広瀬監督は1953年春に洲本高校を率いて決勝で母校の浪華商を破って優勝したのは有名。
「母校の優勝回数を1回減らしてしまった」と悔やんだとか。しかし情が移って洲本の監督を15年務めた。
その後母校の監督に就任したが、甲子園出場は69年春、74年春、78年春、79年春夏だけと少ないな。