【江上光治】池田高校の記憶☆part2☆【水野雄仁】
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阿波の攻めダルマこと故・蔦文也監督に率いられた徳島の山あいの高校が
文字通り全国を席捲して、県外の高校野球ファンをも虜にした昭和時代。
高校野球史上屈指の人気高校をさわやかに語るスレッドの第2弾です。
前スレ【さわやかイレブン】池田高校の記憶【やまびこ打線】
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1565831439/ 地元でちょっと頭が良い子が通う田舎の普通科進学校という立ち位置も良かったんだろうね。
野球・スポーツとは関係無しの大学進学や一般企業就職へのルートもそれなりに確保されているし。
だから少年野球で7番辺りだったという江上みたいに(多分通用しないと思うけど)もう少し野球やりたいなあという子も
気楽に進学・入部出来たし、甲子園などの場で自分の実力を的確に認識した上で、その実力に適した進路を選択する事が出来たと。
江上の場合は大学・社会人なら通用しそうだけど、プロ入りするまでのレベルでは無いなあと判断したという事だろう。
全国区の知名度・人気からプロ入りの誘いが引きも切らず、江上も相当迷ったみたいだけど。
>>531
梶田は筑波大から日生ですな。
外野手に転向して、秋の明治神宮大会(実質上の秋の大学日本一決定戦)で筑波大初優勝のヒーローになったのを憶えている。 江上の事は水野が「プロでやるのは無理」と言ったんじゃなかったっけ。 >>533
守備がアカンからプロは無理みたいな事言ってた気がする。 プロのスカウトも「あの程度のバッティングではプロでは通用しませんね」と語っていた。 >>535
カープのスカウトが打者としての藤王と江上ではかなり差がある。
圧倒的に藤王が上ってコメントしてたが、中学生のおれには差がないようにみえた。
また、甲子園組では市尼崎・池山、学法石川・松井、箕島・山下なんかも高く評価してたが、
「山下?知らんな。硯なら知ってるけど」となった。 藤王はプロでは全然だったなあ。
いろいろ問題起こしたし。
技術以前の性格の問題だったのか。
スレチだが。
江上は早稲田で主将務めたが成績は物足りなかった。しかし社業では成功した。 「勘違いしてプロに行こうと思うな。お前はアマチュア野球を仕切るような男になれ」と
江上氏に言った蔦さんの慧眼、恐るべし。 夏が不調で無かったら、プロからも声が掛かったかも分からんよ 江上は過去2回の大会はそれぞれ五割くらいの打率だった。しかし最後の夏は大会通して5安打だったか不振だったな。桑田からは2安打したと思うが。
やはり三連覇がかかって大騒ぎされたチームの主将としての重責のせいかな。 江上・水野の池田にボコボコにやられた
高鍋の横山・坂口が大学で大活躍したのは
やはり敗戦を糧にしたのかね? 最後の夏、江上のいい当たりが野手の正面だったり好守でアウトにはなってた。
それでも、3割を超えたくらいだろうから、どっちにしてもイマイチだったかな。
池田の選手はみんな守備は良くなかったよな。歴代でも上手かった選手とかいたっけ? >>541
同じ六大学に進んだ坂本なんかはリーグ戦に出場すらできなかったのでは?
江上にしてもイマイチだったし。 >>542
あの中京戦、江上だけノーヒット。
しかしすごいライナーが真正面ついて併殺とアンラッキーだった一打があむた。 目の覚めるような強烈無視なライナー。
その段階ですでにユニフォーム泥だらけの中京・野中は実にカッコ良かった。
どっちも負けて欲しくなかった。 強烈無視じゃなくて強烈無比。昼間から酒飲むとろくなことがない。 江上の甲子園でのホームランは荒木から打った1本だけなのか。
チーム全体でみても、82年夏は新記録の7本だったが、83年春は吉田の1本、83年夏は4本と意外と少ないんだよな。 >>547
水野は選抜では全試合2本ずつ(大会通算10本)ヒットを打ってるのに全部シングルヒットだったのは意外だった。 三年のときは水野はたたきつけるバッティングしていたからな。
あの選抜は江上も10安打だっけ?坂本は11安打と当時の大会記録にあと1本だった。 あの当時、よく「叩きつけるバッティング」なんていうのを聞いたけど、あれをするのがよく分からん。
ワンバウンドした打球がサードの頭上を越えてレフト前ヒットとか・・・そんなんだったと思うけど、長打力のないバッターならともかく水野がそれをする必要があったのかな。
1番坂本、3番江上が5割だったから、結果的に水野はチームトップの10打点、5番の吉田も5割だったから繋ぎの4番という感じで結果オーライなんかな。 >>550
水野のあの打法は蔦監督の指示だったのかな。水野のパワーと飛ぶ金属バットを考えたら、叩きつければ確実に外野に抜けてヒットになるとふんだのか。
荒木からの特大ホームランの印象が強烈だっただけに、三年時のあの短打ばかりの水野には「なんじゃこりゃ」と思った。
決勝の4回、江上の先制打に続いて三遊間に内野安打で2点目。「渋いでしょう、脚も見せたでしょう」のコメントにはセコいわ、と寂しくなった。
プロのスカウトでも水野は投手でいくべきか、打者でいくべきか、意見が分かれた。打者否定派はやはりあの金属バットを生かしての打法を難点と見ていたな。 早実戦は2年生の江上、水野が打ちまくって大勝したが、
窪ら3年生は負けを覚悟して荷物をまとめてたらしいね。
3年生は負けた時点で引退だけど、2年生は池田に帰って
あの地獄の西山トレーニングとかが待ってるから、負けられないと思って
奮起したのかなって。 早実戦の時はまだアウエーの空気で戦っていたが、翌年は雰囲気が一変。
完全に観衆を味方につけている感じがした。
江上・水野の打席の時は大拍手。 アウェーといっても、それは早実ギャルに対してだけだろう?
一般のファンは池田を応援していた。 池田が早実に勝って荒木からホームランを打った水野が女性ファンを泣かせたなんて言ってるが
池田も女性ファンかなりいたぞ >>556
強けりゃどこのチームでも人気はあるけど荒木は別格だからな。 強けりゃ金太郎みたいな顔していても女から人気は出るんだ、と83年の池田をみて感じた。
82年秋の月刊ホームラン「サヨナラ大輔、キミは青春のチャンピオンだ」の特集である小説家が寄稿していたが、その中で「水野も江上もズングリムックリしている。とてもギャルたちにモテそうな顔つきではない」と書かれていたが、世の中勝てば官軍か、としみじみ思った。 スポーツしている女子アスリートも最近は本当に綺麗だったり可愛い選手はいるけど
一昔前までは、そこまででもないけど、目立つ選手は美女アスリートみたいな感じで騒がれてる事もあった。
男子も女子もスポーツができると何割増しでよく見えるもんやね。
荒木の場合は、スポーツに関係なくカッコよかった。それで1年夏の甲子園で何十イニングも連続無失点だもんな。
それは凄い騒ぎになるのは当然やろな。 あのときのメンバーで男前だったのは捕手の井上だな。 おい、池田高校!
選抜に選ばれなかったのか!
もう一度、甲子園でパワー野球を魅せてくれ! 池田のみならず、徳島県全体がこの春の出場は絶望的だった。 もう復活は難しいだろうな。
過疎化がひどいらしいから。 全国募集校やし関西の選手が入学しやすくなったし、期待してるけどな
現にコーチも大阪の高校でコーチされてた人なんで。 2月27日放送の出川哲朗の充電させてもらえませんか、徳島祖谷地方から香川の父母ヶ浜までの旅を放送。何年か前の旅の再放送だけどね。
池田町を通過した時、池田高校を発見した出川哲朗さん、「あ、池田高校!池田高校だ…池田高校寄ろうかな」とおっしゃってました。夜の12時近くだったから寄りませんでしたが。
この場面、2時間半バージョンでは放送されてましたが、2時間バージョンではカットされてました。徳島ではテレビ和歌山では放送され、テレビ大阪ではカットでしたね。
2月27日の放送(徳島なら見れるのはテレビ和歌山)は2時間半ありますが、出川哲朗さんや小島瑠璃子さんら出演者のコメントも入るので、この場面が放送されるかどうかはわかりません。 出川哲朗さんは57歳だから、19,20歳の時がまさに池田の全盛期。一番記憶に残っている高校と違うかな。 俺が意外に思うのは83年のPLとの試合。
過去2年間、春連覇したPLの前評判が低いなんて信じられないような事実だ。
普通なら大阪代表と言うだけで優勝候補にあがるくらいだよ >>575
1983センバツは近畿勢が壊滅状態だったから大阪代表のPLも評価が低かったように思う。
近畿王者の泉州でさえ藤王の享栄に完敗し、報徳も佐世保工業の香田に完封負け。
好投手として評判の高かった長浜北の田島や上宮の松島も打ち込まれた。
その他、立命館、星林、高砂北も見せ場もなく初戦敗退だった。 83年夏は野球に興味持ってすぐの頃で詳しくは覚えていないのだが
優勝候補は池田はもちろん中京、広島商、横浜商あたりだったかな? 好投手は何人もいたけど優勝候補となると限られるな。
興南は優勝候補だったよな。 優勝候補なんてマスコミによっても評価は違うしあまりアテにならないよ
いくら優勝できる戦力をそろえても甲子園で勝てるかどうかは別問題だ
だからやっぱりその学校の近年の甲子園での戦績や地域を重視する >>576
高砂南な。
これはひどかった。いまなら最弱スレをにぎわしていただろう。 >>577
大会前の朝日新聞の記者座談会では、池田、箕島、横浜商業を三強とし、これを追って中京、興南、高知商業、広島商業としていた。 池田もそうだが公立高校が優勝候補に挙がるなんて今では考えられないな 選手集めて野球に専念させて特別扱いする実業団学校が占拠している現代がおかしいんだよ。
学生野球なのに。 今年の池田高校、10人ほど定員割れしている。県外から野球部に入るため制限なく入学できるようになってから、定員ちょうどで数年きていたのに。
今年も県外から入学しているの? 池田高校のすぐ近くを吉野川という大河が流れているけれどこれがまた素晴らしい。
最寄の阿波池田駅は特急も停車する駅なのでアクセスはしやすい。
駅の跨線橋を上がると深呼吸をせずにいられない。空気がやっぱり都会とは違う。
何年かに一回は四国に足を伸ばしている。 春の大会で初戦負けしたにせよ、現チームの話題ないのはどうなん。 あの年のPLは今でこそ伝説のKKコンビ初年度だが
何も知らずにピッチャーと4番が1年生と見たとき
未来の為に経験積ませるのが目的
話題作りの2、3回戦負けぐらいのチームかと思った
実際に関係者のYouTube見てもまさかって感じだし 親戚の話だが、高校時代(神奈川)の修学旅行で池田高校の前を通ったそうだ。
目的地への道程の途中に池田があったと思うんだけど、バスガイドが「あれが有名な池田高校です!」
と、誇らしげなアナウンスがあったらしい。
あまり野球に興味の無かった親戚でさえ感心したらしいから、よっぽど人気があったんだな。 >>582
>>583
公立校が強かった時代に熱狂できて良かったと思ってる。
今の状況は冷めた目で見るしかないもんなぁ… 春大会初戦敗退だけど、篠原投手が最速149K出して、一躍注目されてきたね。 全国のおっさんたちが待ってるからねえ
期待していいんかね? >>588
丘の上にあるから、道路からはさぞ見にくかったやろなぁ。それにしても、四国に修学旅行、しかも池田の前を通るとかマニアックやね。 >>592
祖谷のかずら橋(有名な橋)に行く途中か、帰る途中で池田の前を通り、ガイドさんがアナウンスしたらしい。
その話聞いた時、神奈川の進学校が徳島へ修学旅行って、いまいちピンと来なかったが、
出来たばかりの瀬戸大橋渡るのもイベントの一つとなってたらしいw >>593
なるほど、瀬戸大橋ができたのは1988年だから、桜間がいた時代とか、その後くらい。その頃なら池田は甲子園の常連だったからガイドがアナウンスするのも頷ける。
そうじゃないと、他に紹介するのが無さすぎるもんな。
ずっと吉野川と山の間の道を進むだけだし。 >>585
2回徳島へ行ったことあるけど、良いところだね。
たらいうどんが絶品だったし、鳴門の渦潮や、阿波踊りも凄かった。
徳島のみならず、四国は温泉不毛の地(道後は全国的に有名だけど)なので、
温泉好きの自分はあまり行く機会がないけど、一度行った祖谷温泉は凄かった。
四国では希少な源泉100%掛け流しで(四国は冷泉・鉱泉を沸かす温泉や循環濾過が多い)、
しかも湯量が多く、大袈裟でなく奇跡の温泉だと思った。しかもロケーションも抜群。
帰りに池田高校寄っとけば良かったなと後悔。 かずら橋に行ったことがあるが、近くを流れる川が感動的なまでに美しい。
夏の暑い盛りに川の冷たい水を頭からかぶり、極楽浄土の世界に生き返った。祖谷川という川で、やがては
吉野川に合流する。
池田高校のある徳島県は海もまた素晴らしいとコメントしておきたい。 エース梶田を擁して春夏連覇を狙った初戦で
明野に負けた試合後
アナ「水野投手の時といい、春夏連覇ならずに残念でしたね、白川さん」
白川「今年のチームは懸命に取り組んでいました、あのチームは腐り切っていました!」
全国中継でそこまで吐き捨てるように言うとは
裏でよほどのことがあったんだな水野世代 エース梶田がいた頃、2年生に桜間いたっけ?
翌夏の甲子園で浜松商業に延長で惜敗したとき、右腕の榎を出せばいいのにと思った。
捕手はオリックスへ行った杉本だったかな。
宇和島東との練習試合で凄い強肩を披露してた。
(昔の事なんで、記憶違いがあったらゴメンw) 86年の選抜優勝が空気になっている不運。
74年のさわやかイレブン準優勝の時よりも影が薄い。 >>598
杉本は腕っぷし強くて良い捕手だったな。
プロで大成するかと思ったが、あかんかったな。 >>597
明野戦のゲスト解説の時は、水野の代は驕っていた、という表現だったような。
ところで、今日鳴門にもし勝っても、力投型のエース1人だと、厳しい戦いが続きそう。
打線に勢いが出てきたのは明るい材料。 篠原温存できたのは大きいが、打線がちょっと厳しいな。 20年前の池田高校の修学旅行は北海道だったんですがバスガイドさんが「徳島の池田高校さんは力を入れている部活動とかあるのですか〜?」
との一言にバス内の雰囲気が重くなりましたw
その後、運転手さんが慌ててマイクを持って野球部のファンです的なことを言っていた記憶があります。
サービスエリアでバスガイドさんが運転手に物凄い怒られてた。。。
もう一回我が町が野球で盛り上がって欲しいです >>615
20年前なら甲子園に出場しなくなってから、そこそこ時間が経ってるから、高校野球に興味のない若いバスガイドなら知らなかったのかもね。
確かに担当する学校の事は調べておくのが基本だとしても、運転手も人が見てる前で怒らなくてもいいと思うわ。
山田世代、十川、浦世代で甲子園に出ていたら違ったのかもね。 蔦監督大の私立嫌いだったからな
公立で私立をぶっ叩くのがな夢だったらしい 全国版勝利インタビューで
水野にライバルは?
と質問しライバルはあのおっさんじゃと言ったのには笑った
当時の池田ナインは口悪かった 監督のことを「ブン」とあだ名を付けていた阿波の金太郎 徳島県 10月 2日
準決勝
・鳴門 − 池田
・阿南光 − 徳島商 >>618
私学嫌い、って?
そもそも徳島に野球部のある私学なんて無かったろうが。いまでも1校だけみたいだし。
私学が来てくれない田舎モンの僻みにしか聞こえんなw ここは昔の話でしか盛り上がらないスレだな。
今のチームについては殆ど出てこない。 >>603
えっ、天理青年会歌じゃなく天理高校校歌を!? 蔦監督 名言・ 格言(時代とともに)
・「そんなことやったら、いつまでたっても徳商に勝てんぞ」 - 甲子園初出場以前の口癖
・「山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ」[7] - 1971年夏、甲子園初出場時。この言葉は校門横の石碑にも刻まれている。
・「さわやかでも何でもない。ワシのしごきがきついけん、ついていけんようになっただけじゃ。」 - 1974年春(さわやかイレブンで準優勝時)
・「ワシはバントとかコツコツ当てていく野球は嫌いなんじゃ。野球に理屈はいらん。思い切り、のびのび打ったらええんじゃ」 - 1982年秋
・「ワシがノックバットを離すときは監督を辞める時。ワシは死ぬまで離さんぞ」 - 1987年
・「野球で必ずレギュラーになったエリートが必ずしも人生のエリートにはなるとは思わん。野球の控えは人生の控えではないと言う事を先生も良く言いよることじゃ」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています