明治の同じ学部に作新学院出身の人がいて、
江川は学力特進クラスも含めて学年2位の秀才だったそうです。

江川の学力がかなり優秀であった事は事実です。しかし実際に慶応を受験した時に合格点はとれていません。 当時の慶応は大学イメージ低下を嫌いスポーツ推薦はしていないとの体でした。 しかし実際にはどの大学でも行っているようなスポーツ推薦枠の合格点が決まってました。 江川はそのスポーツ推薦枠合格最低点のボーダーあたりでしたが、慶応側は江川を入学させると、スポーツ推薦枠が実はあったという事実が明るみになる事や社会的反響を考慮し、その年は江川だけでなく他の野球推薦枠の受験生を不合格にしました。 しかし、さすがに地頭が良く、学業優秀といえど3年間野球漬けの江川は法政の一般受験(夜間ではなく昼間)でも合格は厳しかったと思います。


コレが真相だろう