東都2部で首位打者独走中の日大峯村
一年生春での首位打者は歴史的快挙

同選手は佐倉シニア→木更津総合→日大(現在)
木更津総合に進学希望をした時、シニアの指導者には反対されたという。しかし自らの強い意志で木更津総合に入学し、出場チャンスが5期ある甲子園で3度出場を果たした。
自らも高校通算30本以上のHRを放ち、三年生ではキャプテンを務め日大に進学し今に至る。

尚、同シニアから習志野へシニアの指導者の思惑通りに進学した四番の逸材は公式戦HR0、甲子園出場0で高校野球を終える。
現在は東京情報大へ進学をしたがすっかり名前も聞かなくなってしまった。

己の人生を切り拓けるのは己のみ。
シニアやボーイズの指導者は人生まで責任をとってはくれない。
パイプがなかろうと自分が一番輝ける場所、成長出来る学校に進学しなければ人生がまるっきり変わってしまう。

親も中学の指導者の言うがままに動かず自分の子供のことを考えるなら喧嘩をしてでも子のために道を作ってやるべき。