>>183
> 確かに栗岡がいなかったら厳しかったでしょうねwあの時二番を打ってた
磯村は09年夏に優勝した時の捕手で、翌年主将も勤めた磯村の親戚でしたよね?

磯村は栗岡世代では遊撃の小川と共に2年生でレギュラーだったですね。カープに
いる磯村と違って小柄で猫背の左打ちの外野手でした。

> 所で甲子園に出た時は2回戦で、宿敵・県岐阜商と当たり、9回に追いついて、
延長10回に加藤のタイムリーでサヨナラ勝ちでしたね。
> 次の池田戦は試合が二日連戦になってしまったので、後半所のスタミナが切れ
てしまい、打たれて負けてしまいましたね。

連戦でしたっけ?そこいらは記憶があんまりないです。所2年で小川・磯村が
3年の年ですね。開会式で選手宣誓を終えた小川がチームの列に戻る時、中京を通り
過ぎちゃって、浪商の香川に気付いて引き戻したことが印象的です。


> 所が3年夏の時に負けた大府戦は9回までリードしながら、エラーで追い付か
れたと聞きましたが、そうなんですか?
> この代の享栄には彦坂って小柄な投手がいたと思うんですが、どんな投手
でしたか?享栄と言うと近藤や谷川みたいに大型の投手もいましたが、
> この彦坂や平田、高木と小柄な投手が結構活躍してたイメージがあります。

すみません。経過はよく覚えていません。とにかく9回か延長か覚えてませんが
とにかくラストイニングの表の守備で二死なのに一塁手がアウトカウントを間違えて
本塁に投げた?それが暴投になった?か何かで勝ち越し点を許し、敗れた
筈です。球場で観戦していましたがショックで私も頭の中が真っ白になりました。

>
> 槇原はやはり凄かったですか。槇原は2年夏も甲子園に行ってますが、確か
甲子園では投げなかったですよね?
> 予選でもあまり出番がなかったと記憶してますが、これは槇原がこの段階で
は制球難だったからですか?それか間瀬の調子が良かったのでしょうか?

槇原は1年の夏から大府のベンチに入っていましたね。当時は強豪で1年の夏に
ベンチ入りするのは珍しかったのでよく覚えてます。実は2年の秋の県大会まで
彼の投球を見たことがありませんが、2年夏の甲子園まではノーコンだったと聞いてます。
甲子園の始まる前の新聞の選手紹介で「球はべらぼうに速いがコントロールが
悪い」とありましたが、「べらぼうに速い」と言う表現が何かすごく印象的だったので
そのフレーズが今でも記憶に残ってます。本当に速いんだろうな、と言うのが
伝わる紹介文でした。
甲子園では2試合とも間瀬が完投したのですが、甲子園のブルペンで槇原が
投球練習をしたときに投げたボールがスタンドに入ってしまったというのを聞きました
とんでもないノーコンですね((笑)。
間瀬は大型左腕の割にスピードのない技巧派投手でしたが、安定感はありました
し、どこにボールが行くか分からない槇原に投げさせる勇気は当時の沢監督にも
なかったんでしょうね。捕手の馬場と三塁手の関が槇原と同学年で、関は甲子園でも
HR打ったと記憶してます。

槇原を生観戦したのはその年の秋の県大会一回戦(?)の岡崎工戦。確か
熱田です。1点失いましたが17奪三振で完投。全然ノーコンじゃないじゃん、と
思いましたしやっぱり速かったです。最終学年になって自覚が芽生えて取り組み
姿勢が良くなったのかも知れませんね。私も愛知県の野球観戦は長いですが、
観てきた中では右腕としては槇原と平田洋が双璧ですね。平田は残念でしたが。
左腕では工藤公康と近藤真一ですかね。濱田もよかったですが肝心な時に
故障っぽかったですしね。

長々と失礼しました。