」とか言って予防線張ってるダサさには触れないでおいてやるけど
お前の主張がいかにデタラメかこれで証明出来ました
お疲れ様です >>570
岡田の受け売り?それは誤解だな個人的に感じた印象も岡田も言ってたというだけの話
落ちぶれてるのは確かだが一応業界人でもあるんでな
少なくとも何もかもホラとデタラメでしかない>>569の発言よりはよっぽど信憑性ありますねぇ >というかこれどっちが上だろうが下だろうが、話の主旨には関係ないんだけど
>それしか言うことないという判断でいいのかな?
比較論は比較対象を具体的に挙げないと信憑性がないと言い出したのがお前だから
じゃあしっかり具体例挙げろと言ってるだけの話
話に関係ないどころかお前の主張が半端だからキッチリ説明しろよと言ってる
人の意見に説得力がないと文句言ってるんだから自分が証明してみせるのが先に決まってるよな
ま、石投げることしか出来ず肝心の主張の根拠は全部「面倒くさがって」ごまかすオカマちゃんには無理な話か
さっさと諦めてゴメンナサイすれば? 岡田斗司夫ってあれアニメ業界の人だったのか
近年どんなアニメ作ったんだ? もはや岡田を認めないことでしかアイデンティティを保てなくなったか
哀れな奴
別に俺も岡田なんてどうでもいいがお前みたいな奴よりはちゃんと具体的に批評してる時点でよっぽどマシだわな >当時、新海のデジタルの使い方はあのレベルに
>達してない商用作品のが多かったろ
>比較というのは両者を論じないと比較にならないんですよ
>勝手な推論というかあなたが印象論にしかなってないよと指摘してるだけ
>印象論を長文でたれ流れれてもなぁという話
>というかこれどっちが上だろうが下だろうが、話の主旨には関係ないんだけど
>それしか言うことないという判断でいいのかな?
二言目には矛盾だらけで草
これで人に論証出来てないといってるんだから凄い 宮崎みたいに空間を飛び回ってみる妄想力がないからダメ 押井「最下層の貧乏人がネットで威張り散らしてるのは日本だけw」 >>569
結局コイツ逃げたか
クソデタラメ野郎だったな >>578
マジレスすると世界中どこも同じなのよ
ネットは貧乏人にとって手軽な娯楽だからなwww >>580
そんなに恋しかったの?
>>571
サイト上の公的な記事なんかはもうないからなぁ、個人サイトを転載するのは
あまり気がすすまないが、という前にurlがNGワードではじかれてるわw
ダンナが押井マニア [押井守関連書籍]というサイトの「イノセンス」映画パンフレットというページに
「押井談話:Dominoを使ってザックリ消したから、現場にはムチャクチャ評判が悪かったけどね」
とある
インタビューなどを踏まえた評を書いたサイト
ttps://lucam.exblog.jp/704039/
「美術スタッフ他の労力を無視し、一度仕上がった映像を平然とコンピューター(Domino)にかけ修正した」
コメンタリー42分10秒くらい
押井「これはだけど平田君とかさぁ、あんなに頑張ったのにノイズで何にも見えない」
西久保「ずっとそれは言ってたね」
>はいいずれもIG制作で当時クオリティの高さが話題になったデジタル制作のアニメーション作品です
あの、これに関しては最初の書き込みで必要な情報と仮定をだして書き込みしてるので
それを無視し続けたレス返されても困るんですけど
最初のムービーとかもろガウスのぼかしに見えますが他のはレンズぼかし使ってるの?
続く まず、ガウスなんかのぼかしとレンズぼかしの違い
ttp://www.denki-kayou.net/?p=3832
ページの下のほうの一般的なぼかしとの比較画像を参照
で、このレンズぼかし自体は今はフォトショップについてるくらい
一般化しているがアフターエフェクトにブラー(レンズ)として標準で
入ったのたぶん2006年に出たバージョン7から、イノセンスは
バージョン5.5で作業されている、現在のアフターエフェクトには
CS5.0(2011年)マルチスレッドなどに対応して高速化したブラー
(カメラレンズ)が搭載されているがここのブラーを解説したサイトには
ttp://chronodiary.tumblr.com/post/114744322831
高速化しても一番重いブラーとして記述されいる。
現在アニメでレンズのボケを使う場合は標準とも限らないようですが
レンズのボケを模倣したぼかしを使うので、ガウスぼかしなどで
代替できるものとは考えられていない
ttp://animestyle.jp/2016/03/15/9891/
で最初に指摘したとおり当時もこのレンズボケを模倣したフォトショップ用の
動作の重いプラグインは存在したので指摘するのであればそのようなものを
使ったということ言ってもらわないと、カメラだの美術だの言ってる人がなぜ
人の言ったことを無視したレスしてるのかなぁと困ってしまうわけですよ
>>573
で本論を無視してマウントとらないと何も答えないというのはあたなの都合でしかないので
わざわざ煽りいれることより自身の主張を証明するということは些細なことなんですねと
思うしかないかなと >>582-583
ようやくちゃんと「話に乗ってきた」か
お前、人に論証を求めるばかりで自分の論の根拠は何も提示してなかったからな
その情報集めるのに時間かかっただろう?そういう手間を省いてマウント取ろうとする姿勢をずっと叩いてたのが分からなかったか?
イノセンスがデジタル処理で映像を加工してるなんてのは見りゃわかるんだよ
場面によっては何描いてるかわからないくらいエフェクト重ねてるからな
終盤の船舶潜入シーンとか。コメンタリーでもそのようなことを言ってたことくらい覚えてる
ま、俺はあれは新海のそれとは根本的に違う思想だと思ってるが
当時のピント弄りが技術的に別物だったというのも理解したが
しかし結局代用出来るものでも使ってなかったことにかわりはない
そしてそこに映像作家としての押井の思想が見て取れるわけだ
わざとらしい実写ゴッコはしない、というな
これについて反論があるならどうぞ
お前が散々指摘してる通りただの「個人の好み、印象」の話だけどな
最初からそんなことはわかってるんだよ。そもそも映像演出に正解などない
俺は単純に俺の持論で嫌いだと言ってるだけ。そこに正当性などそもそも主張してない
だから、俺が嫌いな最近の若手の実写ゴッコをお前が擁護したいというならそれをすればいいだけの話
なのにお前は「両者を公平に比較しろ」と求めてる
その上、自分は何も根拠を提示してないのに相手にだけ論証を求める
だから俺はお前に「人にそれを求めるならまず自分が示せ」と要求しただけの話
お前は前提から間違って、無駄なマウントを取ろうとして数日無駄にしただけ
ご苦労だったな ちなみに俺が最近の被写界深度弄りが嫌いなのは
それがどこまでいっても「実写の真似事」でしかないからだ
そもそも手描きアニメの画面には空間もなければレンズもない
ただ広角っぽい画、望遠っぽい画を描いてるだけ
勿論カメラの設定なんてのもないだろう
そんな環境で付け足す被写界深度の表現なんて徹底できるわけがない
シーンによってリアリティバランスがバラける半端な表現にしかならない
アニメーションは元来描き手の三次元情報を変換した表現
描き手の半端な「実写映画っぽい表現」を再現されても
それと違うビジョンを持った人間が入り込めないのは当たり前の話
CGアニメなら詳細なカメラやレンズ設定でシミュレートして表現に一貫性を持たせられるだろうが
現状の手描きアニメの技術じゃ無理だろ
だからそれは根本的にCGアニメ向きの思想だと言っている
俺が個人的な好みの感想に終始するのはそもそも仕掛け人が「個人的な好みの映像」を押し付けてきてるからだ
オナニーでしかないんだよ
それを「個人の印象論」などと言われても知らんがな。元々そういう次元の話だ 大体な、実写映画の画面ってのは情報量が元々多いから被写界深度のアレコレなんてよほど注意してみてないと気にならないんだよ
どこがパンフォでどこが浅いのか、どこにピントが合っててどのタイミングで焦点が移動してるのかとか
それを観客にいかに感じさせないかが良い撮影監督の条件だとも言える
演出意図と違うところにピントが合ってたり、合うべきところにピントがあわずピンぼけしてたりすれば違和感を覚えるし
正しく施された撮影ほどそれに気づかないものだからな
当然照明や美術の工夫なんかもあるが
そこへいくとアニメのそういう表現は最初から「違和感」しかない
というより「アニメでそういう表現をやることで実写っぽく感じるでしょ?w」という違和感を最初から強調してるように思える
本職のその手の表現思想とは正反対の思想でやられてる。そこに呆れてるわけだ
この未熟なオナニーに俺は付き合うつもりはない クソらしい新海があんな歴史に残るヒット飛ばしたんだから
別に関係ないしどうでも良いんじゃないんすかねこの話し 具体的に語ることは良いことだ
ゴミクズ富野キチガイも見習え 新海監督がやってるのは自分のコントロールでやれる範囲の
絵作りでしかないと思うので薄ぺっらい実写の真似事
とか言った所で変わらんだろうと思うわ 本当にそのとおりで、些細な問題。
表面的な事であって、
連日深夜までかかって連投するような事柄じゃない。 ”表面的”っていうか”表面”しかないのが新海の作品だろ でもその”表面”に目くじらを立て
長文連投しているのが彼なのだからしょうがない 内容への反論じゃなく行為に石投げる典型的なチキン発見 そういえば駿がもののけ姫のメイキングで
作り物のアニメで客が離れないよう
実写に倣うとか言ってたな >>584
>最初からそんなことはわかってるんだよ
いやいやw
おまえが読み取れてないのだと啖呵切ったのはなんだったのかな
最初から若手を評価してるわけでもないというようなことは言ってるしね
単なる感想を中途半端な知識で適当なことを長文で垂れ流されるのが
こっぱずかしいなぁというだけだよ、感想なら一行でいいんだよ
おとなしくしてるならそれでいいんだけど、終わらないなら突っ込んでくしかないよねぇという話 >>601
で?お前が当時の技術の詳細を語ったところで俺の感想をねじ伏せられたか?全く出来てないよな
お前は論点と違うところの自分の知識を披露して悦に浸ってるだけ
しかも具体的なことは言わず思わせぶりなレスを連ねるばかり。5chにはこの手合いが昔から多い
だからお前がいかに『そうしたいのか』を分からせるために促してやっただけのこと
で、そうした結果何も変わってない。まだわかんないか?お前のオナニーは俺の『感想』と同じだってことが
最初から話が噛み合ってないんだよ 俺には主張したいことがある
お前にも主張したいことがある
でもお前は、思わせぶりに石を投げるだけでそれが何なのか明そうとしない
『それ』を匂わせることでマウンティングしてるだけ
しかもそれは本来の論点とは関係のない瑣末な話
俺には最初からこの構図が分かってたから『うざいからさっさと向かってこい』と挑発してやった
で、やっと手の内を見せて向かってきたけどやっぱり論点のズレた知識披露だった
結局俺の論を真っ向から説き伏せるような力はなかった
そんだけの話だぞ。上から目線で「こっぱずかしい」だの「突っ込んでいく」だの言うわりにまるで分かってないよな
頭デッカチなのはお前のほうだよ >>602
いや、自分の言葉が単なる印象論と認めたじゃないかw
>やっと手の内
いやだからさ押井の発言のソースと、最初からちゃんと言ってるし何度も
説明してることをわからないなら検索するなり正直に聞くなりすればいいことを
ドン無視して一生懸命ボケ動画さがして絡んできたことを手の内言われも困るんだが
むしろなんでそこに手の内があると思うんだという話にしかならないよ で、だしたら俺は知ってたぜだからなぁw
てっきりDOMINOの演出解説でもしてくれるのかと思ったのにがっかりだわ >>604-605
お前は想像以上に頭が悪いのか真性なのか、まあどちらにしても馬鹿だな
お前の手口はわかってるっつってんだろ。人が話してない前提に論点をずらして『ほら答えられない』とマウンティングする5chによく居る手合い
お前みたいな議論の発展のさせ方はリアルじゃ一切通用しないからな。「それ論旨に関係ありません」で終わりだから
一方的にレスつけてだんまり決め込めるネット掲示板でしか出来ない稚拙な戦法
しかもすぐ見破られるっていうね >てっきりDOMINOの演出解説でもしてくれるのかと思ったのにがっかりだわ
ほう?つまりお前は俺の主張と論旨を汲んで「DOMINOの演出解説との因果関係」を見出したわけだな?
じゃあそれを説明してみろよ。なぜ俺がその説明をしなきゃいけなくて、それが出来ないと『がっかり』されるのかをな
まあお前は論旨に関係ない自分の得意分野の話に持っていって勝手に『がっかり』して悦に浸るバカだから出来ないだろうがな
『面倒臭がって』逃げるなよ? またバーカチョンが言いがかりつけてるのか
しょうがねえな >論旨に関係ない
>話に持っていって
あれ?それをしてるのはあなたじゃないですか、その話をしても意味ないですよ
といっても延々とベテランの話をつづけて、そっちがわざわざソースなどを聞き返すから
てっきり何事か言えることがあるのかと思っただけですよ、むしろこちらは歩み寄ってないですかね?
イノセンスってデジタルの転換期に生まれた異端児で、まさにそれで叩かれ評価もされたもので
DOMINOはその肝じゃないですか今のデジタルの手法を考える時に興味深くないですか?
DOMINOなんて予算的に他の作品で使えるようなもんじゃないし、そっちから
振っといて論点ずらしだと言われてもねぇ
まぁそっちより先に片付けないといけない話あるから今はこの程度ですかね
それならいいんでしょ >>585
でここいらの話は同じこと繰り返してるけど違和感しかない
被写界深度弄りは「実写の真似事」で実写の表現を忠実に
再現すれば正解なのかという疑問
>勿論カメラの設定なんてのもないだろう
>CGアニメなら詳細なカメラやレンズ設定でシミュレートして表現に一貫性を持たせられる
CGアニメは物理レンズをシミュレートして被写界深度を表現しているのか
それは可能ではあるけど映像作品であるほどそれはしてるかな、技術的には
可能だけど演出とそれを可能にする制作プロセス上そこにこだわっても非効率
フルCGでもVFXでも全部素材でばらしてだして調節する、ぼかしもその一部
であるなら、CGアニメは正確なシミュレートで一貫性を持たせてると言えるのか?
で今は深夜アニメでもというか効率化のためにより積極的に作画の前に3Dレイアウトを
出したほうが楽であるならそっちを先に作る、そうなると空間のサイズとレンズのmm数は
フィックスさせることができる、あとは物理的に可能なレンズのf値をを元に被写界深度を
表現すれば正解になるのか? あなたのいう徹底した被写界深度の表現というのがさっぱりわからないが
たぶんならない、背景を大きくぼかすことによる違和感は被写界深度の
設定がリアルでないための違和感ではなく、多くは絵が持つ紙や絵の具を使い
筆によってつくられたマチエールがボケによって失われてしまうことが大きい
CGアニメはテクスチャに手描きのマチエールが残っていてもライティングと
シェーダーでそこに上描きされているので、そこにボケが加わってもそこから
違和感が増すってことはないし、そもそもテクスチャが手描きともテクスチャを
使っているとも限らない
失われたものが描かれたスケールではなく、マチエールがつくるディテールと
マチエールのスケール感であるなら、そこがカメラの設定ににそぐわないと言っても
意味がないどちらがアニメの画面を構成するスタイルとしてほしいかという話でしかない
元々セルアニメは紙に安物の絵の具のポスカラを筆で塗った背景とセルに絵の具を
ベタ塗りしたのを裏か見たマチエールがばらばらな表現、最初からそこを
あわせることを放棄している、そこにこだわった高畑さんは面倒なことになった
で、デジタルにはリアルスケールのマチエールというものは存在しない
全ては等価な素材でしかないそれどう組み合わせてどのような表現を
するのかというのがデジタルの絵作り
昔デジタルの黎明期にセルのトレスのかすれ、浮きによる影や傷これらが再現できなきゃ
デジタルなんか認めないと叫んでた人らが2ちゃんにいた、なんか思い出したわ
今何してるのかなぁ もうそんなに付き合わなくていいんじゃない?
駿的思想がなんて言っていたのに表層的な事ばかりで
語れば語るほど若おかみがいかに優れているかという本質から離れてる
地っ張りで自惚れた意被害意識が顕著なオタクだったってだけだよ CGアニメは背景もCGで作れるが
作画はデジタル作業でも背景とセルは別だから >>609
> DOMINOはその肝じゃないですか今のデジタルの手法を考える時に興味深くないですか?
別に。俺はソフトの話をしてるんであってハードの話はしてません
> DOMINOなんて予算的に他の作品で使えるようなもんじゃないし、そっちから
> 振っといて論点ずらしだと言われてもねぇ
勝手にハードの話し始めたのお前じゃん
>
> まぁそっちより先に片付けないといけない話あるから今はこの程度ですかね
> それならいいんでしょ
さすがに無理矢理論点ずらしたことバレて矛収めたかw
お疲れ >>610-611
うん、だから実写とアニメじゃ映像の情報量、情報を構成するモノが違うからアニメじゃ浮いてるって言ってるよな?
言ってること同じだろ。結論導出の過程が違うだけで。
そもそも新海や山田はこのある種の異化的効果を狙ってやってるはずだからな
逆に言えばそれを「違和感」と捉えてること自体奴等の思う壺。問題はそれを「カッコいい」と思うか否かだけの話
若いオタクはカッコいいと思ってるが、俺は拙いと思ってる
理由は、アニメの画面は実物をカメラで切り取ったものじゃないから。
『絵描きの脳内にある実物の記憶を、絵で再現したものに“違和感”としてピントを設定する』
どれだけカメラ、映画に精通してて、どれだけ画力があればこんなことやろうと思うんだ?
新海も山田も、レイアウトすら二流なのに
昔はそれなりに高級感のある画面をアニメでやるにはコンテなりレイアウトなりの高い画力が必要だった
大友や今敏などがそう。監督自身がコンテ段階で情報密度の高いものを出すから本編もそれに倣うしかなかった
デジタルに移行してから、ありとあらゆる技法で画面の情報量を上げることが可能になった
新海のような本来レイアウトセンスなんかカケラも持ち合わせてない人間でもそれっぽい画面が作れるようになった
被写界深度弄りはそういう連中の小手先だけの技術として使われてるケースが非常に多い
技術そのものの是非でなくあくまで『そういう傾向が強い』という話
このスレタイの面子のような古参の巨匠クラスの連中が使ってるとこ見たことないんでな
ただ単に経験則の話。それを否定出来る材料があるならどうぞってこと
ハードの話をいくらしても意味ないぞ >>612
俺はそっちの話がしたいのにこいつが延々話そらしてくるからしょうがない
ま、お前みたいな完全場外からネチネチ石投げてる奴よりはマシだが ちなみに、マルチプレーンの撮影で発生した被写界深度については是としたが、これには理由がある
あれは原理的に『実写的アプローチによって発生した自然な効果』だからだ
元々フィルムに現れる被写界深度の階層ってのは、実際にある空間をカメラで切り取る際に機材の特性から『自動的に発生、付随する効果』だ
マルチプレーンによる撮影は、特殊な撮影台によって階層的に配置されたセルをカメラで切り取ったもの
つまりあれは原理的に実写の撮影で発生する被写界深度と同じなんだよ。だから深度やピントの移動に違和感がないし、しっくり来る
新海や山田のそれは、場面によって基準が無茶苦茶
大体、質量を持たないペラペラのデザインのアニメキャラの画のどこに奥行きを設定するかなんて恣意的にならざるをえない
現在の標準的な日本のアニメキャラの顔の造型の、どこに奥行きがあるんだ?
ライティングも彩色もペラペラな画に『撮影でだけ』実写的な奥行きがあるように見せかけようとするインスタントさとその違和感
それが表現として、もしくはそれを指向する思想が稚拙だってんだよ 例えば、実際のカメラでは被写体との距離、レンズの特性なんかで画像の焦点の合い方は変わってくる
被写体に近い広角の画なら被写界深度は厳密なものになるが
望遠で遠くの家屋群などを映すとピントはかなり大雑把に移る
つまり、違和感のない被写界深度というのは『物体の質量と立地的撮影条件』が厳密にシミュレートされてこそ実現しうる
広角の画なのに望遠みたいな大雑把なピントの移動の仕方をすれば当然違和感があるしその逆もまた然り
望遠の背景なのに魚眼みたいなパースのキャラが乗っかってたら違和感覚えて気持ち悪いだろう
そう思考した時、手描きアニメでそんな厳密なシミュレートが可能だと思うか?キャラクターの質量表現さえ無茶苦茶なのに
背景だってパースや空気遠近法でそれっぽく見せてるだけの「一枚の画」だ
そういうソフトでも開発されない限り無理だね
結局演出家が適当に設定してるだけ。カットによってリアリティバランスがグチャグチャ
画的センスの鈍い奴が気付かないだけで「望遠背景に魚眼のキャラ」と同じくらい生理的嫌悪感がある
そういう貧弱な画作りに頼るのが流行ってるところに、
ジブリ的な、動きと線量に物を言わせたアニメーション表現で画面を作ってる若おかみが出現したから爽快だったわけだ
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1047420217712726016/pu/vid/1280x720/hZpVUnhsUclC28dG.mp4 山田も新海も厳密にやってないだろうから
はいそうですかとしか言いようがないな だから「はいそうですか」って言っときゃいいんだよ
マウンティングしたがる馬鹿がいるけど >>614
>勝手にハードの話し
でもとしかいってないから別の話でもかまわんよ
話すべきこともないのに話を引っ掻き回してたということには変わらん
>言ってること同じだろ。
いや同じにしてもらっても困る、赤色の説明を求められてるのに、
赤ではない色の説明をして「という色ではないのが赤」といってるだけだ
他人には永遠に伝わらない
>>617>マルチプレーンの撮影で発生した被写界深度については是
あぁこれいうならほんとセル浮きセル傷再現しろと言ってた人と同じだわ
いや主張するのはかまわんけどそんな大事な事は最初にいわなきゃ他人に
伝わるわけない、ご大層なこというから描かれた空間に対するボケ描写の
対して一家言あるのかと思うじゃないか、しかし若手の派手なボカシ表現の
カットなんかだと背景はある距離離れてれば同じようなボケになるだろうに
どこからのカットで何がNGとしてるんだと思うじゃない、そんなの考えるだけ無駄だったのね
いや不思議だったんだよねぇ長くなるから書かなかったけど出崎の入射光
演出とかどう思うの?とかね、あの演出はどこにカメラすえてどこからの光で
こんな光がでるのだろうという絵になってる物理カメラが出したもんならOKなら
そうするとあれかな後期のデジタル作品のカットだとNGなんだろうか? >被写体に近い広角の画なら被写界深度は厳密なものになるが
>望遠で遠くの家屋群などを映すとピントはかなり大雑把に移る
>広角の画なのに望遠みたいな大雑把なピントの移動の仕方
ここらの話もよくわからんわカメラと被写体を近づければ被写界深度は浅くなる
これはいいけどより浅くなるのは被写体に近い望遠レンズの方なので
わざわざ広角の絵と限定しているのはなんなのか
遠くのものは被写界深度は広くなるもいいけどより広いのは広角レンズの方
それらを踏まえて、「広角の画なのに望遠みたいな大雑把なピントの移動の仕方」
ってこれはいったいどのような絵のどんな事を言っているのか色々想像すれば
想定してるものはあるんだろうけど、色々想定できちゃうので文字通りうけとれば
感性専攻の若手の演出みたいな書き方だね 新海の歴史に残るヒット 国内250億 海外込み400億
毎年800億稼ぐ富野に比べたらゴミだな >>622-623
やっとマウンティングをやめたと思ったらほぼ独り言
まあこっちもほぼ独り言だから対話する気ないなら絡むなや そう言えば安彦は素直に新海を評価してるのな
成し遂げられない青年を漫画で描き続けてる人からみたら
延々と閉じこもったナイーブ少年の物語をアニメでああいう形で作り続けてる人は
自分に出来なかった事を成し遂げてる人だからかな 安彦の好評価は真に受けない方がいいかも
ナウシカや王立のように作品を見て心底凄いと感じた場合
安彦は引退を考える
一方でスチームボーイなんかだと漫画映画はあんなもんでいいんだとか言って高評価してる
そう考えると新海の場合まだ余裕があるからなめられているかも
ヒット作に対する社交辞令だと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています