【さわやかイレブン】池田高校の記憶【やまびこ打線】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
阿波の攻めダルマこと故・蔦文也監督に率いられた徳島の山あいの高校が
文字通り全国を席捲して、多くの越境ファンを獲得した昭和時代。
高校野球史に残る池田高校を地味に語るスレッドです。 甲子園での優勝もだけど勝率も池田は全国屈指だもんな。 >>852
渦潮打線と言われて打力が注目されてたけど、春夏とも打線が沈黙して1対0で負けたんだよね。
まあ相手のピッチャーが両方とも後のドラフト1位、滝川・石本、横浜・愛甲だったのも不運だったけどね。
逆に前評判は高くなかったけど、ピッチャーの島田はよくがんばった。 <1980年 県大会決勝>
池田 100 010 000 計2 H10 E0
鳴門 003 000 00X 計3 H 5 E3
(池)田所、畠山
(鳴)島田
なぜ、この内容で池田は負けたのか・・・という感じやね。
試合を押していたのに併殺(2個)と残塁の山(10個)で、1年畠山の夏が終わった。
1年夏の畠山の成績 16回2/3 被安打6 自責点0
この年の池田のチーム打率.258
ベンチ入りの半数以上が1年、2年だった為に翌年のチームは期待されたが・・・。 畠山は最後の最後でようやく甲子園に行けたと。全国優勝出来たから最高の
終わり方で良かったけど。 >>854
80年夏は下馬評ではやはり鳴門が本命だったよね? 鳴門本命かと。特に夏は横浜が全国優勝しただけに
後になって強いことが証明された感じ。 <1980年 春季県大会>
池田8-1鴨島商(8回コールド)
池田10-1阿波(7回コールド)
池田7-0小松島(7回コールド)
池田2-0鳴門商
池田8-1海南
<四国大会代表決定戦>
鳴門 000 100 000 計1 H 5 E0
池田 000 032 00X 計5 H14 E2
(鳴)上原、新宮、高井、山中
(池)田所
島田は登板せず、池田の快勝。
まるで全盛期並みの勝ち上がりで優勝。
池田・田所は、県大会から全イニング登板。
田所 49回 被安打23 奪三振32 与四死球8 自責点3 防御率0.55
大物新人・畠山の入学で、夏の県大会は先発・田所-畠山の継投が確立された。 智弁和歌山の野球部が創部された頃に
池田へ遠征して30点近く取られてボロ負けした。
高嶋監督が池田とウチとなんでこんなに差があるのか?と
その後トレーニング方法を研究して強豪校を作った話は有名だね。 複数の高校を育成した感のある池田高校。例えば帝京とか。 鳴門は愛甲の横浜に善戦はしても勝ってない。横浜に善戦しただけで一気に評価が上がったのは違和感があった。中西の高知商業はセンバツ優勝しても、選手権で箕島に5ー0で負けたら一気に中西は落第、と書かれた。評価なんて適当。 たしかに中西は夏の大会で評価落としたな。
完成されすぎていてスピードがそれ以上上がらない、伸びしろが少ないという声が多かった。 コンディション、マインドを甲子園本番にあわせてピークにもって行くのは至難。82夏の池田は見事にはまったが、83夏の池田はマインドの面で?それと甲子園での組み合わせがミソかと。勝ち進んで、勢い出るとこと疲れきってしまうとこが有る。 83年夏の池田はあきらかに選手が疲れ切っていた印象だな。
いつもなら追い込みをかける練習時期(5月〜6月)に招待試合ばかりで、
体力強化が出来なかったことも原因だっただろうし、連覇のプレッシャーも
相当なものがあっただろうし。 準々決勝が中京相手で勝ったことにより「イケる」の空気に
染まってしまったか。 水野が押さえて打線が打って、のパターンが崩れたな。中京戦は水野が苦戦しながらも押さえていたのが大きかった。 ◆ 1980年・夏 ◆
<1回戦>
池田 007 000 2 計7 H 7 E 2
市立 000 000 0 計0 H 2 E 1
田所、畠山-大西
<2回戦>
池田 210 211 010 計8 H13 E 0
城南 100 000 100 計2 H 7 E 2
田所、畠山-大西
<準々決勝>
高専 000 100 000 計1 H 3 E 5
池田 060 000 10X 計7 H 4 E 0
田所、畠山-大西
<準決勝>
鳴商 000 000 020 0 計2 H 8 E 1
池田 001 000 001 1x 計3 H 6 E 7
田所、畠山-大西
<決勝>
池田 100 010 000 計2 H10 E 0
鳴門 003 000 00X 計3 H 5 E 3
田所、畠山-大西 準決勝鳴門商戦のエラー7個ってすごいな。
よく2失点ですんだな。 県大会の準決勝で7つもエラーして、それで勝つのは奇跡やね。
おまけにエラーしなかったのがレフトとセンターだけで、他は全て1つずつエラー。
ピッチャーもエラーしてるとはいえ、よくキレずに投げたと思う。 7つもエラーしたら大量失点しててもおかしくないのに
2点に抑えたのは驚きだわ。 1試合で7エラーするチームが3試合はノーエラ―だもんな。
よく分からんもんやね。 ◆1980年・秋(県大会)◆
◇一回戦◇
池田 201 100 002 計6
鳴門 000 000 000 計0
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 3安 6振 2球 0責
〔鳴〕梁木、吉成
<打撃成績>
〔池〕34打 11安 3点 3振 6球 本0 三0 二0 盗3 失0
〔鳴〕29打 3安 0点 6振 2球 本0 三0 二0 盗1 失6
◇二回戦◇
徳島工 000 020 000 計2
池 田 000 001 011x 計3
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 4安 6振 4球 2責
〔徳〕吉野
<打撃成績>
〔池〕33打 8安 2点 2振 2球 本0 三0 二1 盗1 失0
〔徳〕28打 4安 1点 6振 4球 本0 三0 二0 盗1 失3
◇準々決勝◇
池 田 100 030 000 計4
小松島 010 020 20X 計5
<投手成績>
〔池〕畠山 8回 5安 6振 5球 1責
〔小〕四宮
<打撃成績>
〔池〕35打 8安 4点 3振 3球 本0 三0 二0 盗2 失4
〔小〕25打 5安 4点 6振 5球 本0 三0 二1 盗0 失1 >>874
確か2回戦の徳島工業戦で、畠山が右手に死球を受けたのかな?
それともバントした時に指に球を当ててしまったのだったか?畠山にアクシデントがあったような記憶がある。 >>876
データ上では、死球や犠打は無いと考えられるけど、バントで手に当ててファウルになったのならデータには残らないから可能性はあるかな。 畠山はたしか鳴門商業に行くつもりだったんでよな。二年、三年の春に鳴門商業が出場したとき、畠山はまだ甲子園に出場できていなかった。二年の秋は鳴門商業に負けたため四国でも明徳と初戦であたり負けて出られなかった。
このときは鳴門商業に入っていればよかった、と畠山は思ったかな。 畠山一年生の秋季は小松島なんかに負けたのか。
あの頃小松島なんか強かったっけ >>879
ヒット5本だから強くはないんじゃないの。
結局エラー4つが問題だったという事やろね。
1年秋で3試合で被安打12本は上出来だと思う。 ◆1981年・春(県大会)◆
◇一回戦◇
阿波商 000 000 0 計0
池 田 521 241 X 計15
<投手成績>
〔池〕畠山 5回 2安 ?振 ?球 0責
〔池〕内藤 2回 0安 ?振 ?球 0責
〔阿〕森本、樫原
<打撃成績>
〔池〕26打 12安 14点 4振 10球 本0 三2 二0 盗8 失0
〔阿〕22打 2安 0点 6振 1球 本0 三0 二0 盗0 失3
◇二回戦◇
徳島工 300 010 200 計6
池 田 200 102 101x 計7
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 11安 5振 3球 5責
〔徳〕吉野
<打撃成績>
〔池〕33打 13安 6点 2振 7球 本0 三2 二3 盗2 失0
〔徳〕30打 11安 6点 5振 3球 本0 三1 二1 盗1 失1
◇準々決勝◇
池 田 020 000 100 計3
阿高専 000 000 000 計0
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 3安 1振 1球 0責
〔阿〕賀川
<打撃成績>
〔池〕32打 6安 2点 0振 4球 本0 三0 二2 盗1 失1
〔阿〕29打 3安 0点 1振 1球 本0 三0 二1 盗0 失1 ◇準決勝◇
池 田 000 1030 4 計17
鳴門工 010 1 0 0 0 計 2
<投手成績>
〔池〕畠山 7回 6安 2振 1球 2責
〔鳴〕国見、宮内、野中
<打撃成績>
〔池〕39打 20安 16点 5振 6球 本0 三2 二2 盗0 失1
〔鳴〕26打 6安 2点 2振 1球 本0 三0 二0 盗1 失1
◇決勝◇
池 田 290 201 040 計18
徳島商 000 300 100 計 4
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 8安 4振 6球 1責
〔徳〕遠野、山本、遠野、山本、遠野
<打撃成績>
〔池〕40打 18安 17点 6振 8球 本0 三4 二5 盗2 失3
〔徳〕34打 8安 2点 4振 6球 本0 三1 二2 盗1 失0
◇四国大会代表決定戦◇
池 田 100 140 100 計7
鳴門商 000 000 010 計1
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 9安 4振 1球 1責
〔鳴〕木村、上原
<打撃成績>
〔池〕33打 12安 6点 5振 6球 本0 三0 二4 盗0 失1
〔鳴〕35打 9安 1点 4振 1球 本0 三2 二0 盗1 失2 ◆1981年・春(四国大会)◆
◇一回戦◇
池田 000 100 035 計9
高知 000 000 000 計0
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 5安 4振 1球 0責
〔高〕田中、森田、久保
<打撃成績>
〔池〕37打 11安 9点 3振 7球 本0 三1 二3 盗2 失0
〔高〕28打 5安 0点 4振 1球 本0 三0 二2 盗0 失1
◇決勝◇
池 田 001 210 000 計4
高松商 000 001 04X 計5
<投手成績>
〔池〕畠山 8回 9安 2振 1球 5責
〔高〕石田、新田
<打撃成績>
〔池〕33打 9安 4点 0振 3球 本0 三0 二2 盗1 失1
〔高〕32打 9安 5点 2振 1球 本0 三2 二3 盗4 失2 うーん。
春は18-4でフルボッコした徳島商に夏は敗れて甲子園を逃すとはな。 遠野投手は81年選手権では、徳島の二年生投手らしからぬ完成された好投手みたいに思えたけど、春はスカスカに打たれたのか。 81年夏、遠野に抑えられて延長の末1-2で敗れて甲子園を逃す。
新チームでは81年秋準決勝で7-0、畠山は遠野からホームラン、投げては完封。
82年夏決勝も6-3で勝ったんだったな。4回裏だったか、一挙3点取られて同点になったとき、ベンチに戻った畠山は蔦監督からキックを受けたらしいな。テレビに映らない角度から蹴りを受けたらしい。 81年夏の県大会での遠野のピッチングは凄かった。遠野のピークがこの年の夏の県大会だと思う。
縦に大きく落ちるカーブが打者の膝下低めギリギリに決まる。あれをストライクにされたら打てない。
池田戦の1失点だけしか取られていないのではなかったかな。甲子園ではカーブがあまり決まらなかった。
新チームになってからも、この夏には遠く及ばない出来が続いた。池田、畠山にとっては81年夏は不運だった。出場できていれば優勝候補には挙げられていただろうに。 81の秋季大会決勝戦で鳴門商業に負けて二位になってしまい、四国大会では一回戦で不気味苦手の明徳に負けてしまった。畠山の親父さんは蔦監督に何回も甲子園に行けると言っていたのに話が違う、と怒りの直談判したとか。 >>887
81年夏の甲子園の開幕前の展望記事で、四国は池田の不出場で小粒な顔ぶれになった、と書いている新聞があった。 池田は81秋の四国大会は、明徳と別ブロックなら高知商と対戦になっていたけど果たして勝てただろうか? >>883
四国大会は水野の代になって秋も春も初優勝したわけだけど、その後も蔦さんは「四国で優勝するのは難しい」と言ってたな。
この春の決勝もまさか4-0から逆転負けするとは思わなかったやろね。 >>888
<1981年・秋(高知県大会)>
明徳5-0土佐
明徳15-2高知工(5回)
明徳5-0中央
高知商11-0須崎工(5回)
高知商14-1須崎(5回)
高知商7-0高知
◇決勝◇
明 徳 210 000 003 計6 H10
高知商 000 000 000 計0 H 5
(明)弘田
(高)中脇
明治神宮大会で優勝した後の明徳よりは実力は下だろうけど、結局ピッチャーの調子次第という感じかもね。
池田に勝った明徳は次の試合で丸亀商にまさかの敗戦。とはいえ丸亀商が決勝で高知商にも勝って結局優勝したわけだけど。
翌年の選抜は四国勢は4校が出場したけど、なんか微妙だったな。明徳-箕島は球史に残る試合ではあったけど、他がねぇ。 82年の高知商は森田・安岡が主軸の打線は力があったが、投手が計算できなかったな。
エース中脇は夏に見たときは大したことないと思ったけど、肩か肘を痛めていたのでベストの状態での投球はどうだったんだろう。
控えには津野がいたが、この時点では投げてみなければその日の出来が分からない投手だったみたいし。 82センバツの高知商業は、これが高知商業?と思うような弱いチームと思った。選手権予選でも明徳に勝ち出場したが高知商業らしからぬ弱いチームと言う印象だった。
明徳が選手権にも出てほしかった。 82年春の報知高校野球の選抜ガイド号では、高知商が例年どおりの強いイメージで勝ち進めるか、新チーム結成後の成績は27勝15敗?(数字は違うと思う、すいません)お世辞にも好成績とは言えない、と書かれていた。
中脇は秋の四国の準決勝の鳴門商戦、味方がなんと7失策しながら延長10回2-0で完封して選抜を当確にした。
明徳のほうが力は上だと思ったが、このころ明徳は夏に高知商に勝てなかったからな。 高知商は初戦は沢山ヒットを打ったのに5点しか入らなかった(高知商5-2延岡商)。
2回戦の郡山戦は初回のノーアウト満塁(四球とエラー)で大量点かと思ったら無得点。
「でも勝てるやろな」なんて思ったら、盗塁されまくって、暴投にエラーと好き放題やられて負けた(高知商1-5郡山)。
夏の初戦も最初は楽勝かと思ったら、点を取られて終わってみれば(高知商5-3安積商)。
2回戦は先制して同点にされても勝ち越していたけど、終盤は防戦一方の感じで結局サヨナラ負け(高知商3-4東海大甲府)。 たしか延岡商戦は毎回全員の15安打を放ちながら4回以降は無得点。
郡山戦は一転の貧打。津野が投げたがやはり不安定だった。
夏は予選で松本が打率8割台で話題になった。東海大甲府戦は中脇が途中から肩が痛くなったのかな、ナインも変調には気づいていたが監督には話さずに結局サヨナラ負け。
森田も前年春のようには活躍できなかった。ハンサムというだけが印象に残った。 現在では明確に高知県のドンは明徳義塾だが、当時は高知の王者は高知商業という認識で
新興勢力の明徳が挑むという構図に見えた。 明徳ってセンバツ優勝の中西投手の高知商業に、選手権予選決勝戦でギリギリの試合したのをニュースで見て初めて知った。まだ創立数年だったんだな。 池田は、1979年の橋川−岡田のバッテリーで甲子園で準優勝してるけど、その時の準々決勝で対戦したのが高知高校。
県大会決勝で0-1負けたのが明徳。高知がベスト8だから、当時から全国レベルのチームだったのかもね。
その年の秋は、翌年の選抜優勝の高知商に安打数で上回りながら準決勝敗退。
翌年1980年春は県大会で優勝し、選抜帰りの高知商に延長の末13-11で勝ち四国大会出場。
四国大会初戦で敗れ、3位決定戦で池田と対戦。
池田の先発は公式戦初先発の畠山準、明徳の先発は河野博文(後の日本ハム−巨人など)。 ◆1980年・春(四国大会)◆
◇3位決定戦◇
池田 000 000 043 計7
明徳 010 001 122 計7
※大会規定により引き分け
<投手成績>
〔池〕畠山 7回 30打 10安 0振 0球 3責
〔池〕田所 2回 15打 6安 2振 2球 3責
〔明〕河野 7回 28打 3安 6振 3球 2責
〔明〕池田 0回1/3 4打 1安 1振 0球 0責
〔明〕小川 1回2/3 10打 0安 3振 5球 2責
<打撃成績>
〔池〕31打 4安 5点 10振 9球 本0 三1 二1 盗2 失2
〔明〕41打 16安 7点 2振 2球 本0 三1 二6 盗3 失4 >>903
俺は80年春の四国大会代表決定戦で、選抜優勝帰りの高知商を破ったと聞いて明徳の名を初めて知ったかな。
この試合、高知商は中西が先発しないで明徳の一方的展開となったが、9回裏に高知商がなんと7点か8点取ってまさかの延長戦となった。
同点になって中西が登板したが、中西から決勝ホームランしたのが横田(のちロッテ)。
夏は高知商は危ないぞと思ったものだ。
夏は決勝で予想どおり両校の対決。中西か2失点とふんばり、9回押し出しでサヨナラ、スコアは3-2。
このとし四球を選んだ打者走者が一塁に到達しなかったのだが審判が試合終了をコールしたのでひと騒ぎとなった。全国紙の社会面にも載った記憶がある。 細かい事だけど・・・
【誤】
〔明〕河野 7回 28打 3安 6振 3球 2責
【正】
〔明〕河野 7回0/3 28打 3安 6振 3球 2責
8回無死から8番畠山(左翼線2塁打)、9番武田(四球)、1番大西(右中間3塁打)で1点差になった後に河野降板。 1980年・夏(高知県大会)
<高知商>
1回戦・・・4-0安芸
2回戦・・・6-0高知西
準々決勝・・・7-2宿毛
準決勝・・・4-3中村
<明徳>
2回戦・・・12-3伊野商(7回)
準々決勝・・・14-1小津(7回)
準決勝・・・7-0安芸工
◇決勝◇
明 徳 000 100 100 計2 H9
高知商 010 000 101x 計3 H6
(明)久保田
(高)中西
※初戦から毎試合登板していた河野は結局登板なし。打者として4回表に一時は同点となるホームランを放つ。
9回裏の高知商は、2死ランナー無しから満塁として、最後は押し出し四球でサヨナラ勝ちで甲子園出場を決めた。 >>905
◆1980年・春◆
◇四国大会代表決定戦◇
明 徳 530 000 003 02 計13
高知商 000 310 007 00 計11
(明)河野
(高)小嶋、伊藤、中西 選抜優勝帰りの四国大会代表決定戦は盛り上がるね
この時の高知商−明徳戦の観客が史上最多の2万人(高知・春野)満員
夏春連覇の後の1983年の池田−徳島商が1万1千人(蔵本)雨か雨上がりの影響があったか?
1986年選抜優勝時の池田−小松島西が1万5千人(徳島・蔵本)満員
1988年宇和島東−松山商が1万5千と書いているが、実際には超満員の2万5千人
1983年の池田の夏春連覇後の四国大会(愛媛・松山)が2万3千〜2万5千人
1995年の観音寺中央−坂出商の試合が3千人・・・ちょっと少ない気がする(間違いか?)
80年代と90年代で高校野球の盛り上がりは違うとはいえ、さすがに3千人は・・・。 >>907
高知商の初戦の相手の安芸は、前年高知商を完封した投手がいたよな、たしか。
前年は森が体調不良で二年生の中西が登板、立ち上がり失った1点をはねかえせず敗退した。 >>910
浜田という2年生の左腕ピッチャーやね。
翌年の春季県大会で優勝した明徳とも(1-0安芸)という僅差の試合をしてる。
<1980年・春(県大会)>
明徳8-0高知東工
明徳1-0安芸
明徳13-0高知西
明徳9-2高知
<四国大会代表決定戦>
明徳13-11高知商(延長11回) >>904
これが池田と明徳の初の公式戦での対決かな。
たしか決勝の高松商対今治西は、延長18回、8-6だったか高松が勝ったんだったかな。 ◆1980年・春(四国大会)◆
◇1回戦◇
池 田 000 010 001 計2
今治西 203 010 00X 計6
<投手成績>
〔池〕田所 8回 35打 8安 5振 1球 4責
〔今〕大沢 9回 33打 6安 10振 2球 1責
<打撃成績>
〔池〕31打 6安 1点 10振 2球 本0 三0 二0 盗0 失3
〔今〕32打 8安 4点 5振 1球 本0 三0 二3 盗1 失1
◇1回戦◇
高松商 000 103 000 計4 H9 E1
明 徳 100 000 000 計1 H7 E2
<投手成績>
〔高〕石原 9回 34打 7安 4振 1球 1責
〔明〕河野 5回2/3 25打 6安 4振 3球 2責
〔明〕池田 3回1/3 15打 3安 1振 2球 0責
<打撃成績>
〔高〕34打 9安 2点 5振 5球 本0 三0 二1 盗3 失1
〔明〕32打 7安 1点 4振 1球 本0 三0 二0 盗2 失2 >>912
◇3位決定戦◇
池田 000 000 043 計7
明徳 010 001 122 計7
※大会規定により引き分け
<投手成績>
〔池〕畠山 7回 30打 10安 0振 0球 3責
〔池〕田所 2回 15打 6安 2振 2球 3責
〔明〕河野 7回0/3 28打 3安 6振 3球 2責
〔明〕池田 0回1/3 4打 1安 1振 0球 0責
〔明〕小川 1回2/3 10打 0安 3振 5球 2責
<打撃成績>
〔池〕31打 4安 5点 10振 9球 本0 三1 二1 盗2 失2
〔明〕41打 16安 7点 2振 2球 本0 三1 二6 盗3 失4
◇決勝戦◇
高松商 000 200 200 101 000 002 計8 H21 E2
今治西 002 002 000 101 000 000 計6 H18 E5
※試合時間4時間18分
〔高〕石原 18回 73打 18安 5振 3球 6責
〔今〕大沢 11回2/3 49打 17安 3振 0球 6責
〔今〕日野 7回 26打 4安 0振 1球 2責
<打撃成績>
〔高〕72打 21安 7点 3振 1球 本1 三1 二3 盗6 失2
〔今〕66打 18安 5点 5振 3球 本0 三0 二1 盗2 失5 ◆1981年・夏(県大会)◆
◇一回戦◇
板野 000 000 0 計 0
池田 258 421 X 計22
<投手成績>
〔池〕内藤 3回 1安 ?振 ?球 0責
〔池〕水野 3回 2安 ?振 ?球 0責
〔池〕畠山 1回 0安 ?振 ?球 0責
〔板〕児島、江美、児島、江美
<打撃成績>
〔池〕35打 18安 17点 5振 8球 本0 三6 二2 盗17 失0
〔板〕23打 3安 0点 13振 0球 本0 三0 二0 盗 0 失3
◇二回戦◇
池 田 600 070 0 計13
小松島 000 000 0 計 0
<投手成績>
〔池〕畠山 6回1/3 1安 ?振 ?球 0責
〔池〕水野 0回2/3 0安 ?振 ?球 0責
<打撃成績>
〔池〕33打 18安 11点 0振 4球 本0 三0 二3 盗2 失2
〔小〕23打 1安 0点 6振 2球 本0 三0 二0 盗0 失3
◇準々決勝◇
池 田 000 100 000 00 計1
徳島商 000 001 000 01x 計2
<投手成績>
〔池〕畠山 10回2/3 42打 9安 6振 2球 2責
〔徳〕遠野 11回 42打 3安 2振 7球 1責
<打撃成績>
〔池〕33打 3安 1点 2振 7球 本0 三0 二0 盗0 失2
〔徳〕37打 9安 2点 6振 2球 本0 三0 二1 盗0 失0 水野って一年生の選手権予選でもう公式戦登板していたのか。
水野と同い年の鴨島一中出身県大会優勝投手の上原がエースになると思っていたが。 >>907
この試合、明徳は本格派の河野より、隠し玉のアンダーハンド投手を
起用した。
作戦はハマったが中西の方が一枚上だったと記憶している。 >>915
春はボコボコに打たれた遠野が夏は3安打に抑えるとは。遠野が最高の投球したんだな。
このあたりから畠山は甲子園にいつ出られるのか、との声が大きくなってきたと思う。 >>856
どこが本命だと思うかは人それぞれだろうけど・・・
1980年の夏は、鳴門が本命で、大して差はなく池田が対抗馬で2強の扱い。
そして差があって、鳴門工・鳴門商・海南・阿南工・富岡西など。
ちなみに富岡西は水野の兄がエースで徳島では県内屈指の好投手の1人として名前が挙がっている。
その富岡西は、初戦の鳴門工に6-3でするも、2回戦では優勝した鳴門に1-2の惜敗。
鳴門優勝までのスコアが「15-0徳島東工」「2-1富岡西」「10-2宍喰商」「8-2小松島西」「3-2池田」と考えれば、いかに水野の前に苦戦していたのかが分かる。 1981・1982年の今治西、藤本投手はあまり絡みは無かったのですか?南海では、一時期エース級の活躍しましたよね。 >>921
81年秋、直前の夏の甲子園でベスト8進出した藤本一武田の今治西は県準決勝で1-4とまさかの敗退。
翌年春も優勝できず(優勝は三島高校)、夏も決勝で川之江に0-3と敗退、甲子園に戻って来れなかった。 池田・畠山準(南海1位)と同期の今治西・藤本修二(南海5位)−武田康(大洋5位)バッテリー。
池田が県大会で小松島に敗退した1980年秋に四国大会進出も初戦で丸亀商に敗退。
丸亀商 004 100 300 計8 H 8 E0
今治西 020 101 000 計4 H10 E1
〔今〕渡辺弘 3回2/3 5安 4振 3球 5責
〔今〕藤 本 5回1/3 3安 5振 1球 3責
〔丸〕渡辺修
1981年春は、県大会(地区予選を勝ち上がった12チーム)初戦の新田戦を4-1で完投勝ち(自責点0)するも、準々決勝では藤本は登板せず敗退(0-2野村)。
1981年夏は県大会を制し、甲子園ベスト8進出。
同年秋は、東予地区大会で完封(1-0西条)するも、その後の体育の授業?で左手首を骨折。その為、秋季国体は登板なし(しかし、チームは優勝)。
秋季県大会(地区予選を勝ち上がった16チーム)は、藤本が登板できないながらも、1回戦(2-0松山聖陵)、準々決勝(6-2新居浜工)に勝利。
準決勝の松山商戦の途中から約1ヵ月ぶりに登板したものの1-4で敗戦(4回を投げて自責点0)。
1982年春は、地区予選を(2-0今治工)・(11-1新居浜工)に勝利。続く県大会も(12-0中山)・(10-1松山西)に勝利し決勝進出。
決勝は6回まで被安打1本の好投を見せるも、7回に4連続長打と犠飛で、まさかの逆転負け(4-5三島)で四国大会出場ならず。
1982年夏の県大会は、(3-1宇和)・(10-3松山工)・(10-0三島)・(5-3松山商)・(3-0新田)を下し決勝へ。
しかし、川之江の前に0-3で敗退し最後の夏が終わった。
3年夏は、県大会全試合フルイニング登板。48回を投げて被安打32本・奪三振38・与四死球9・自責点5(防御率0.94)。 畠山(池田)、藤本(今治西)と同期の明徳・高知東生(本名・大崎丈二)は82年夏の県大会でベンチ入りをするも、チームは県大会準決勝で高知商に敗退(3-5)し、春夏連続での甲子園出場ならず。 >>923
たしか藤本は体育の授業で柔道していたときに骨折したんじゃなかったかな。
報知高校野球の選抜出場校をさぐる号で、
今治西は藤本、武田らを擁して日本一をねらえる戦力だが、県準決勝で松山商に敗れて四国大会にも出場できなかったのだから仕方がない。エース藤本がけがで投げられなかったことも何の考慮も入れられない。選抜が招待大会の性質を失ったのは残念だ、と書かれていた。
当時読んだときはそんなに評価が高いのかと疑問に思ったけど。 今治西、77夏、82夏は地元は全国制覇期待したのでしょうね。82夏、甲子園大会開幕前の戦前予想で、とうとう、ついに池田の豪腕畠山登場というような記事は読んだ記憶あるが、打線についてはあまり触れられていなかったのでは?
恐怖の9番とか、早実戦の大爆発でビックリした。 余りにも畠山が目立ち過ぎて、徳島県大会チーム打率4割(.399?)も霞んでたって事かな。 あの日刊ゲンダイが大会前に「優勝候補ナンバーワンは池田」と書いていた。
「今大会ナンバーワン投手 畠山」と写真つきで畠山が紹介されていた。
記者の話で、池田の練習を見たがものすごいチームだ、畠山は本格派、打者はパワフルぞろいと激賞していた。
追うは早実と中京としていた。 >>917
県、四国で優勝して全国大会でも武田一浩の明大中野戦で1失点完投勝利(自責点0)。
◇一回戦◇
鴨島一 021 000 0 計3 H5 E1
明中野 100 000 0 計1 H2 E3
(鴨)上原
(明)武田
鴨島一は、3番セカンド金山(4打数0安打)、5番ピッチャー上原(2-0)、7番サード江上(3-2)。 江上の下の名前って「みつはる」?「こうじ」?
雑誌によってはそう書かれているからどっちなんだ。 ◆1981年・秋(県大会)◆
◇一回戦◇
徳島農 000 000 000 計0
池 田 030 210 00X 計6
<投手成績>
〔池〕畠山 6回 4安 ?振 ?球 0責
〔池〕水野 3回 2安 ?振 ?球 0責
〔徳〕福山、樫山、山岡
<打撃成績>
〔池〕32打 10安 6点 2振 3球 本0 三0 二3 盗2 失0
〔徳〕30打 6安 0点 10振 5球 本0 三0 二0 盗1 失1
◇二回戦◇
生 光 000 100 000 000 00 計1
池 田 010 000 000 000 00 計1
※延長14回 日没引き分け
<投手成績>
〔池〕畠山 14回 6安 18振 3球 0責
〔生〕松本
<打撃成績>
〔池〕49打 11安 1点 2振 1球 本0 三0 二1 盗1 失2
〔生〕47打 6安 1点 18振 3球 本0 三0 二1 盗0 失3
◇二回戦(再試合)◇
生 光 000 000 0 計 0
池 田 405 021 X 計12
<投手成績>
〔池〕畠山 6回 0安 ?振 ?球 0責
〔池〕水野 1回 1安 ?振 ?球 0責
〔生〕松本
<打撃成績>
〔池〕36打 14安 9点 2振 3球 本0 三0 二1 盗6 失1
〔生〕23打 1安 0点 5振 0球 本0 三0 二0 盗0 失4 ◇準々決勝◇
富岡西 000 000 00 計0
池 田 000 140 02x 計7
<投手成績>
〔池〕畠山 8回 5安 7振 1球 0責
〔富〕古川、板敷、古川
<打撃成績>
〔池〕29打 8安 7点 1振 7球 本0 三1 二3 盗0 失0
〔富〕27打 5安 0点 7振 1球 本0 三0 二1 盗0 失3
◇準決勝◇
徳島商 000 000 000 計0
池 田 140 000 10X 計6
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 2安 5振 3球 0責
〔徳〕遠野 8回 12安 4振 6球 5責
<打撃成績>
〔池〕30打 12安 5点 4振 6球 本1 三0 二2 盗0 失0
〔徳〕27打 2安 0点 5振 3球 本0 三0 二1 盗0 失1
◇決勝◇
鳴門商 000 000 120 計3
池 田 000 000 000 計0
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 34打 9安 3振 1球 3責
〔鳴〕山中 9回 33打 5安 2振 3球 0責
<打撃成績>
〔池〕30打 5安 0点 2振 3球 本0 三0 二0 盗1 失0
〔鳴〕32打 9安 3点 3振 1球 本0 三0 二3 盗1 失0 ◆1981年・秋(四国大会)◆
◇一回戦◇
明徳 100 000 000 計1
池田 000 000 000 計0
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 33打 4安 8振 2球 1責
〔明〕弘田 9回 33打 6安 2振 1球 0責
<打撃成績>
〔池〕30打 6安 0点 2振 1球 本0 三1 二0 盗0 失0
〔明〕29打 4安 1点 8振 2球 本0 三0 二1 盗0 失1 あの池田が思いのほか猛打を封じられてしまっていた試合があるんですねえ! この年の秋に負けてから高橋由彦先生の助言で本格的に筋トレをしだしたんだったかな。
それで翌年の春になったら皆の飛距離が伸びたと水野は言っていたが。 鳴門商業との決勝戦で負けた時は、相手投手は山中が完投だったのか。翌年のセンバツに出た時は、山中は背番号10で控え扱いだった。
阪急に五位くらいで指名された >>936
序盤は1死2塁、2死満塁、1死1,3塁、1死3塁と毎回2塁や3塁に得点圏に走者を進めたものの明徳守備陣のファインプレーやらサインミスやらスクイズ失敗やら拙攻の池田で無得点。
中盤からは弘田のカーブを打てず、結局、畠山を見殺し・・・。畠山は初回に長短打を打たれた以外は、明徳打線をほぼ完璧に抑えたが、初回の1点が致命的となった。
「畠山君のボールは、まさに一級品。池田は全国優勝するのにふさわしかった。だけど、あの子(蔦監督)も策?に溺れたみたいだな。(明徳・松田昇監督)」
「スケールが高校生離れしている。ぜひとも甲子園で投げさせてみたい。(この試合の球審・中矢信行・・・現済美・中矢太監督の父親?という噂)」 あの年の選抜でただ一人のアンダーハンドだった。
池田でアンダーハンドの投手は記憶にない。 >>941
この試合見てみたかったな。
当時は四国でも一回戦はテレビ中継がなかったと聞いた。 >>941
60歳前の蔦監督を「あの子」呼ばわりする人なんて、松田監督以外いなかったやろね。 >>939
筋トレ+飛ぶ金属バット使用がマッチしたんだろうな。 あの子。さすが松田監督。
当時は各県二高ずつで、出場8校。
一回勝てばベスト4だった。一回戦はラジオのみで、準決勝からテレビ有りだった。 昔は全試合ラジオでやってたのに、12校に増えてから数年後には準決勝からだけになったな。
12校になってからも最初は1回戦からやってたっけな?間違いなく準々決勝はやってたのは覚えてるけど。 12校も参加させるのは多すぎと思う。
一位、二位の計8校で十分。 ◆1982年・春(県大会)◆
◇一回戦◇
鳴門 000 000 0 計0
池田 031 040 X 計8
<投手成績>
〔池〕畠山 7回 3安 3振 2球 0責
〔鳴〕菅村
<打撃成績>
〔池〕31打 14安 8点 4振 3球 本0 三2 二3 盗1 失0
〔鳴〕23打 3安 0点 3振 2球 本0 三1 二0 盗0 失1
◇二回戦◇
辻 000 002 0 計 2
池 田 351 211 X 計13
<投手成績>
〔池〕畠山 5回 1安 ?振 ?球 0責
〔池〕内藤 2回 2安 ?振 ?球 0責
〔辻〕森田
<打撃成績>
〔池〕34打 17安 13点 1振 10球 本0 三0 二4 盗7 失2
〔辻〕25打 3安 2点 7振 2球 本0 三0 二0 盗1 失3
◇準々決勝◇
脇町 000 000 0 計 0
池田 121 213 X 計10
<投手成績>
〔池〕畠山 6回 2安 6振 1球 0責
〔池〕内藤 1回 0安 1振 0球 0責
〔脇〕宮本
<打撃成績>
〔池〕28打 10安 8点 0振 6球 本0 三2 二4 盗4 失1
〔脇〕23打 2安 0点 7振 1球 本0 三0 二0 盗2 失4 ◇準決勝◇
富岡西 000 000 000 計0
池 田 001 100 000 計2
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 4安 14振 3球 0責
〔富〕古川、板敷、古川
<打撃成績>
〔池〕35打 8安 1点 4振 1球 本0 三1 二5 盗0 失0
〔富〕28打 4安 0点 14振 3球 本0 三0 二0 盗0 失3
◇決勝◇
徳島商 000 020 000 計2
池 田 000 200 001x 計3
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 38打 7安 9振 5球 1責
〔徳〕遠野 8回 35打 10安 8振 3球 3責
<打撃成績>
〔池〕32打 10安 3点 8振 3球 本0 三2 二1 盗0 失1
〔徳〕32打 7安 2点 9振 5球 本0 三0 二0 盗0 失0
◇四国大会代表決定戦◇
鳴門商 000 200 100 計3
池 田 001 201 00X 計4
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 37打 8安 11振 2球 3責
〔鳴〕上原、新宮、高井、山中
<打撃成績>
〔池〕29打 9安 4点 0振 3球 本0 三0 二2 盗0 失1
〔鳴〕37打 8安 3点 11振 2球 本0 三0 二0 盗4 失2 ◆1982年・春(四国大会)◆
◇一回戦◇
池田 000 100 003 計4
尽誠 100 001 001 計3
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 38打 6安 3振 8球 2責
〔尽〕西川 9回 41打 10安 4振 6球 4責
<打撃成績>
〔池〕34打 10安 4点 4振 6球 本0 三1 二0 盗1 失0
〔尽〕26打 6安 2点 3振 8球 本0 三0 二0 盗2 失1
◇決勝◇
明徳 010 000 300 計4
池田 100 100 000 計2
<投手成績>
〔池〕畠山 9回 37打 9安 6振 1球 4責
〔明〕弘田 9回 36打 7安 4振 2球 1責
<打撃成績>
〔池〕34打 7安 1点 4振 2球 本0 三1 二1 盗0 失2
〔明〕34打 9安 4点 6振 1球 本1 三0 二1 盗1 失1 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。