畠山は二年夏と三年春に甲子園に出ていたら、池田はどこまで勝ち進めていただろうか。
蔦監督は三年夏の優勝後に、最後の夏に初めて出たのが結果としては良かった、最後だから目一杯の力が出たんじゃろうとか言っていたが。
二年夏は徳島商のカードを当てると前年優勝の横浜、次いでこの大会優勝の報徳、その次は荒木の早実か。