スタジオジブリという名の呪い――制作部が解散。後継者たちの「その後」」
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〜ジブリでは、映画を作ることは当たり前だった。
しかし、無名のスタジオとなると話は違う。
実際、宮崎吾朗さんからは
「ジブリの冠なしに資金を集めるのも、
 スタッフを集めるのも、ヒットさせるのも至難だぞ」と言われた。〜
1月末、スタジオポノックには宮崎駿さんの姿があった。
制作現場の窮状が耳に入ったらしく、激をとばしにきたのだ。
現場に足を運ぶのは初めてだった。
「安心した。ココ(ポノック)が元気なかったら、
 アニメーションは終わりだもんな」と口にしながら、
現場の一人ひとりに声をかけていった。
西村さんはその背中に言葉を投げた。
「宮崎さん、5カットくらい描いてくれないですかね」
宮崎さんは無言で去っていったが、
翌日にA4で2ページに及ぶ米林監督宛の手紙が届く。
「僕が描いてしまうと、この作品を傷つけることになる。
 それはやってはならない」というコメントの後に、
宮崎さん流の作品を完成させる
メソッドと激励の言葉が直筆で綴られていた。
宮崎駿という人は、
自分以外の監督にポジティブな発言をほとんどしないそうだ。
「マロさんへの愛って格別なんだって思いましたね。
 素直なことは言わない人なので、本当に驚いたんです。
 『こんなくだらない映画を作りやがって!』って
 言ってる方が宮崎監督っぽいですから」