高校野球クイズ2
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一問目、主な選手は日置、本多塁、井川塁、で捕手は舟橋。強いと言われながら甲子園の初戦で6―5で負けたチームは 2問目、夏の甲子園で一年生で代打逆転スリーランをバックスクリーンに打った打者は 三問目 夏の甲子園勝ち三浦投手、負け山田投手 スコア12―2は >>37
一問目 考え中
二問目 1988年夏3回戦 宇部商業の宮内が対東海大甲府戦の9回表
三問目 1983年夏準決勝 横浜商業12-2久留米商業 41さんは2問目、3問目とも正解です(*^O^*) さすがにハンカチ王子の本名はとかないね(笑) >>37
一問目の答え分かりました。
1999年夏の東邦ですね。
朝倉と岡本のダブルエースのときの。
1回戦で滝川二に5-6で惜敗でしたね。
滝二の福沢も好投手だった。 44さん正解です(*^O^*) 朝倉の名前をヒントで出せば簡単にわかる問題でした(笑) しかしよく当てました 44さん正解です(*^O^*) 朝倉の名前をヒントで出せば簡単にわかる問題でした(笑) しかしよく当てました >>72
正解です。
智弁和歌山は出始めは以下に示すようにとても弱かった。
後に全国屈指の強豪になろうとは誰も想像できなかったと思う。
1985年春1回戦 ●智弁和歌山1-3駒大岩見沢○
1987年夏1回戦 ●智弁和歌山1-2東北○
1989年夏1回戦 ●智弁和歌山1-2成東○
1991年夏1回戦 ●智弁和歌山2-3学法石川○
1992年夏2回戦 ●智弁和歌山3-4拓大紅陵○ >>73
正解です。
福井商業が逃げ切って番狂わせを起こした。
馬渕監督の悔しそうな顔が印象的だった。
2002年春準々決勝
明徳義塾 000 001 430│8
福井商業 800 010 100│10 下記は、平成の30年間のある地区の高校野球情勢を記したものです。
さて、どこの地区でしょうか?(地区とは夏の49地区)
また、A〜Dの高校名もお答えください。
@平成元年〜平成10年
・私立のA高校(7回出場)、B高校(6回出場)が他校をリード。
・公立のC高校は3回出場だが上位進出を果たした。
A平成11年〜平成20年
・A高校、B高校が低迷し、群雄割拠の構図になる。
・甲子園では特に夏に苦戦が続いた。
B平成21年〜平成30年
・B高校が復活。甲子園で2度の上位進出を果たした。
・B高校以外では、私立1校、公立6校出場した。
・公立のD高校は1大会2勝をマークした。 1968(昭和43)年に母校・横浜高の監督になった渡辺元智は、“不良部員”への体当たり指導を行いながら甲子園を目指した。
だが、簡単に大舞台に立てるほど、神奈川県の高校野球は甘くない。
当時は、原貢が率いる東海大相模が黄金時代を迎えていた。
東海大相模を倒すためにはどうすればいいのか…。答えは早い。有望中学生をスカウトすればいい。 だが、前述したように当時の横浜高は「道を歩けば誰もが避けて通る」ほど恐れられた学校。声をかけても簡単には入学してくれない。
そこで渡辺は“虚偽勧誘”までしてしまう。学校は県立校、生徒の成績は優秀、野球部は合宿所も完備している…などと嘘をついて口説いた。
そんな必死の勧誘で入学にこぎつけた選手に、永川英植(元ヤクルト)がいた。地元の中学球界では有名な投手で、1年上の怪物・江川卓(栃木・作新学院)にも負けない大器と評判だった。
この永川の右腕が、渡辺にとっての初の甲子園出場に導いてくれることになる。 972(同47)年の秋の県大会で優勝。関東大会の決勝では、その江川に16三振を喫して4安打の完封負けを喫したが、翌年のセンバツ出場を確実にした。
その後に行った冬の合宿は「選手が脱走しないように監視した」というほどの厳しさだったが、これがセンバツ大会での初出場初優勝につながっていく。
2年生エースの永川を軸に、西山茂(元大洋)やのちにプロゴルファーとなる長崎誠らタレントがそろったチームは、まだ28歳の渡辺のタクトで進撃を続けた。初戦(対小倉商)では長崎が延長13回に大会史上初のサヨナラ満塁本塁打。 決勝では、江川の作新学院を破っていた広島商に粘り勝ちした。この試合は永川の力投で0−0で延長戦へ。お互いに10回に1点を取り、横浜は11回表に富田毅の2ランが出て突き放した。
その年の夏の甲子園で全国制覇する名門校を破った試合は、渡辺の中でも思い出に残る戦いとして、今も刻まれている。 >>111
正解
小池は生粋(きっすい)のハマっ子だ。横浜スタジアムからほど近い保土ヶ谷区出身で、中学時代は中本牧シニアで活躍し、横浜高校に進学。高校時代は松坂大輔らとともに甲子園春夏連覇を達成し、
1998年のドラフトで横浜ベイスターズ(のちに横浜DeNAベイスターズ)から6位で指名され入団。横浜に対する愛着は誰よりもあると自負している。
2008年にトレードで中日に移籍し、リーグ優勝に貢献する活躍を見せるも、2012年にFAで横浜DeNAに復帰した。
「ベイスターズに戻ったのは、やっぱり横浜で野球をやりたかったから。この先、僕は10年も現役でやれるような選手じゃない。だから最後は横浜に戻って、骨を埋めて、辞めたいという気持ちがありました」
だが、復帰したものの小池は納得のいく結果を残せずにいた。特に今年は、開幕からファームでの生活が続いていた。
「チームとしては若い選手を使いたいといった方針もあったようなので、このままでは戦力として考えてもらえないかもしれないという危機感はありました」
チームの方針はフロント陣の判断によるものだが、じつは小池自身もある大きな不安を抱えていた。
「ファームの試合でも、相手ピッチャーのストレートに思うような反応ができなくなってきたんです。バッティングは波があるのでいずれ調子は戻るはずだといつも以上に練習をしていたんですが、それでも違和感が抜けない。
ストレートだけには打ち負けない自信があったのに、一発で仕留められない状態が続きました」
その不安が決定的になったのが、8月下旬に一軍登録された時だ。
「悔しい思いをぶつけて結果を出し、『来年につなげる』という強い気持ちはあったのですが、一軍のピッチャーのストレートについていけなかった……。これが引退を決断した最大の理由ですね」 >>115
不正解
正解は
A横浜B桐光学園C弥栄D東海大相模 >>115
不正解
正解は
A横浜B桐光学園C弥栄D東海大相模 同一カード問題
以下の1〜6は甲子園での対戦スコアです
A〜Fの学校はどこでしょう?
1.
A高校 010 000 010 2
B高校 000 100 000 1
2.
B高校 120 000 012 6
A高校 102 000 000 3
3.
C高校 300 211 001 8
D高校 010 100 000 2
4.
D高校 004 000 000 4
C高校 100 000 000 1
5.
E高校 010 100 000 2
F高校 010 030 03X 7
6.
E高校 000 241 011 9
F高校 006 000 000 6 A横浜B桐光学園C弥栄D東海大相模 E山北F立花学園 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています