市和歌山は眞鍋前監督の時代から、科学的トレーニングや、きめ細かな技術指導で、
和歌山で一番進んだ指導をしていると言われ、「昭和の指導」が揶揄されていた高嶋前監督時代の智弁と対極だった。
ヤクルトの川端は中学時代から注目されていたが、大阪南部の有名選手だった彼が、公立有力校に過ぎない越境の市和歌山商を選んだのは
実際に練習を見てここが一番伸ばしてくれると思ったからだという。
しかし真鍋氏の頃は選手個々ではいいのが出るがチームとして勝負弱く、また眞鍋氏は投手出身らしい”モリシ的采配”で墓穴を掘ることも多く、
智弁との直接対決ではことごとく敗れ(甲子園かかった試合で勝ったのは20年くらいで1度だけ)、格下にも足元すくわれるで、
なかなか甲子園に出れなかった。

二塁手出身で野球をよく知っている半田現監督は智弁・中谷監督の同じ年で若いが、この監督になってからは「勝つ力」が上がり、
智弁との直接対決を制したり、就任5年で3度甲子園に出ている。