30歳以上のおっさんが高校野球を語る29
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逃げないで全力で勝負して結果打たれたんだから、すがすがしい気持ちだっただろうし、年数が経っても良い思い出になっているんだろうな。 >>99 >>100
おれは県大会で藤王にホームラン打たれたんだが、
自慢できたのは2年くらいだった。
プロでも大活躍すると思ったんだどね。 >>92
いつも疑問に思うのが、何で同じ岐阜市内に県岐阜商業と市立岐阜商業の
2校があるのかということ。 松井を敬遠した明徳の河野は苦しんでいるどころか、今でもあの作戦を肯定しているよ。
もう一度対戦しても敬遠するだろうとも。
河野は外野手で急造エースだから投手としてのプライドなど持ち合わせていなかった。明徳の過酷な環境で野球漬けだった彼らにとって、勝利こそ全て。松井を敬遠して非難を浴びることなんて何とも思わなかったらしい。
勝負に徹する四国野球と男なら勝負して欲しかったと泣き言を言う北陸の大甘な野球の差が優勝回数の差に表れていると後々、逆に星稜山下監督の敗戦コメントを非難する論調が増えた。 時間がたてば薄れていくさ
河野本人はもう20年位前の雑誌の記事で
「毎年夏になると未だに取材が来てくれる」ってホクホク顔だったw >>104
あの敬遠戦術についてはノンフィクションが出て、単純に卑怯という感情論で片付けられないことがわかったということで評価は変わった あと、サッカーの定着でマリーシア文化が根付いたのも大きいかな 何よりも松井自身がプロ、大リーガーとしても活躍して、敬遠の正当性を自ら証明したというのが一番大きいけどね 松井と河野の大人になってからのテレビでの対談は、松井が明らかに河野を、しょせんアマチュアで終わった奴やんプッ、と言う感じの対応で感じ悪かった。 >>106
『甲子園が割れた日』?
すごく面白かった
中村計著作では駒大苫小牧の香田元監督の『勝ち過ぎた監督』もよかった >>108
99年のオフやったかな?
対面時
松井(取材陣に対し)「彼(河野)は今何を?」
河野「プロテスト受けて、ダメでした」
松井「もう(全球団のテスト)終わったんだ?」
河野「はい」
松井「そっかそっか。まぁ座って座ってw」
河野「失礼します」
的な感じで同級生なのに河野がかしこまって松井に対し敬語で、松井は河野に対しタメ口だったからなおさら上からみたいに見えたのかもね >>109
それと好きなのは「佐賀北の夏」も面白かったなぁ
別の作者の本なら「永遠のPL学園」
付き人制度等、PLの闇の部分が如実に描かれていて良かった >>113
PLの全盛期には付き人制度の光の部分が強調されてたような。
身の回りの世話をする代わりに技術面のアドバイスがあったり、最後の夏が終わって引退の時は道具をもらったりと付き人制度の得な面は取り上げられてたけど、他所よりもかなり厳しい上下関係のことは伏せられてた・・・
プロ入りしたOBも今でこそ当時の厳し過ぎた上下関係のことは語るようになったけど。 >>114
桑田の親父が書いた「野球バカ」で初めて行き過ぎた上下関係を知ったな
立浪世代の事故死した選手のことも詳しく書かれてた
出版の翌年に例の暴力事件で出場停止
野球バカで書かれてたことは嘘じゃ無かったんだと実感した 本ではM君になっていたね。
殺されたのは南って苗字ですね。 >>116
まぁあの本は桑田本人のことはやたら持ち上げて書いてるからいくらか割り引いて見る必要があるが、それ以外の事柄についてはほぼ真実だろうね
KKの一個下の世代の選手達が、先輩がいなくなり増長していく様はリアルだった >>94-95
山梨は夏の地方大会で一番いろんな県と一緒にされた。 >>103
広島にも県立広島商業高校と市立広島商業高校がある。
市商は軟式で、既に野球部が潰れてしまったが… >>119
>>120
広島では市立は「市商」「市工」。
県立は「広商」「県工」。「県商」と呼ばれる事は少ない。 以前、市岐阜商が立命館の傘下に入るという話があったな 岐阜の前市長のゴリ押しか
不法投棄ほったらかし、路面電車の廃止、バスが市街地の外側通るようになる、見え張るだけのツイン高層ビル建設
評判悪すぎ >>104
後ろめたさがあるから敬語なんだよ。後悔してないなんて嘘。相当バッシングあっただろうし、自分を肯定しないとやり過ごせなかったと思う。 和歌山市内にも県立和歌山商業と市立和歌山商業があって
長らく県商または県和商、市商または市和商と呼ばれていたが、
市和歌山商が普通科メインの市立和歌山高校になった。
表記上は県立和歌山商が「和商」になって(県がとれた)、
市立和歌山商が「市和歌山」になった。
あおりを食らったのが県立和歌山高校でそれまでの「和歌山」から
「県和歌山」に変更になった。 >>109
俺は「広陵野球の美学 Rの輪」
40年の年月を越えての、甲子園準優勝チームの話 >>125
市和歌山商は学校名変更でユニフォームのロゴも「SHISHO」から「ICHIKO」に変わって。
しかし帽子のWのマークはそのままで。 >>130
市立呉の「ICHIKURE」と同じパターン
地元でそう呼ばれているなら、今のマークが正解 選抜で初めて2連覇を達成した第一神港商(のちの市神港)
外野のフェンスに歴代優勝校のプレートがあった頃は必ずテレビでアップにされてたな >>134
歴代優勝校のプレートはあの誤審がなかったらいつ頃まで残ってたかな?
当時のフェンスは鉄剥き出しだったからプレートを掛けられたけど、フェンスがラバー貼りに替わった時までか?
誤審の翌年、85年選抜は主催日本高野連、毎日新聞社 第57回選抜高校野球大会のプレートが白からフェンスと同じ緑色に替わってた。 >>135
ラッキーゾーンが廃止される時に終わりでしょうね >>135
もう飾るスペースがなくなってきていたからな。プレートを小さくしないといけないかも、とか高野連が話していたとあのころ聞いた覚えがある。
昭和60年は主催者のプレートが変わっていたね。開会式の入場行進が二列になったのもこの年からかな。 外野フェンスの広告は取り外し
内野フェンス広告は裏返して、バックネットの広告は緑のシートで覆って隠し
昔の甲子園は広告が(インフィールドには)一切入ってなかったね
なぜにあれほど徹底してたのか >>138
それは学生野球だから広告などがあるのは商業主義でふさわしくない、ということなのだろう。
学生野球の聖地神宮球場でも昭和37年からプロの試合が行われるようになったが、当時は同じことをしていたと聞く。プロの試合ではラッキーゾーンが設けられたが、学生の試合時には取り外していたらしい。 >>138
83年まではフェンスの広告は大会期間中は一切隠してました。
84年からファウルゾーンの広告は隠さずに普段のままに。
今は大会期間中も広告はバックネット部分以外は普段通りで。
球場と広告契約して広告料の支払いもしてるのに高校野球の期間は何故広告はダメなんだ?と広告出してるスポンサーからの苦情がすごすぎて高野連もそれに屈したのですかね? フェンスの広告がなかった時代も、外野スタンド?の月星の広告はテレビで目にしたなあ。
月星の名前は子供の頃の記憶に残っている。 観客席の広告『バャリース』←これどないして発音すんねんってよく突っ込まれていたな。 覚えている広告
73年夏の阪神パーク夏の高校野球展
79年夏はバックスクリーン周辺のレディ80 今でもある左中間のキューピーは長いね
昭和45年の東海大相模の試合にすでに写ってる。
50年ということになるが、探せばおそらくもっと昔からありそう
たぶん広告が隠せなくなったのはラバーフェンスになったからだろな。
昔は鉄板(スチール?)だから外したり裏返したりが容易だった。 古関裕而夫妻が来年の朝ドラ決定。
古関裕而の母校で校歌も古関裕而の福島商はこのところは東北大会で大敗しているイメージ。
今年卒業した代は聖光学院に4試合とも大敗しやがった。
今年は福島商と磐城と福島県のかつての公立強豪に縁のある年となった。
熊本西が選抜出場で磐城も思い出す。
福島県の高校野球は個人的には1971年が最高。
福島商が選抜ベスト8→磐城が夏準優勝。
公立高校が復活してきている四国が羨ましいかぎり。 >>145
スコアボード横、スタンド最上段のSSKの広告も昔から。
あとフェンスのパナソニックの広告も。
どちらもテレビ中継がバックネット裏からのカメラを使ってた時代は一番よく映ってたけど。 パナソニックの広告は高校野球の時には主催者のプレートに替わってたけど。 >>146
福島駅の新幹線の発車メロディーは「栄冠は君に輝く」だね。
NHKが高校野球中継で、古関さんの「スポーツショー行進曲」をやめたのは残念だ。 代表校のふるさと紹介のBGMを「栄冠は君に輝く」に代えて福山雅治の歌にしてしまったのには萎えた。 第100回記念大会で秘蔵映像あらわる!とか期待したが、残ったのが福山の糞歌だけだったのが
笑える。この歌、第101回以降も使用するのか? >>129
昭和時代の市和歌山商時は帽子のマークが「S」だったが、
甲子園で双葉と対戦したときは「W」になってて驚いた。 福島に限らず、東北では秋田以外で公立が躍進するのはもう厳しい
過疎化、、少年野球がそこまで盛んというほどではない、
地元の人の気質、さらに今後進むであろう投手の球数制限など
何もかもが公立の上位進出には逆風 市和歌山商と対戦した双葉の田中投手は
最終回で足がつって棒球しか投げられない状態だったけど、
今なら審判が強制的に降板を命じたりするのかな?
市和歌山商にとっては逆転の大チャンスだったが、
バッターが動揺してて明らかに振りがおかしかった。
ここでバント先方とってたら5敬遠並の避難が起きていたのは間違いない。
明徳だったらバントはやらないにしても、確実にミート打法で
ゴロを打つ作戦を成功させていただろう。 >>150
だよね
各代表のふるさと紹介は、栄冠は君に輝くのオルゴールの音色で流れるのが大会序盤特有のまったり感あっていいのに あと、最近のふるさと紹介は内容が乏しい。
むかしはたっぷりと時間をかけて学校、地域を紹介していた。
マスゴミの手抜き、質の低下は目にあまるものがある。 >>156
そもそも、「ふるさと紹介」いる?
個人的には必要ない 同じ東北でも、
青森は関西出身の選手に冷たいが、
山形は関西出身の選手に暖かい。 >>151
曲を定着させようと必死なようだからたぶん使うのでしょう。 いくらか知らないが、福山へ作曲の報酬を支払っているんだからな。評判悪くてもNHKは使わざるをえないだろう。
それにしてもその報酬、受信料から支払われている。受信料をこんな愚曲のために使ってほしくないわ。 愚曲とは思わんが、古関先生の栄冠は君に輝く」が神曲過ぎて・・・・・・。 高校野球の音楽は夏の「入場行進曲」だけでいい。
春もあれで行進すればいい。
変なダンスとか歌手の歌はいらんな。 女子高生のアナウンス等、おっさん役員色を薄めた手作り感満載の開会式は? >>162
そう。高校野球は時代とともに変わっていくんだろうが、なにからなにまで代える必要はない。
「栄冠は君に輝く」なんて、代えなくてもよい最たるものだろう。それくらい高校野球にぴったりの曲。 >>164
98年から見始めた俺からしたら高校生の開会式しか知らないから何の違和感もない
昔の開会式見たらおっさんの声で、は?と思ったくらい >>162
「栄冠は君に輝く」が神曲なのは激しく同意です。 NHKの高校野球中継で、アナと解説者が周りをきちんと壁で覆われた実況席から
実況放送し始めたのって意外と最近じゃなかったかな?
以前はテレビカメラが実況席を映すと、Vサインのガキどもが何人も映ってウザかった。 >>163
正確には「大会行進曲」
これを聴くと涙が出そうになる >>164
開会式の司会進行が高校生になったのは97年夏からだったと思う。
自分のようなオヤジ世代はむかしの大会役員の甲高いアナウンスのピーンとはりつめた雰囲気のほうが好きだが、選手と同世代の高校生による手づくり感のある開会式もまたありかと思う。
このころは
95年夏 女性野球部長がベンチ入り(柳川の高木さん)
96年夏 女子マネジャーがベンチ入り
とか、一気に従来の慣例を見直す事例が多かった。
それはそれでいいのだが、本来の主役である選手を追い越して大騒ぎされて非常に違和感を覚えたな。
やはり好選手、好プレー、充実した試合内容で注目されないと。このころの甲子園はそういったところがほとんどなかった冬の時代だった。 >>168
「いいぞー、まつもとー」
史上初の完全試合の瞬間が台無しに・・・ >>144
懐かしいな
あと甲子園リニューアル時から現在まで外野通路のオークワの広告は和歌山県人の自分的には嬉しいわ >>167
わかるわかる
閉会式後の場内一周で合唱と流れるのを聴くと夏も終わりかあ、と一抹の寂しさがある >>166
80年代の「只今から〜日本高等学校野球連盟…」で始まる甲高い司会のおっさんの声には、気持ちの高ぶりが湧いた記憶がある 開会式終了直後から開幕試合のフワフワした感じが好き
観客もまだ試合にまだ集中できてなくて大会始まったワクワク感でずっとザワザワしてる 初出場お久しぶりマニアとしては、開会式の行進で
初見や写真でしか見たことのないユニの高校、
知らない町から来た高校が一堂に揃うのがたまらなく好きだった
それを彩る夏の入場行進曲 司会は高校生でもおっちゃんでも違和感ないかな >>171
島村俊治アナの実況がさえぎられたが、あの声は子どもの声じゃなかったな。
74年夏、銚子商優勝決定の直後に朝日放送の植草アナの実況の途中で「わーい、優勝や〜」、「邪魔だ、どけっ」という子どものやり取りが入ってしまっていた。 >>168>>171
声が入るならまだしも昭和55年選抜大会のどの試合やったか忘れたが試合終了後アナウンサーと解説者が映し出された場面でアナウンサーと解説者に向かってクルクルパーしているガキも映し出されたよ。 クルクルパーしていたガキも今では50歳くらいとちゃうかな。
わしで今年48歳やし。 センバツ開会式に行進曲の歌手が放送席に招待されてたのも懐かしい
松田聖子や酒井法子、多士済々
当時の高校野球雑誌にも掲載されてたな
「セブンティーンリポーター」なるものもあって、確か藤原紀香もその一員だった
俺もスタンド内でニアミスしてたかも 麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
近鉄
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福井県出身浜松市在住
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甲子園へ行こうスレ(麻生&近鉄&名無しを併用:固定IDと単発IDを併用して自演)
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30年以上前から水色の壁に囲まれてると思うけどなぁ。
ただ、昔は、壁の角のところに隙間があって、人が覗いてるのは見えたな。
「あんな隙間は簡単に無くせるだろうに」とは思っていたけど、意外に長く隙間はあったな。 >>182
あのころは毎年、「ことしはどの曲が行進曲に選ばれるんだろう」と興味しんしんだったな。
草原の輝き、季節の中で、青い珊瑚礁が個人的にベスト3。
センチメンタル、愛のメモリー、ヤングマンもよかった。
いまは行進曲が決まっても「何の歌?」とまるで分からない浦島太郎状態が続いている。 >>176
いやそこ早く集中したいんだよね。
とにかくその時間帯出入りが激しくて落ち着いて座ってられない。
あ、甲子園で観戦中の話ね。 >>186
俺も観戦中はあんま試合そのものに集中できてなくて、球場の雰囲気とかに目がいってしまう
去年はその最たるもんだな
開会式と第一試合は満員だったのに、第二試合からごそっと減った
みんな100回の記念すべき開会式に参加できたことで満足したんだな >>185
85年の「星屑のステージ」は、行進曲としては明らかに不向きw
個人的には77年の「ビューティフルサンデー」が良かった あのころ、「ルビーの指環」、「聖母たちのララバイ」、そして「星屑のステージ」はやたらムーディーな感じがして行進曲としてはどうかな、と思えたな。
個人的には90年の「約束」がワースト。まったく知らない曲で、大阪花博のタイアップ曲ということで選ばれた感じがしたため。
もっとも行進曲にふさわしかったのは、おそらく69年の「三百六十五歩のマーチ」だろうな。当時は知らないけど。 78年に選抜50回を記念して思い出の行進曲10曲を収録したLPが発売された。
たしか、
62年上を向いて歩こう、66年ともだち、67年と70年世界の国からこんにちわ、68年世界は二人のために、71年希望、73年虹をわたって、74年草原の輝き、76年センチメンタル、77年ビューティフルサンデー、78年愛のメモリーだったと思う。
70年代の曲はワクワクしたなあ。
まちがっていたら修正してください。 ビューティフルサンデーは、一部の地域で盆踊りの定番になってるな。 「ビューティフルサンデー」は、すば、すば、すば、すばらしいサンデー〜のところで選手が行進しづらかったと聞いた。
「センチメンタル」は、豊見城ナインが曲とあわずに足並みがメチャクチャ、同じ側の手と足を前に出して行進する選手が出る始末。観客から手拍子が起きてやっと収まった。
「センチメンタル」は75年10月25日に発売されたが、それから半年足らずの選抜の行進曲に選ばれている。世に出てから選抜行進曲に使われた最短記録ではないか。 みんなが思う選抜史上最高の行進曲を挙げてみてください。 昭和33年のセンバツだからリアルでは知らないが、クワイ河マーチが良かったんじゃないか。
♪サル ゴリラ チンパンジー サル エテ公 チンパンジー ♪の替え歌が有名なあの曲。
小学校の時の運動会で初めて知って、「戦場にかける橋」もテレビで見たけど、メロディーの
格好良かったのを今でも覚えてる。 過去にはセントルイスブルースが行進曲だったときがある。あの曲をどうやって行進曲に
アレンジしたのだろう?最近はその年の流行り歌って概念がない。いつでも夢を、や上を
向いて歩こうは神曲 昭和34年のセンバツ入場行進曲は「皇太子のタンゴ」という曲だったらしいが、
どんな曲だったのだろうか? 72年から聞いているけど、虹を渡ってがベストだな
意外に良かったのが75年のおかあさん これが次点 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています