一色伸幸@nobuyukiisshiki
「この世界の片隅に」。
家で寝転がりながら観る派なので、
仕事で関わった作品以外で、
映画館で2度観るのは、たぶん十数年ぶり。
日本映画の欠点
(情緒過多/芝居の溜め/無駄な熱演/
 場面の意味の説明でしかない劇伴etc)を
排した潔さに、あらためて嬉しくなる。
「ラジオ」を企画したとき、
「これは震災ドラマではなく、
 普通の青春ドラマで、
 たまたま背景が被災地だっただけ」って
何度も言ったけど、
「この世界の片隅に」も同じ背骨を感じる。
被災地じゃなくても、戦時中じゃなくても、
某ちゃんやすずさんはどこにでもいる。
ドラマは出来事ではなく、人にある。
これ大事なことだから何度でも言う。
大きな事件や奇妙な出来事は
あっても構わないけど、
観る人の心を動かすのは、
いつでもキャラクター。

1-「この世界の片隅に」の前半。
「こんなウサギを描かれたら、
 海を嫌いになれん」(うろ覚え)って
セリフがあるけど、あそこでいい音楽を流して、
海を見る若者の背中、その背中を見つめるすず、
そういうのを4〜5カット足して
二人の互いへの気持ちを
「説明する」のが、
いまの映画やドラマのお約束。

2-それをバッサリ廃したおかげで、
その後の展開の中で、
客が二人の気持ちを類推していくことになる。
客が受け身ではなく、参加者になる。
さらに説明されいないぶん、
客によって感じ方が違う。
たとえばこういうことが、
映像ドラマの醍醐味だと思う。
「分からせる」のではなく、「感じさせる」こと。