2019年11月26日5時0分
星稜奥川の陰で投げ続けた「裏のエース」伊藤と芳賀
https://www.nikkansports.com/baseball/column/techo/news/201911250000947.html

明治神宮大会で星稜(石川)の関係者からうれしい報告を聞いた。

取材で顔なじみになっていた3年生の選手たちが大学でも野球を続けるという。

記者は「知られざる球数問題」とひそかに思っていた。打撃投手としてチームを支えた伊藤駿介
投手(3年)。
愛知県の小学校でドラゴンズジュニアに選ばれ、中日ドラフト1位の石川昂弥(東邦)らと
プレーした。豊田シニアでも活躍し、高校は星稜を選んだ。

大きな希望と自信を抱いて石川県に越境したが、入学直後から驚かされた。
「すごい投手陣だな」。同期にはヤクルト1位の奥川恭伸投手がいた。現実は厳しい。
最後の夏もセンバツに続いてあと1歩でベンチ入りに届かなかった。
甲子園で登録された4投手はいずれも中学軟式で全国優勝。
しかもスーパーエース奥川がいたため投手枠は例年より1〜2人少なかった。

夢破れた伊藤のもう1つの戦いが始まった。
林和成監督に「チームのために投げてくれ」と打撃投手に指名された。
171センチと小柄だが最速140キロの直球に、切れ味鋭い多彩な変化球を持つ。

15年のセンバツで優勝した敦賀気比は、のちに西武入りするOB玉村祐典投手の球を打って
打撃を強化したという。
林監督はその話を引き合いに「いい投手が投げてくれるのは大きいんです。本当にありがたい」
と感謝していた。

甲子園に来てから伊藤はさらに投げまくった。肘が伸ばせなくなるほどの激痛が襲う。
それでも顔色一つ変えず、炎天下で腕を振った。魂のこもった球を毎日打ってきた打者陣は、
甲子園で快打を連発した。

伊藤の好きな言葉は「耐雪梅花麗(ゆきにたえてばいかうるわし)」。仲間のために、
日の当たらない仕事を必死に務め上げた。
「正直、限界です。でも選手にありがとうと言われると励みになった。
結果的に(競争に敗れ)こうなってしまったけど、ここまで成長できてよかったです」。
記者も救われた気持ちになった。

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