田中投手は元々智辯学園(奈良)に進学予定でしたが、
彼を誘った智辯学園の監督が人事異動で智辯和歌山の部長に転任してしまい、
智辯学園への進学の話が立ち消えてしまいました。

既に殆どの高校が募集を締め切ってしまっていた状況で
田中投手が所属していた宝塚ボーイズの奥村監督が西武時代の同僚の高木浩之氏(享栄→駒大)に相談したところ、
高木氏が大学時代の先輩で
当時駒大苫小牧の監督だった香田監督に口を利き、
奥村監督が田中投手を連れて駒大苫小牧を訪問、田中投手も同校を気に入り、
急遽進学先が智辯学園から駒大苫小牧に変わったものです