>>936
野球と関係無い話でスマン。
1978年までは、国公立大学の受験は1期校、2期校と1年に2度受験のチャンスがあった。
またこの頃の国公立大学は、ほとんどの大学で5科目入試(1部4科目入試の大学もあった)が行われており、成績優秀層は4~5科目頑張って国公立大学を目指すのが普通の時代であった。
1期校は2期校よりも先に受験するのだが、旧帝大など難関校はすべて1期校だった。
2期校には横浜国大などの難関校もあったが、ほとんどは地方国立大などであった。
また、1期校に合格すると2期校には受験できなないシステムだった。
しかし、翌1979年に共通一次試験が開始され、国公立大学の受験には7科目の試験対策が必要になり、しかも1年に1校しか受験できなくなった。
国公立大学を1校しか受験できないとなると、1978年までは国公立大学しか受験しなかった成績上位層の受験生までが、国公立大学を不合格になった時のことを考えて私立大学を受験するようになり、私立大学の難化が本格化した。
また成績上位層の中にも「国公立は1校しか受験できないし、国公立に入るには7科目も試験対策が必要だし私大でいいよ」と考える人も出始めた。
これらの理由で1979年以降私立大学の入試は随分難しくなった。
実際、オレの通っていた高校の1978年と1979年の大学合格実績が全然違った。
当時、先生も「去年(1978年)までは簡単に合格していた私大にほとんど受からなくなってしまっている」と言っていたのを覚えている。

まあ、受験には歴史書など無いので知らない人が多いとは思うが。