>>429
東は東西に分かれる直前までは夏は日大一、秋は三高が強かった。特に日大一は東西分かれる前で夏3連覇とかしてたから
もし当時東西に分かれてたら無双してたと思う。ところが東西に分かれた途端日大一と三高は勝てなくなり、それまで低迷してた早実が復活し
75年から82年の8年間に春夏甲子園に10回出場とまさに黄金時代を築いた。帝京はこの頃は強くなり始めた頃で選抜は2回出たが
夏はことごとく早実の壁に跳ね返されてなかなか出れなかった。二松は今ほどではないけどそこそこ上位には来てたけどなかなか甲子園には出れず
80年選抜が甲子園初出場だった。その2年後今の市原艦長がエースで選抜で準優勝したが夏は勝てなかった。関一は当時ほとんど存在感が
なかったが現三高の小倉監督が就任して2年目の83年あたりから上位に来るようになった。奇しくも82年まで黄金時代を築いた早実に83年夏の
準決勝でコールド勝ちしこれを起点に関一は強くなった。逆に早実はこの試合を起点に低迷期に入り暫く甲子園に出れなくなった。帝京は83年の
選抜でやまびこ打線の池田と対決、対戦前は東の横綱と言われ前田監督もそこそこの自信を持って臨んだが11-0とフルボッコにされて完敗。
この敗戦でパワー不足を痛感し当時珍しかったウェートトレーニングや水泳を取り入れパワー野球に路線変更してその後強くなっていった。
ちなみに東に分かれてからの代表は城西、早実、荏原、早実、早実、城西、早実、早実、早実、帝京、日大一、関一こんな感じで75年~82年は
早実の黄金期で83年以降帝京、関一が台頭してきたたという流れかな。