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俺のイメージ通りの福岡w

ツッパリの特攻服から、泥だらけのユニホームへ。13日、大阪桐蔭に4―10で敗れた沖学園(南福岡)。
三塁手の市川颯斗(はやと)君(3年)は中学時代、やんちゃだった。野球を通して気持ちを入れ替え、強豪相手に全力をぶつけた。

七回、三塁ベース際に鋭い打球が飛んできた。
これ以上、追加点を許すわけにはいかない。自然と体が動き、横っ飛びしてキャッチ。
すぐに立ち上がり、一塁に送球してアウトにした。持ち味のガッツプレーで、球場を沸かせた。

中3の時はクラブチームで全国大会に出場し、3番打者も任された。
引退すると、野球よりも友達とつるむことが楽しくなった。

学校に行かなくなり、先輩の車で海に行ったり、3日間家出したり。眉毛はつまようじほどの細さ。
歩いている時に目が合っただけでケンカもし、卒業式には黒の特攻服を着て出た。

チームの監督だった玉本善孝さん(55)はグラウンドを歩きながら、諭した。
「おまえには野球しかなかろうもん」「真面目にやるのもぐれるのも、決めるのはおまえ自身やけんな」

担任の先生だった野口司さん(61)は電話をかけ続けた。
「なんしよーと。学校に来んか」。家を訪ね、近くで自転車に乗る市川君を探し出し声をかけた。

眉毛を化粧用ペンで書き足して沖学園へ。
野球部に入ったが細い眉毛をとがめられ、グラウンドの草むしりばかりやらされた。部活に来たり、来なかったり。辞めようかとも考えた。

野球のセンスの良さは際立っていた。1年の秋、背番号15を受け取った。
驚きとともに責任感が芽生えた。「ちゃんとやらんと」

礼儀やあいさつもたたきこまれた。ゴロにも飛び込んで泥臭いガッツを見せるようになった。
地方大会では満塁弾も放った。鬼塚佳幸監督は「一番成長した。何より、笑顔が増えた」。

4人兄弟の長男。末っ子の6歳の弟を公園へ連れて行き、遊び相手にもなる。
中学時代の仲間からは「大人になったな」と言われた。

反発ばかりして、野球をやめそうになった自分が、甲子園で、あの大阪桐蔭と戦った。
「いろいろと迷惑をかけたけど、下を向かず上を向けたのはみんなのおかげ。感謝したい」

甲子園に来るまでは、ここで野球をやめるつもりだった。大観衆を前にプレーするのは楽しかった。
「こういう舞台でまた野球したいな」。泣きはらした顔が、ほころんだ。