ノモンハンにおける旧軍での評価

戦争に強い…新潟県出身者、命令絶対守るから
戦争に弱い…大阪府出身者、命令守らない、すぐ逃げる


昭和十四年七月、満洲ノモンハンで日ソの衝突が重大危機に陥り、逆上した関東軍が、北満国境駐屯の仙台・大阪両師団に応急動員下令、出動を命じたとき、仙台二師団は勇躍出発、ハイラルより徒歩行軍四日間で現地到着、先遣隊たる新発田十六連隊の如きは、直ちに戦闘加入勇戦奮闘したのに反して、
大阪四師団は出動下令されるや、急病人激増、何とかして残留部隊に残ろうと将兵が右往左往し、怒った連隊長が医務室へ出向き、自ら軍医の診断に立会う仕末。
やっと出動部隊を編成したまではよいが、ハイラルから現地までの行軍では、二師団が四日間で強行進軍したのに大阪師団は一週間を要し、しかも落伍兵続出、
現地にやっと先遣隊が到着したら日ソ停戦協定成立。とたんに元気が出た浪花ッ子の面々、口口に戦闘に間に合わざりしを残念がり、落伍した将兵は急にシャンとなって続々原隊復帰。
帰りの軍用列車では一番威勢がよかったというおとぼけ師団であった。

『兵隊たちの陸軍史 兵営と戦場生活』(番町書房)の二百四十一~二百四十二ページまで引用