30歳以上のおっさんが高校野球を語る27
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>83
自動車工時代に袴田、長嶋を輩出しましたな。
80年秋の中部大会に静岡北が出場してましたが、自動車工が学校名を変更して静岡北となってたのはその時は知らなかった・・・ ◇高校野球 応援憲章2018◇
第一条 8肛門を清潔に
バックネット裏など特定場所の占領行為はNG。
第二条 見る気の無いガキは連れて来るな
少年野球のユニフォームは派手な色が多く、退屈そうにしてるガキは目立つ。
カメラのすぐ後ろの席は全身が見えるため特に注意。
引率は以下のガキを見つけたら速やかに場所を移動させること。
@足プーラプラ
Aただひたすら何かを食っている
B横や後ろを向いて爆笑
Cウトウト
D一方の学校の応援(A校がアウトを取ったりヒットを打ったら拍手し、B校なら沈黙する)
第三条 投球妨害の禁止(一般客がバックネット裏にいる場合もある地方大会の場合)
投球と同時に手を大きく広げたりしない。
なお、投球と同時にセカンド走者が手で合図する『二走サイン』、
右手だけを大きく上げた場合はどうか等、薀蓄語りが好きな高校野球ファンは研究のこと。
第四条 守備妨害『逆転空気応援』の禁止
球場全体で手拍子のリズムを取って特定のチームの応援をするのは反則応援。
『モンキーターン』は、他の応援歌と違い高速手拍子で乗せやすいため、逆転が期待される終盤で連続して使った場合、
「球場の一般客を扇動し、相手校の守備に不利を招くような応援」を先導したものとみなします。
異様な雰囲気で逆転負けしたチームの事を考えない人は高校野球ファンではなく、ただの感動好き。
今年も逆転物語の犠牲になったチームが出た場合、熱中症対策も踏まえ、
新たにバックネット裏をとても高くした甲子園ドームを建造するのが望ましい。 >>71
>大鉄
すでに阪南大高に変更されていたけど
上宮が元木世代の時はガンちゃん岩本がエースでダークホースと注目されていたが
不祥事で出場辞退だったね。 >>75
近大附の浅田は2年連続準優勝投手。ともに北陽に敗戦。
2年夏にPLに1-0で完封勝利するなど実力を持っていた。
進学した近大でも主力投手だったけど、同学年のPL→法政の西川みたいに不動のエースではなかったな。 >>87
80年夏のPLは2年生の西川がエース、吉村が主軸を打ってましたが、3年生の岡部も含め左打者が多くて近大附の左腕浅田を攻略できず。
この夏で3季連続で甲子園を逃して鶴岡監督が解任に・・・
いくら強豪校とはいえ、激戦区の大阪で3季連続で甲子園を逃したからといって監督解任とは、と当時は思いました。 あれはプロ顔負けの非情な解任劇だったな。
まあ鶴岡さんはPLのOBではなかったし、だからあれだけ非情に解任できたのかもしれない。 >>89
もともと学園とは軋轢があったとか聴いたことあるけど >>91
下級生とはいえ伊東、荒木というプロ入りした投手だし、結果としてその大会の準優勝校だからやむを得ない面はある。 でも内容が悪すぎるって。
帝京にはA安打、早実には@安打だっけ?
選抜大会の前評判ではチーム打率出場校中一位だったような。
夏の地方大会のチーム打率も出場校中一位じゃなかった? たしか伊東には4安打だったと思う、荒木には1安打。
選抜のチーム打率一位は鳴門だったような。記憶があいまいだが。
北陽戦は8回のスクイズ失敗の併殺。早実戦は序盤で二発くらってなにもできなかったな。 80年の大阪は春に北陽、上宮、夏は北陽が出場していずれも初戦敗退。
北陽は前年の秋季近畿大会優勝で春は優勝候補にも挙がってたのに、帝京に甲子園初勝利を献上して、夏は早実の荒木大輔甲子園デビュー戦を飾らせると完全に引き立て役に。
76年から79年まではPL、大鉄、浪商と甲子園で強さを見せていた大阪勢とは思えない試合ぶりでした。
上宮はこの春が甲子園初登場でしたが、富士宮北にサヨナラ負けで・・・ 松岡監督って今までの教え子レギュラーに限らず補欠も含め、全員名前も顔も覚えてるという話があって
たまたま取材記者の同級生が北陽野球部員だったので、試しに聞いてみたらしい
そしたら松岡さん「○○に住んでて○○中学の子ね」とちゃんと答えたそうな
しかもその同級生は半年で辞めた部員だったので、記者はほんと驚いたとか
新聞か雑誌か忘れたが何かの記事に載ってた ええひとやね
個人的には松井5敬遠の時に感情論に流された残念な解説者って印象だが 松岡監督の息子さんは茨木高校から阪大医学部卒。
甲子園大会のドクターとして活躍した。 1981年以降の大阪勢は2000〜2004年頃の低迷期もあったが、毎年春夏のどちらかで1勝はしているな。
特に1981〜1999年までの19年間は春夏のどちらかでベスト8以上に進出。
また1981年以降の夏の甲子園で無得点で敗れた試合がまだない。 >>96
76年PL 準優勝 4勝
77年大鉄 ベスト4 4勝
78年PL 優勝 5勝
79年浪商 ベスト4 4勝
と大阪代表は夏に大勝ちしていたからなあ、なおさら80年の北陽の物足りなさが浮き彫りになった感があった。 前田日明が高校時代を振り返って「北陽は不良学校だったが教師の方が怖かった。野球部の松岡なんてヤクザやで」とか言ってたな 78年夏から82年夏、近大付の準優勝4回近大付豊田監督は気の毒だった
80年夏はPLに勝ってるのに決勝は北陽に負けて81夏もまた北陽・・・・・
82夏に松岡監督に雪辱を果たしたのに決勝で春日丘に負け
確か翌年夏も北陽にやられてたな 1978夏 準々決勝 ○近大付5-4北陽● 決勝 ●近大付3-9PL○
1980夏 決勝 ●近大付2-5北陽○
1981夏 決勝 ●近大付0-2北陽○
1982夏 準決勝 ○近大付7-4北陽● 決勝 ●近大付1-9春日丘○
1983夏. 4回戦 ●近大付1-3北陽○ 1980の早実ー北陽戦で荒木の球は動いていたと何年か前の週刊朝日の甲子園増刊で当時の北陽の
選手が振り返っていたけど、ツーシームを荒木は投げていたのかな。
荒木といえば外角低めに精密機械みたいなコントロールで投げ込む印象でしたが、1982夏の星稜
戦は腰を痛めた影響かショート回転していたストレートを逆手にとって、珍しく内角ぜめで星稜を
完封したのが記憶に残っています。池田戦でも同じ投球をしてくれていたら、十分勝てたと思いま
したが。池田とも対戦した日大二の選手は早実の方が池田より強いと言っていましたし(朝日新聞の
縮小版の東京欄)。 桜宮も、何回も決勝で負けているんじゃなかったっけ? >>107
星稜には荒木は1点取られている。スコアは10-1。
まあ二回戦であの弱体投手陣の日大二から4点しかとれずやっとの思いで勝った池田をみれば、山びこ打線は評判倒れ、荒木は打てないと思った人は少なくなかっただろう。 1975年から1978年までの4年連続で、選手権大会決勝はサヨナラゲームなんだな
・1975年
○習志野(千葉)5−4新居浜商(愛媛)●
・1976年
○桜美林(西東京)4−3PL学園(大阪)●
・1977年
○東洋大姫路(兵庫)4−1東邦(愛知)●/延長10回
・1978年
○PL学園(大阪)3−2高知商(高知)●
PLは2年間で、選手権決勝でのサヨナラ勝ちとサヨナラ負けを経験しているんやね
KK3年の夏決勝でも宇部商業にサヨナラ勝ち(夏決勝で今のところ最後のサヨナラゲーム)
ついでに言えば、KK2年時の夏決勝は取手二高に延長戦の末に敗退
PLはセンバツの決勝よりも、選手権の決勝の方が盛り上がる試合をする学校なんやな
インパクトが強い理由の1つかもしれない
こう見ると、70年代から80年代の高校野球の盛り上がりは凄かったのだろうな
私は今年で32歳の若造だから、記録でしか追えないのがねぇ >>111
同世代ですね
子供の頃清原が好きで母校がPLということを知って、応援してたのが福留在籍時のことだった
PLは勝っても負けても劇的な試合多いよね
そんな俺は今は大の大阪桐蔭ファン ラジオ深夜便
5月13日午前4時05分
▽特選 スポーツ名場面の裏側で
「五輪放送の証言」
元NHKアナウンサー…土門正夫
(平成21年9月25日放送)
5月14日午前4時05分
▽“2020”に託すもの
「高校野球と歩んだ半世紀」
日本高等学校野球連盟理事…田名部和裕
13日は懐かしの土門正夫アナの声が聞けます
リアルタイムじゃなくても、数日後にきき逃しサービスで聞けます >>104
前の会社の上司も似たような事言ってたぜ。
その上司は北陽サッカー部OBだけど。 >>109>>110
あの試合星稜がジャンケンに勝って先攻取って和田監督時代の早実としては珍しく後攻でしたね。
山下監督の目論み通り先制したものの投手陣崩壊で大差が付いた。 >>111
ついでに言うと、75年の二年前の73年も決勝はサヨナラゲーム。
しかも広島商がお家芸ともいえるスリーバントスクイズで決着。
したがって、73年から78年までの6年間のうち、なんと5年も決勝はサヨナラゲームだった。
この時代を見ることができた自分は幸せだと思う。しかも79年には箕島星稜の18回もあったし。
いまは終盤戦になるとラグビーみたいなスコアの試合が目立つし、決勝が一方的になることも珍しくないからね。点が入って見た目にはおもしろく感じるファンもいるだろうが、一点の重みを感じさせる息づまる試合はほとんどなくなったな。 >>116
だって全国各地の予想最高気温見たら凄いでしょう?今は。
天気予報で全国の予想最高気温だとか降水確率を放送するようになったんが昭和55年頃でさ、その時代に30度以上は珍しかった。
たまに那覇で32度とかあったけど。
今は35度以上の予想は珍しくないもんな。
そりゃ取り巻く環境もしんどいよ。 >>117
暑さだけのせいじゃないと思うぞ。
それじゃ今年の選抜の終盤戦のラグビースコア連発はなぜ?
体格向上に金属バットがプラスして試合が壊れるほどの打高状態であることが最大の原因だな。木製バットに戻せば解決する問題なんだがな。
一部の有力高校に有力選手が集中して各校に戦力格差が生じていること、投手にスタミナがなくなっていること、守りが雑になっていること、などほかにも理由はあるだろう。 >>115
荒木の時代、早実は甲子園17試合のうち、後攻は82年春の横浜商戦と82年夏の星稜戦の2試合だけだな。
星稜戦は早実が先手を取ってそのまま大勝したぞ。星稜が1点を取ったのはたしか5回表。 >>119
守りが雑って感じはあまり受けないんだけどねぇ
打力の向上がほぼ青天井気味なのに対して、投手力の向上には(バケモンみたいなのは除いて)限界がある
この点がすべてなんじゃないかな >>121
守りは確実に雑になっているぞ。
打力も技術が向上したというよりも、環境があまりにも打者に有利になっている面のほうが大きい。金属バット、ボールの改良が最大の要因だろう。
いま木製バットに戻したら、あっという間に投高打低になるだろう、ほとんどの打者は打てなくなるよ。 >>119
選抜大会まで追及されたら返す言葉がないわ。
>>120
そうでしたね。
現地観戦したはずなのに知ったかぶりみたいでスマン。
何か証拠あるかな・・・
広島商業ー鉾田一
高岡商業ー宇部商業
見たな。
重苦しい投手戦からともに一気に試合が動いた終盤。
あと麦わら帽子もらったな。
ツバの部分にHITACHIって青いプリントされてるやつ。
麦わら帽子を配っていたのってこの年までかな?
今でもオカンが草むしりの時に使うてるわ。 あと百円でパンフレットが売っていたね。
それを購入した。
岡山県代表の関西が久しぶりに出ていて『かんぜい』ってルビが振っていた。
普通は関西大学の『かんさい』か関西学院大学の『かんせい』って読むからな。
青森県代表の木造が『きずくり』になっていた。『きづくり』ぢゃねぇの?って関東弁で突っ込んだっけ。
内野スタンドのイス側面に書かれていた『バャリース』←これ何て読むねん!
JCくらいのお姉ちゃんが突っ込んでいた。
思わず笑ってしまったけども
実際日本人で正確に発音出来る奴おるんか? >>121
当時は両手で捕れ、正面で捕れというのが常識だったけどそれが間違いだとわかったからだろう。
雑に見えるかもしれないが技術は上がっている。 >>126
職場で甲子園中継見てて、「最近の高校生はシングルキャッチするんだなあ〜」と感想漏らした人がいて、
別の人が、「最近は少年野球でも正面で捕れとは教えないよ」と解説して、
それを聞いたおれは、すんげえ驚いたよ。。 自分の常識がひっくり返ったくらいに。
試合中のベンチで水分捕ってる選手を見たとき以来の驚きだ。 それ、自分も思う。
キャッチャーとファースト以外はちゃんと両手で獲れと言われた。
ベンチでの水分補給も、コカ・コーラ飲んでるベンチ見たとき驚いた。(炭酸抜きだったのか?・・)
「ファンタ」だったらまさにファンタスティックだと思う。 >>122
ここ数年の甲子園大会を見ていると、ストライクゾーンが中途半端に狭くなっている気はする
「高校野球なのに、そこ(ストライクを)取らないの?」
というシーンが確実に増えた
打者有利の環境に加えて、審判の基準まで打者に迎合しているのも問題だと思う
加えて、ストライクゾーンの可変式
審判が色気を出して、変に試合を演出しようとしている事も多い
上述の勝手な判断で、ストライクをボールに判定されてしまうと、投手はしんどくなって当然だろう >>118
沖縄水産2年連続決勝進出
佐賀県勢の2度の満塁ホームラン
奇跡のバックホーム
松坂ノーノー
北海道勢初優勝
延長再試合
日本文理の驚異の追い上げ
PLのサヨナラ優勝以来、決勝だけでもこれだけ名試合あったのにサヨナラは32年も無いんだね
85年生まれの俺からしたら生まれて初めてのサヨナラ優勝見てみたい >>111
それとご存じの方も多いが
サヨナラ決着翌年の79年〜84年のラストシーンは三振で優勝決定してるってのも印象深い
KKのサヨナラ優勝の翌3年は内野ゴロで終了と、なぜだか似た終わり方が続いたのを思い出す 立命館宇治やら初芝立命館やら、市岐阜商なんかは公立なのに
立命館に移管されるとこやった
三校共甲子園出場高校 >>111
厳密に言うと1974年に江川がでてきてから、
1985年の桑田・清原のラストイヤーまでの間かな。
この10年間ぐらいは、
江川から始まって、原、バンビ坂本、奇跡のPL、ドカベン・牛島、箕島vs星稜、
荒木大輔、やまびこ池田、桑田・清原と、
毎年のようにスターが登場して名勝負も多かった。 >>134
江川登場は1973年ね。
ホント73年から85年までの期間は高校野球の黄金時代だった。 今年は100回大会だけど朝日、NHKは何か企画ないのかね?よりによって朝日はテーマ曲、熱闘甲子園に嵐起用でガッカリきたけど。 >>129
自分が子供の頃はストライクゾーンの上限は脇の下だった気がする。
今はユニフォームの胸のマークとかいろいろ言われてるけど本当のところはどこが上限なの? リアルタイムで見てないからわからないんだけど
85年のKK最後の夏の大会ってやっぱり始まる前からほぼPLの優勝だろって空気だったの?
正直横浜、帝京、伊野商、天理が予選敗退で代表校の顔ぶれ見てると
なんとかギリ相手になるのが高知商くらいしか見当たらないんだけど。
野球有力県の代表校が例年より小粒というか…。
宇部商は大会中に覚醒したんだろうなって感じ。 >>138
選抜準決勝でPLを破った伊野商業を倒し、高知代表になった高知商業は打倒PLの1番手
あとは49代表校中、No.1のチーム防御率と打率を誇った銚子商業
選抜準優勝の帝京を打ち崩した初出場の関東第一
大型投手佐々木を擁する東北高校
好投手豊田を擁し、秋季近畿大会でPLに勝ち、夏の兵庫大会では選抜ベスト8の報徳を倒した東洋大姫路
選抜ではPL相手に互角に戦い、前々から高かった評価が更に上がった宇部商業
ダークホースとして、選抜ベスト4の池田を下した徳島商業
大分の津久見
こんな感じなのかな
あと、1985年の横浜は選抜で報徳に2-10と大敗している事からして、そこまで強いチームでもないのではないか
1985年の選抜時点でも、東京・関東の代表校の中でもさほど前評判も良くなかったようだ
帝京、国学院久我山、東海大浦安よりも評判は芳しくなかったみたい >>138
佐々木擁する東北が創部3年目の甲西にサヨナラ負け食らってなければ次はPLと対戦だったので見てみたかった気もするが…
あと私見だが宇部商は覚醒したって言うよりも実力はあったように思う
春初戦で原口の熊谷商に勝ち、2回線でPLに負けた。
夏初戦も優勝候補の一角だった銚子商に快勝するなど藤井を筆頭に好守まとまりがあった >>139
ああ、銚子商がいましたね。古書で買った甲子園の星で恋愛話してたから軟派なチームだと思ってました。
横浜にはドラフト指名された相川がいたので何となく強いイメージがあったんだけどそうでもないんですね。
藤嶺藤沢とか恐らくここ40年で一番弱い神奈川代表じゃないかと思うんでこれが横浜だったらなと。
この年の神奈川は谷間だったのかな?
>>140
東北も力はあったんでしょうけどの佐々木の回想聞くと腰通で青息吐息な感じでとても相手にならなさそう。
まぁ甲西よりは接戦になるとは思うけど。
結果的に宇部商との決勝が接戦だったので今でもドラマとして語られてるんでしょうね。
これがワンサイドなら2012の大阪桐蔭みたいに強いけどイマイチ語ることがないみたいな。
俺がこの年の代表校を物足りなく感じるのは当時のPLが突出しすぎていたからなのか?
にしてもPLの有力な対抗馬が公立ばかりなのも時代ですな。今なら考えられない。 >>139
いい線だね。
大会前の朝日新聞の座談会では、PLに匹敵するくらいの実力として高知商が挙げられていた。
この年の高知県のレベルは異常なほど高かったから。
さらには銚子商の名も挙がっていたが、記事の中では短くでしか触れられていない。大型チームだったがエースの片平に象徴されるように脆さも背中合わせのチームだった。
東北の佐々木は好投手だったが、足の豆が化膿してまともに投げられる状態ではなかった。甲西に勝ったとしてもPLには通じなかっただろう。この大会、投球回数より被安打のほうが多いはず。のちの大魔神の面影は当時はまるでなかった。
要約すると、高知商、銚子商、東洋大姫路、宇部商あたりが対抗馬ではなかったか。
個人的には前年夏のほうがPLは突出していたという感じがしたな。 >>139
横浜は春の関東大会では、準決勝・銚子商に8-7で勝利、決勝・帝京に8-9で惜敗だから
この2校とはそこまで差はなかったんじゃないかな。ただベストメンバーで戦ったかはわからないけど。
.
>>142
相川は夏の決勝戦当日に肘痛が発生して登板できなかったんだよね。
四番一塁で出場し、意地のホームランを打ったが空砲に終わった。 .>>142
藤嶺藤沢は過去40年間の神奈川代表では、ワースト3のレベルに入るかもしれないね
横浜ならば、高知商業戦も違った展開になったかもしれない 恐らく負けるだろうけど
当時のPLはKKに松山、内匠、今久留主とこの学年だけで5人もプロに入る異次元のチーム
高知商業や宇部商業の様に、競り掛ける強豪がいただけでも熱い時代だったのではないか
2012年の大阪桐蔭は、確かに非常に強かった
しかし、対抗馬の光星学院がどうも…
選抜決勝(3-7で負け)を糧にして、打倒桐蔭で取り組んでいたとは到底思えない選手権決勝(0-3ではあるが、スコア以上の完敗)
まあ、光星の監督は準々決勝の桐光学園に負けると思っていて、決勝を見据えていなかったと語っているので、
桐蔭の対抗馬としては実は荷が重かったのかもしれない
ちなみに、1985年の宇部商業や1998年のPL学園、2000年の柳川高校あたりは、
その年の夏優勝校(PL・横浜・智弁和歌山)と春夏共に対戦しており、春以上に夏の方が白熱した試合になっている
結論としては、2012年の大阪桐蔭は対抗馬が打倒桐蔭に燃えていたとは思えない光星学院だったのも盛り上がりに欠ける要因だと思う >>145
2012は花巻東が出られなかった時点で大阪桐蔭の春夏連覇決まったなと思ってたらホントにそうなった
だからと言って報知高校野球の表紙が松井なのはおかしいだろ 藤沢商は一勝してるし二回戦も1-0での惜敗だから悪くないでしょう。
藤沢商は藤嶺藤沢と兄弟校やね。
共に男子バレーボールの強豪って印象だ。 >>147
ヤバいのは77年の東海大相模
原、津末らが抜けて打線が非力で投手もオンボロ 88年の法政二は実力としてはどの程度なんだろう。
福岡第一に負けたとは言えワンサイドではないし相手が悪かっただけなのか? >>148
前年の田代がいたチームとどれくらいの差があったんだろう。
でも横浜が出てればもっと濃い大会になってただろうな。
あのチームが予選敗退とは渡辺監督もそりゃショックで失踪するよな。 >>142
この年の東北には佐々木の控え投手で葛西がおりました。
卒業時には佐々木は東北福祉に、葛西は法政に進学。
エースの佐々木が大学球界で頭角を表し始めてたとはいえ地元の東北福祉に、控えの葛西が全国から有望選手が集まる東京6大学の法政に進学とは少し驚いたけど。
大学では葛西は法政のエースどして大学選手権でノーヒットノーランを達成、佐々木も故障に苦しみながらも活躍して二人ともドラフト1位でプロへ進んで。 >>151
準々で桐蔭学園に0-1で負けたんだよな。
7回かな、二死三塁で永川がショートへ内野安打を打たれて。
渡辺監督が失踪したのは、相模全盛の75年夏のことじゃなかったか? >>153
失踪は、永川3年の夏決勝でエラー連発で負けた後のような気がします
73年の夏大会敗退後は、広島商の強さについて雑誌のインタビューに答えたりしています >>142 >>144
愛甲以来の逸材(野球以外の面で)といわれた相川か。 相川は元ヤンという書き込み見たことがあったがやっぱりそうなの? 東北の一つ前の三回戦で甲西旋風に飲み込まれた久留米商業
エース秋吉が連続完封・29イニング無失点と絶好調だっただけに
もし勝ち進めば故障の佐々木よりはPLに対抗しえたかもしれない。。。 >>149
宇都宮学園に0-10と惨敗しているね
この年の神奈川はあまり強くなかったのかな?
ちなみに意外な事に、神奈川勢は選抜では1975年に東海大相模の準優勝(決勝は高知に延長13回で5−10)から
1982年に横浜商が出場するまで(選抜ベスト4)までの7年間も、遠ざかっている 上のほうにも書いてあったが、藤嶺藤沢は破壊的な弱さだった。優勝監督が采配しても
兵隊がダメならどうしようもない。優勝校を多数輩出してる都府県でもときに弱いチーム
が代表権をとる現象は興味ぶかい 1974年は慶應の前評判が高かった。
鬼嶋さんがいたときかな?
夏予選準決勝では横浜が1-0と薄氷の勝利。
この試合内容知ってる人いるかな? >>158
77年は横浜商か桐蔭学園が出るべきだったな
長谷部、塩沢という好投手を擁していたから甲子園でみっともない試合はしなかっただろう 相模と横浜商の決勝は0-0の12回裏、内野ゴロで併殺をねらった野手の送球が走者にあたって転々とする間に二塁走者が還っての幕切れだった。
試合内容は横浜商が押していた。春の県決勝でも9-1で勝っていたんだが。
相模はやはり原監督が大学に異動になり弱体化した。穴見監督に投手が西のときだな。 原監督が復帰した81年夏、東海大相模は決勝で横浜に負けたね。
結局、復帰後は甲子園に出場できず。 >>159
当時の藤嶺藤沢の監督って桐蔭学園で優勝した木本芳雄監督でしたね。
木本といえば今日なくなった俳優の木本龍雄さんも在日朝鮮人ですな。 東海大相模が甲子園に出られなくなった78年から、代わって横浜が神奈川を代表する学校になったね 横浜とY校の時代だな。
両校甲乙つけがたい格好いいユニフォームだった。
神奈川の代表って基本的にユニフォームがオシャレ。
桐光学園を除いて。 >>168
当時の高野連会長も区別がついてなかった。
83年夏の閉会式で思い切り間違えていた。 >>167
指導者でいえば渡辺と小倉の時代だな
両者が合体後、横浜は春夏連覇する >>156
高校野球雑誌(選手名鑑)の選手紹介欄に
「長い手足に反比例して気は短く、教室でもグラウンドでもボスとして君臨。勉強は大嫌い」
みたいなコメントが載るくらいの相当のワルだった。 横浜高校のユニフォームは強いから映えるが、デザインや胸文字のロゴは古臭く感じる。 >>172
俺は好きだけど、先輩はグレーがダサいとか言ってたな
同じ理由で熊工もダサいらしい
人それぞれ感じ方は違うんだな とんねるず石橋貴明氏がかっこいい高校野球ユニフォームとして熊本工を挙げていなかったかな?
でもやっぱり昭和51年までの白地にKUMAKOのユニフォームがいいな。 ベタだがPLが一番好き
胸の文字のインパクトがすごい
東北、横浜、東邦(坂口時代の)、報徳とかも好き >>144
85年春の横浜は、大会前の報知の記者座談会で中山編集長が「忘れてはならないのは横浜だ。エース相川が抜群の成長ぶり。あのチームは攻守に鍛えられているから投手がいいときは必ずやる」とえらく高く買っていた。
そんなものかな?と不思議に思ったが、選抜では報徳戦の二回に大量7失点で完敗。報徳ナインに「相川の球はマシンみたいに素直だった」と言われる始末。いまでは珍しくないが横浜が甲子園で惨敗するのを初めて見た。 >>177
スコアは10ー2だったけ?
その試合のラジオの解説者が逆のスコアで横浜が勝つと思ったと言ってたな
弘前工に大苦戦した報徳と倉敷商に快勝した横浜を比較したら、当然そう思っても仕方ないな
だがそれを解説者が公共の電波で正直に伝えていいものかは分からんがw 横浜のユニは93年までのハイカットな着こなしが好き。翌年に胸文字の書体が変わってストッキングもローカットになった。
ハイカットスパイクや両耳ヘルメットが主流になりだしたのがこの辺り。
長髪チームも増えて「あー高校野球も変わったなぁ」と感じたのが94年だな。 両耳ヘルメットは主流というか、規制でそうなった
それよりも帽子の色は何でもいいのにヘルメットは黒か白だけというのがワケわからん
長髪は天理、仙台育英、柳川のイメージだった
最近は前みたいにほとんど坊主だね >>180
両耳当て付きヘルメットは94年から。
その前年の93年は移行期間だったのか?選手やチームによっては片耳だったり両耳だったりでした。
色の規制はそれより10年以上前の83年から。
色は白、黒、紺の3色だけでツートンは不可とこれまた?な規制が今も続いて。 1993・1994年が片耳・両耳混在で、1995年から両耳のみ。 世論に負けてタイブレークや女子マネの甲子園練習あっさり解禁したから
ネットで意味不明の色規制叩かれたら解禁するかもな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています