50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.18
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自演荒らしは出入り禁止
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvv:1000:512:: EXT was configured >>729
大阪桐蔭が優勝しても盛り上がらんな。地元にもかかわらず。
逆にPLが優勝した時は盛り上がったもんだ。
PLはもう一度見たい試合がたくさんあるが、
大阪桐蔭は特にないんだよな。 大阪桐蔭VS三重も三重を応援してた。
球場内も三重贔屓だったな。
履正社はまだ大阪出身と北摂と隣接している阪神間兵庫の選手主体だから、
肩入れできる。 >>731
昔平成一桁後半に放送していたMBSラヂオ「板東英二生バンバン」で徳島県は茨城県に次いで観光客が来ない県や言うていたな。
確かに平成一桁時点では旅行業界で「四国Vルート」なんて言葉があって香川・高知・愛媛でVルート。
徳島県は蚊帳の外。
平成10年に明石海峡大橋(明石〜淡路島)が出来てから流れが変わったんかな?
この時は既に旅行業界から去っていたからようわからんが。
茨城県に観光客が来ないというても夏場は栃木県、群馬県から大挙して大洗海岸他に海水浴で押しかけるから
純粋に他県からの人の流れが無いのはもしかしたら徳島県かもしれませんね。
徳島県の名産品?
やっぱり徳島製粉の「金ちゃんラーメン」「金ちゃんヌードル」やね。 >>733
大阪桐蔭は良くも悪くも危なげないというか、淡々と勝っちゃうんだよな
記憶に残るといったら仙台育英にナイターで逆転サヨナラ負けした試合ぐらい
箕島、PL、横浜あたりと違って長年取り上げられるような名勝負がない >>736
相手がやや地味なので目立たないが、秋田や金沢にもやられそうになったじゃん。 >>738
ですね。
プロ注目の小深田は姫路出身ですが下宿で。 >>731
自分(関東住み)は鳴門工業が好きだった。
初めて見たのは1973のチーム。
春夏とも優勝校に負けたが、何故か見てて面白く応援してた。
2002選抜で準優勝した時、広島商に19−1とやり返したのは
本当に痛快だったよ。
今は統合されて変な校名になったのは残念。
鳴門高校も愛甲の横浜に0−1の試合とかあって好感持てたが、
最近は甲子園に出過ぎる感があって、それほどでもないな。 >>734
大阪桐蔭 対 履正社ってよくオ−ル
ジャパン 対 オ−ル大阪って表現さ
れ、管理野球対ノビノビ野球みたい
な戦いをイメージするんだが、なん
で履正社あんなに強いのって思う。 >>736
初優勝の時の絶体絶命からひっくり返した秋田戦
帝京戦は同点ホームラン食らったか、と思われた打球をレフト井上がジャンプして掴み捕り
直後の攻撃でその井上が今度は捕りようのないセンターへ一発なんてのもあったな >>594
深谷監督のPL戦9回の不可解な投手交代は箕島の
継投ミスのことが頭をよぎったんだろうね
結果的にPLの初優勝は箕島がアシストしたわけだ >>737
相手が地味というより、
1、2回戦だからあまり記憶に残らないということもあるかも。
PLが凄かったのはそういう試合が、
準決勝や決勝の大舞台で起こる。中京、高知商、印旛戦、
スコアだけ聞いたら誰もが逆じゃないかと思った池田戦とか。
また、負けた試合でも印象に残るのものが多い。
取手二、岩倉、伊野商、横浜戦とか。
まあ、そのPLも負けたとはいえ、98年夏の横浜戦が甲子園での最後の輝きだったか。
00年夏に智辯和歌山に4発もくらって、長打力でねじ伏せられたのをみて、
逆転のPLは完全に終わってしまった。 大阪桐蔭の試合は、はっきり言って感動と言う言葉とは無縁。そうゆう試合は1試合もない。 >>747
選手集め過ぎだわな
オールジャパンみたいな学校
プロで言えばもちろん巨人
自分達が強ければ良いって発想だろうけど、周りはどんどん冷めて行く >>740
鳴門渦潮高校ってドカベンに出てくる高校みたいだね。
鳴門高校なら済々黌高校との試合でドカベンのシーンを再現した「ルールブックの盲点」での得点シーンで有名になったね。 鳴門、鳴門商、鳴門工、鳴門第一、鳴門渦潮、校名が変わったよね… >>736
その仙台育英戦も、みている人8割くらいが桐蔭負けろ〜と願っていたと思う。嫌われてる学校ベスト10に、入っていると思うよ。 大阪桐蔭の話はおもしろくないから専用スレでやってくれないか? かつてはPL、今は大阪桐蔭が大好きな俺は50代では異端なのか 大阪桐蔭の面白いとこは「省力主義」、相手より1点多くとれば勝利、だから弱い相手
との試合でもふたケタ得点は取りに行かない。たまに例外があって、第100回大会
準々決勝、浦学の谷口は 生意気だったから 救援の左投手ともども文字通り
ボコボコにしたが >>754
谷口じゃなくて西武に入った渡邉じゃね?
一軍上がったら森友に受けてもらってサードにおかわりいる。またイジメられるのか?
少年野球とかでも二桁にならないように試合作るベテラン監督いるが、それを全国大会でやれるとはな。浦和学院には関西からも行ってるから、中学時代の実力からアイツがレギュラーで何番打つようではなどと見下されてたんだろうな。 大阪桐蔭が好きなんて珍しいね
集めた巨大戦力で劇的な試合展開も少なく淡々と相手を蹂躙して勝っていくだけのチームなのに >>744
え?
ここにくる人はみんなそうでしょ
秋田に負けそうだったことや帝京戦井上の活躍がなければ逆な展開になってもおかしくなかったとか >>757
大好きだよ
ここでは少数派ということも分かって主張するが、あれだけ全国から選手が集まるってことは中学生からしたらそれだけ魅力的な学校なのだろう
しかもわざわざ激戦区の大阪に来て自分を高めたいという意識の高い選手達だろうし >>750
旧制女学校→撫養高校→鳴門商→鳴門第一
旧制撫養中→鳴門高校
だっけ? 第49回選抜高校野球大会 1回戦 銚子商 対 大鉄 1/5
https://youtu.be/W7Y9oYX3xQE >>762
制球定まらない銚子商の先発投手に解説者が一度カーブ投げたらと指摘してたが、カーブに自信がなく全球ストレートしか投げられないレベルで全国大会とは、今の野球のレベルは40年前と比べるとかなり上がったんだなぁと実感する。
特に捕手の構えが中腰でミットに右手を添えた両手捕りなのは、大学生の息子が少年野球で年配コーチに指導された形そのものでなるほどと思った。古田がプロ入り後に今の形が確立されたようで、息子にはこれを見様見真似で教えてたから指導法の違いで混乱あったのを覚えている。 >>763
比企は翌年、捕手になりました。1塁守っていた、佐藤真がエースに。本当は前年秋もほぼエースだったけど、故障で翌年まで投げず。夏は陣容がガラッと変わってましたね。齋藤が捕手に、小倉がセカンドに、小野田の名前はありませんでした。春夏共に千葉商に負けました。 【屈指の好投手 金丸久夫】
昭和56年夏 2回戦 岡谷工 対 津久見
https://youtu.be/H_6XSWE-CGQ
(5分前に公開) 13:10 >>762
小野田は気が弱くて、中学時代も大事な試合は控えの柴田敦(市立銚子のエース)が投げていた。
体はでかいし球も速かったんだけどね。関東大会の東海大相模戦で炎上しあれが公式戦最後の登板じゃないか?
比企は下妻かどっかの出身で情報はなかった。中学時代は尾上(中日)の陰に隠れていた神原が秋の時点で
エースになっていたのにはびっくりした。余談だが神原も柴田敦も後年中学野球の指導者として活躍する。 >>765
金丸の球速いな
週刊朝日の変化球投手金丸とは何だったのか
小嶋監督がアサヒに騙されたとボヤいたのもよくわかる >>764
佐藤真は中学時代からすでに、兄(76エースの佐藤斎)より素質は上と言われていた。
銚子で行われていた第1回関東近県選抜の優勝投手で、素質は高く評価されていた。
1年秋の県大会準々決勝市立銚子戦で、先発神原のリリーフで出てきたがあの時は
腰を壊したような変な投げ方していたな。兄も腰に持病かかえてたから弟の方も腰やったのか?と思った。 >>768
佐藤真は、シュートのキレが抜群でしたね。後のヤクルトのエース高野に投げ勝った試合が、ベストピッチかな。東海大浦安が手も足も出なかった。決勝の我孫子戦はシュートがインコースで、デッドボールが3つくらいあって制球が甘くなったかも。 >>767
高校生でナックルを投げる投手なんて今も昔もなかなかいないからな。明野の鈴木(斎藤も?)か比叡山の村西くらいしかすぐには思い出せない。 大阪桐蔭がかなりディスられてるが、今夏の東海大相模戦は事実上の決勝戦と言っていい最高レベルの好試合だったと思う。
抽選なのに両校を引き合わせてくれた野球の神様に感謝。両校ともに持ち味を十分に発揮しながらもキビキビとした展開で試合時間は何と2時間弱。決勝打が代打のベンチキャプテンというのも感動的だった。 >>770
1981高崎高校エース川端俊介。自称かもしれないがナックルを武器に選抜出場。
そうレスしようと思って、ググったら昨年お亡くなりになったんだね。
合掌 >>772
以前、>>285に書いた者です。
山際さんもお亡くなりになったが、川端投手はまだ60代でしょうに、お若いのに、そうでしたか…。情報ありがとう。 >>773
81年大会なら自分の3つ上で56〜57ですね。まだ若すぎるよ。 >>762
いや〜、また、凄い映像が出たな。
今度は別な人か。
まさか、NHKの映像で昭和52年春の銚子商が見れるとは思わなかった。
斎藤、尾上の現役時代の映像を初めて見た。 >>765
この頃のユニいいな
少しゆったり目のニットでアンダーシャツもゆったり。ハイネックじゃない。
ストッキングも出しすぎず隠しすぎず、アンダーソックスの白もきっちり見えていて、胸ロゴも変な立体感なくシンプルなローマ字、そしてヘルメットは片耳。
完成されているよ 80年代前半までは変な形のメットあるよな
前橋工や鎮西みたいな
あとロゴ無しとか ノーカット版【伝説の荒井 対 野中】
昭和58年夏 3回戦 宇都宮南 対 中京
https://youtu.be/EGaWRijLhXQ
(3時間前に公開) 2:10:33 大鉄の前田は馬ヅラで、いかにも大阪のアホの子という風貌が良かった。
どおくまんや青木雄二の漫画に出て来そう。 >>778
大鉄は初戦負けしたから、夏はユニフォームを元々のアイボリーに変えていたな >>779
このカード、国体でも再現されたけど、中京が勝ったんだよね。荒井は初戦でPLや池田に投げる所を見たかったな。 >>775
夏は3番を打っていた大鉄の川端が、トップバッターでサイレン鳴り止まない初球をセンター前ヒットした場面、長い間記憶の底で眠っていたけど思い出したわ >>783
打つ気あるんだかないんだか、トスバッティングみたいに軽〜くセンター返ししただけ。10中89ヒットになるって分かってて先頭打者としては理想的なバッティング。
やられた相手投手からしたらたまったんじゃねぇ。まずはご挨拶とストライク投げたらいきなり無死一塁。走者が気になってあーなるわな。 >>784
俺も投手してたから分かるけど、初回
先頭打者にクリ−ンヒット打たれたら、
ほんま堪える。
あれっ?調子悪いのかなっ?て疑心暗鬼
になり、次打者への投球にも影響出るか
ら。
逆に打ち取ると、その試合は乗っていけ
たな。 >>779
宇都宮南の監督が荒井の活躍に味しめて
翌年から下手投げを必ず1人は造ろうとした
と地元では軽く話題になったな
荒井は数年前さくら清修高校の監督してたのは
知ってるが今も居るのかな?
余談だがさくら清修高では2年前
水泳授業中の女子生徒の下着がほぼ全員分
盗まれる事件があった。
我が家で被害生徒達はノーパンノーブラで
帰ったのかなーとかで話題になった >>773
石動の1年生エースも昨年くらいに亡くなったね スクイズてあれなんでやりたがる監督多いんだ
超A級投手相手ならわかるけど
たいした事ない投手や制球に苦労してる投手にやって助ける場面多いよな
スクイズてハイリスクローリターンだろ
サイン出された選手も嫌だろ信頼されてない訳だし
監督にとって成功した時の快感が強いてのがあるのかね
目立ちたがりの監督程やりたがるイメージあるな
いらない場面でスクイズ失敗して流れ変わって負けたとか沢山あるよな >>788
スクイズ
1外されたら終わり
2打者がサイン見落としたら終わり
3空振りしたら終わり
4フライ上げたら終わり
5転がせても捕手や投手正面ならアウトの可能性大
まあハイリスクだな 【恐ろしい打者 どこへ投げても打たれる】
昭和58年夏 下田和彦 (取手二) 全打席
https://youtu.be/jXeNTk44nMA
(5分前に公開) 23:11 >>787
ヤクルト寺島の同期の履正社・福田選手が3年前に水難事故で他界されたのも衝撃だった >>790
昭和58年じゃなくて、59年
第67回大会大会第六日第四試合 >>792
>>793
やはりそうだよな
これ取手が優勝した1984だよな
昭和のジジイはいつも間違えてばかりだわw
大体いつもそのままこのジジイが書いてるの写してるからな俺は
確認しなかった俺もバカだが >>794
66年の丙午生まれの俺が高3のときだから66回大会で間違いない。
KKが2年のときで、春は岩倉、夏は取手ニが優勝した年だ。 >>778
この人の動画をよくみたら、
あの千葉大会の史上最高の番狂わせといわれた、
昭和56年夏・決勝の銚子商vs銚子西の伝説の映像もあるな。
あと、89年夏の準々決勝で成東がこれまで何度も勝てなかった、
宿敵の銚子商についに勝った感動の試合の映像もある。 >>796
埼玉県人だが
この人の動画で上尾×上尾橘があって、
え〜? 橘って野球が強かった?
と思って見たら、そういうことだったのね
と納得した。 上尾は上尾橘みたいな弱小校にエースをぶつけたり、12点差でスクイズとか空気読まな過ぎ、鬼畜か。 >>62
酔いどれノックとゴボウ抜きノック。俺はドカベンで野球にはまった。 >>790
この箕島は阪神ドラ1の嶋田弟と広島ドラ1の杉本のダブルエースだったね。嶋田弟は下田を抑えてたが杉本から逆転打だったんだね。
このビデオにはないが、最終回2点ビハインドで二死走者一人、打者は嶋田弟、あわや兄弟揃って土壇場の同点ホームランを思わせる大飛球だったがフェンスいっぱいでジ・エンド。
兄の星稜戦をテレビにかじり付いて見てたから弟は同世代もあって感情移入した。その後兄弟で指名され、翌年の日本シリーズに一緒にベンチ入りして期待されてたが目立った活躍は出来なかったな。 東の清原言われた佐久間は肘と手首の腱鞘炎とかで駄目だったのはたまに聞くけど
銚子商の片平哲也はカープ行ったけど何で芽が出なかったんだ
打者だったみたいだけど投手は無理だったのか
銚子商史上最高の素材だったんだろ
エースで4番だし両方センスあったみたいだし桑田より体格は良かったから
大谷みたいな二刀流で試すとかあったら違ってたのかな
糸井も投手駄目で打者なって活躍したし
その糸井ももっと早く投手捨ててればメジャー行けたかもな
今の大谷も投手捨てる選択が迫られてるし当てはまるか >>800
甲子園の浜風に戻された。
他の球場なら間違いなく入ってた。 投打どちらも才能があると中途半端で伸び悩む事もあるようだな
片方不調でも逃げられるてのもあるのかな >>801
片平は中日2位。広島へはトレードで行った。 KK目線のラスボスとしては、野球の神様(高野連)
としては、箕島ではなく取手二を
銚子商ではなく、宇部商を選んだとしか言いようがないと思う
そして、そーいった新陳代謝を促す事によって、甲子園大会は
よくも悪くも"国民的行事"というステータスを保ったと思うw 昭和62年選抜の「広島商 VS PL学園」はほぼマニアでも語る人は少ないが黄金カードやね。
動画の「片岡全打席」で久々この試合をみた。岩崎も「変化球投手」という評価だが、動画でみると
変化球よりむしろ速球がいいな。144キロは出てるだろう。まあ世界大会優勝投手だから・・。青学3年時は若田部よりはるか格上だった。
が、25歳の都市対抗で久々テレビでみた(西濃運輸補強)が、もう見る影もない平凡投手になってた。 PLの名が出たので思い出したが、星稜が選手権に出た年はPLが優勝できないというジンクスがあったな。PLが優勝した年は常連の星稜以外が出てた(78、83、85、87)。こういう小ネタは探せばまだまだ出そうだ。 >>801
滅多に選手を褒めない斎藤監督が「木樽二世」と褒めたくらい投手としての素材はすごかったらしい。
でも、片平の投げてるところを初めて見たときはかなりがっかりした。俺の見た限り投手としては
佐藤斉(1976エース)とどっこいどっこい。プロで通用しなかった根本(大洋)より下としか思えなかった。
失礼を承知の上で近くで観戦していた某選手の父親に聞いたら「入学直後が一番球が速かった。だんだん
球が遅くなってきている」という評価だった。打者としては俺の見た限り宇野(中日)の高校時代より上だったんだがな。 >>809
トーナメントで試合作るって意味ではセンターの大川の方が安定感あったよね で、その父親に突っ込んで聞いてみた。彼の息子いわくで「片平が入学した直後は本当にすごかった。
速いというより極端なことを言えば球が見えなかった。でも1年の冬くらいかな?一緒に練習していて思った。
あれ?片平の球ってこんなもんだったっけ?何でだろう?」だったそうだ。その父親いわくで「片平は1年から
エース抜擢だった。やれ練習試合だ、やれ遠征だとそのたびに時間を取られる。その取られる時間がばかにならない。
その時間を走り込みやら基礎練習にまわしていたら今頃とんでもない投手になっていたんだろうけど。」だった。 >>810
大川は故障のため2年秋時点で投手としてはもう無理という評価だった。
実際秋準々決勝の拓大紅陵(今年もここに負けたね)戦で片平が炎上した時も
大川は投げるそぶりさえみせずブルペンでは山口克成が投球練習だったし
春は全試合片平が完投。夏の3回戦大勝している市川南戦。最後の1イニングに
大川がマウンドに立った時の銚商父兄席の不穏な空気は今でも憶えている。
「おい?本当に大川を投げさせるのか!」「大丈夫か!」というどよめきがあがったもの。 PLの清水孝悦って「スクール・ウォーズ」の梅宮辰夫みたいな存在になってるな。 >>721
仙台育英の3回の準優勝でよく試合に出てたレギュラークラス30人中東北出身は25人くらいになる。
89年は全員東北の選手。ベンチに1人神奈川がいたくらい。
01春はレギュラー中3人埼玉、1人大阪だがあとは東北出身。
15夏はレギュラー中2人が千葉と神奈川であとは東北だよ。 銚子商業の阿天坊、今でも地元のヒーローなんだな。
プロ入りしていないのにウィキペディアにも載っていて驚いた。 PLの清水孝悦て 高校生の時から あんな いかりや長介みたいなダミ声だったんやろか? めちゃめちゃ貫禄あるな >>809
銚子商のOBって野手はプロでも活躍する人は
いたけど、投手では木樽くらい?投げさせ過ぎ
で壊れちゃうのかな? ライバル習志野もプロで活躍した投手はいないな。
野手では谷沢、福浦と名球会入りが二人。掛布もいるし。
銚子はプロで活躍した野手は篠塚と宇野かな。渡辺進もまあまあだった。 >>818
木樽さんは、1年時は骨折を隠して試合に出てた。大会終わってからこっぴどく怒られたそうです。プロ入り後2年後くらいに腰を痛めていたのを結構無理して、1軍で投げたいために隠していたそうです。結局この時無理したのが引退を早めたそうです。 拓大紅陵高の木村は打たれるような雰囲気なかったな。小柄だったけどプロ入りすれば島田直也くらい
やれてたのでは?と思う。 >>821
選抜後は不調に陥り、春の県大会等は
背番号2桁だったと思うよ。
夏の選手権は背番号1に戻ってたけど。
東洋大姫路の長谷川などもそうだけど、
技巧派の投手って打たれ出すと、なぜ
抑えていたのか理由が分からなくなる
んかな?
でもまた元に戻るんだよな。 木村は小柄なわりに(当時としては)まあまあ速い球を投げてたぞ。報知でも130後半だったと思う。しかし、拓大紅陵って古橋といい変わった投げ方のピーが続いたな。 >>801
片平哲也は会津出身なのに、同県人からすると、越境にしても学法石川あたりにして欲しかったなぁ。飛び越えて銚子まで行っちゃうなんて…。 片平哲也は、投球終了後に良く帽子が落ちていたイメージ。
頭の振りが大きかったのかもね。
コントロールへの影響や、体の軸のブレもあったなら、
投球へのエネルギーロスもあったのかも。
当時甲子園では、144kmくらいがmaxだったように記憶しているが、
このブレが無ければ、150km近いストレートを投げていたのかも・・・ >>819
掛布ほどの選手でも2千本は打ってないのが意外。
篠塚も名球会じゃないんだね。
タイプ的には安打多いように見えたけど。 >>826
掛布は33歳で引退してるからね。
1985年の阪神日本一は30歳のときで、その翌年の死球骨折後はトラブル続きで不振に陥り、関西ファンには誹謗中傷されるわで、かつての成績に比べると仕方ないが残念だった。
俺がプロ野球を見始めた頃はまだ8番サードで、打てるのに何で8番?という疑問と右投げ左打ちの格好良さからファンになって、打席と守備でのルーチンを良く真似したものだ。指導者復帰は嬉しかったが、年齢的に最初で最後の掛布監督を熱望してたのに矢野はがっかりだった。 掛布や篠塚の頃は試合数も今より少ない130じゃなかった?少しの差でも10年以上やると違って来るよね 慎之助の親父は習志野で3番掛布、4番阿部の間柄だったんだね。掛布監督だったら巨人じゃなく阪神を逆指名してくれてたかもしれないのに。 >>821
選抜で新湊にまさかの滅多打ちされ春の大会は背番号10に降格。
春は県大会、関東大会と優勝するが木村は毎試合のように打たれていた。
そこから背番号1を取り返す事だけを考えて死に物狂いで練習。
どん底から這い上がった夏の木村は選抜時とは比べ物にならんくらい球速、球威、変化球のキレと全て増していた。
打線の調子が上がらず夏の甲子園も1勝のみに終わったが、夏の木村は優勝した天理でもそうは打てないと思わせる安定感だった。
正直プロうんぬんの投手ではないが、高校生の技巧派投手としては最高レベルにあったと思う。 >>824
父親が銚商斎藤一之監督の大学時代の後輩。
下宿先は斎藤監督の自宅だったって話だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています