>>199
下に貼られたブログで高嶋さんが批判されてるわけだけど、確かに高嶋さんは育成に関しては色々言われても仕方ない。
奈良では天理、和歌山では箕島という全国の強豪を倒すために新興野球部を一から鍛え上げるのが全ての時期が長かったこと、
盟主打倒を果たした後は今度は甲子園で勝つという目標で頭が一杯になったこと、
同年代の名将たちよりずっと遅くに活躍した晩成型の監督だったために高校野球レベルの目標を達した頃には既に50代半ばとなり、
今更頭を切り替えて育成に力を入れるという器用なことはできず、そういうノウハウも元から持っておらず、
結局キャッチアップ型の発想から抜けられず、晩年は高校野球のレベルアップでキャッチアップすらままならなくなっていた。

ただし、高嶋さんが同年代の他の強豪名門校の監督たちより一つ決定的に偉かったのは、
自分が辞めた後のチームのことをようく考えていたところ。
智弁和歌山を一時の記憶に残るチームで終わらせるのではなく、中京大中京や龍谷大平安のような
50年100年続く名門強豪校にする意志を持っていたのであろう。
だから自分の指導の弱いところ・弊害をきっちり埋めてくれる後継者をずっと前から探し求めていた。
高嶋さんができなかったことを今、中谷監督やその門下生たちがやっている。