幼少期は女性に興味あったみたいね...いつからホモになったんだろう


1947年。朴虎吉氏は大阪で生誕した。
しばらくは「朝鮮籍」だった。これは終戦で日本が朝鮮半島領有を放棄し、
朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国に半島が分裂するまでに存在した
「幻の国籍」である。
やがて朴氏一家は北朝鮮国籍を選択した。祖国の土は思いのほか遠かった。

「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮に帰国した朴氏の同胞も多かった。
近所の尹淑子さんもその一人だった。淡い恋心を抱いていた朴氏にとって
悲しい別れだった。以来、朴氏は尹淑子さんに再会を果たせないまま今日に
至っている。昭和35年のことだった。

「アポジ。オレ、高校やめるよ」
16歳になった朴氏は父親に告げた。高校での生活に馴染めなかった。
高校を辞めたところで、薔薇色の人生が待っているわけではない。国籍の
関係で就ける職業も限られている。
それでも朴氏は高校にいたくなかった。朴氏の頬を秋の風がなぶっていった。
昭和38年。東京五輪を翌年に控えて世間が浮かれていた頃。朴氏には
逆風が吹いていた。