30歳以上のおっさんが高校野球を語る27
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石田、根岸の川越工には甲子園に行ってほしかったよ
野球は怖いなあとあのときは思った 序盤の大量リードで気が緩んだか。
この年から埼玉は一気に私学優位に変わってしまった。 >>357
公立王国だったのがここまで一気に私学優位に変わるとは・・・
埼玉県からの私学初出場が85年春の秀明というのも今となっては信じられないけど、夏は立教、翌年は浦和学院が甲子園初登場と流れが激変した・・・ 85年夏の立教vs川越工の決勝は立教が0−5の劣勢からの逆転劇で11−5で立教が甲子園初出場。
後に神宮で活躍した黒須、高林、山口、平田が立教の主力選手でした。 >>358
埼玉といえば、県立学校ながら「学園」の名称がついて話題を呼んだ伊奈学園総合が
平成2年のセンバツに出ただけの”一発屋”になっちゃったね。
甲子園はもうダメなんかな? 埼玉といえば谷口のいた時の浦和学院、谷口の落ちるシュートがキレまくって向かうところ
敵なしだった。が、松山商が打者一巡の猛攻であっさり粉砕したのは記憶に新しい >>358>>359>>360
昭和60年夏の埼玉県大会は色々ありましたね。
選抜大会で埼玉県私学甲子園初出場の秀明が初戦城西大川越戦で7-1のビハインドから9回二死無走者から7点取り大逆転勝ちとか準々決勝で選抜大会に秀明と出場した熊谷商も原口哲也の故障もあって春日部工業が終盤大逆転。 ⬆
秀明ー城西大川越は初戦じゃないや。
4回戦か5回戦あたりだな。
川口工業、春日部工業も平成一桁までは上位進出あったけどここんとこサッパリ。
川口工業に至っては初戦10連敗があったり秀明も10連敗中。
春日部工業の夏の決勝戦進出はなかったっけか?
夏の埼玉県大会で3回か4回優勝しながら二次予選に負けて未だ甲子園童貞の鴻巣に期待したいんだが難しいな。 >>354
星稜戦での起死回生の同点弾の感触が忘れられず右方向を狙う本来のバッティングが崩れてしまったと本人の談がありました。
春夏連覇を果たした旧チームで2年生レギュラーだったら新チームでは主軸を担ってもおかしくないのが不振続きで打順は下位に・・・ >>361
あっさり粉砕とか馬鹿なの?
谷口は連投の疲れで明らかに本調子じゃなかった >>363
結局、公立の場合は、
熱心な指導者がいるときは強いが、
何年かして異動になると、あっという間に弱体化する。
上尾、熊谷商、川口工も名物監督がいたな。
私立の場合は
学校の運営方針が変わるとあっという間に弱体化する。
よくあるのはスポーツから進学に切り替える時な。
有名なのは江戸川学園取手とか。
秀明もそ類いだろうな。 >>360
伊奈学園総合は全国初の総合選択制の高校として新設された公立校で
ようやく学校運営が軌道に乗ったところでであるが、まだまだ野球部強化どころではなかったよ。
ただ、敷地が広くて専用グラウンドもあって環境面は恵まれていた。 当時、伊奈学園総合の銭場投手。校内で人気あっただろうな >>365
松山商の猛攻に遭ってKOされたときに、グラブを投げつけたりのふてくされた態度をとって
大会役員に監督ともども厳重注意処分を喰らったんだっけか? 大阪は「私学7強」の時代が一番良い時代で健全だった
KKのPLやら今の大阪桐蔭や履正社の選手集めて勝負ありの独占状態は不健全な気がする
他校の監督や指導者の育成を阻害しているとしか思えん
「私学7強」の時代はほんと個性の強い濃い監督さん達が多かったのに・・・ >>370
確かそうです。大学か社会人時代ドラフト候補だった記憶が。モテそうな顔してましたね。 >>370
>>372
確かではなくその通り。
社会人でも30代後半まで長く活躍しました。 >>369
大差がついたあとの鈴木健の守備は見ていられなかった。
ボールを追おうとしないダラダラしたプレー。
「でかい身体ででかい当たりを飛ばせばいいというものではない」と報知の決算号でもたたかれていたな。 私学7強の一つ興国は甲子園が遠ざかっても村井監督がしばらくしていたけど近代野球というか金属バットの対応が遅れていると古い高校野球ファンが言ってたな。 昭和60年夏の埼玉大会は、センバツ出場の熊谷商業、秀明より石田、根岸のWエースの川越商業と平田投手の立教が前評判は高かった。前年代表の上尾は池田投手や強打者 井がいたが名前は上がらなかった。 >>371
PLにはたくさん楽しませてもらった。
奇跡のPL、全盛期の箕島とのガチンコ対決、センバツ決勝の印旛戦、
最強と言われた池田を桑田が完封したり、清原の豪快なホームランなど、
それに比べ大阪桐蔭は、
PLと同じように全国から選手を集めて、
やってることは同じだが、
なんか、ただ、勝ってるというだけの感じなんだよな。 >>378
大阪桐蔭には名勝負がないというのはよく言われるよね。
それはいまの高校野球全体がそうなんじゃないのかな。
打者の技術向上以上に金属バット、ボールなど用具が進歩して圧倒的な打者有利となり、多少の失点は気にせずにより多くの点をとればよいという試合が多い。一点を大切にする風潮が薄れている。
単なる点取りゲームと化しているから、名勝負というのはなかなか生まれにくい。
かつ、ライバル校が不在でスカウトにたけた学校が数少ない有力選手を獲得して甲子園を席巻している。その筆頭が桐蔭。
パワーにものをいわせて大量点を取る。リズムが狂えばあっけなく敗退する。なんとも大味。 >>379
91春の2回戦、6−4箕島。91夏の3回戦、4−3秋田は中々の試合展開だった。 PLの劇的さには負けるかもしれんが、
大阪桐蔭の試合では
91夏秋田
08夏金沢
12春浦和学院
14夏三重
18春三重
ここら辺は手に汗握る試合だった >>381
91夏は沢村の活躍で辛勝、危うく東北の進学校に負けるとこやったな。
ピーの和田や瀬尾は元気にやっとるかな?キャプテンの玉山はお寿司屋さんやっていたような。
阪神ドラ1の鬼嫁もらった萩原誠も元気かな? 大阪桐蔭の初めての甲子園だった91年春は仙台育英を相手にいきなり和田友貴彦のノーヒットノーランという派手なデビューでした。
その時の相手の仙台育英には昨年夏に信じられない形でのサヨナラ負けで四半世紀越しのリベンジをされたけど・・・ 今の甲子園って代表校どころかベスト8の顔ぶれもいつも似たような連中でつまらん
大阪桐蔭みたいな学校はさっさと消えて欲しい 最近思うのは幼稚なことを監督自らやってることに違和感
試合前に変な感動モン自作DVD作って見せて選手泣かせたり
「野球の神様が・・」どうのこうのと日頃の行いで勝てたやら
整備員に向かって皆整列し「グラウンド整備ありがとうございましたーっ!」
観客に礼儀の良さをアピールしているとしか思えんアホか >>386
子どもの絶対数が減っているうえに、サッカーなど他の競技を選択する子も多いから、野球で能力のある子は間違いなく激減している。
その数少ない能力ある子をスカウトして獲得した学校がそのまま甲子園でも上位を占める。
選手の育成能力以上にスカウト力でほぼ優劣が決まってしまう。
いまは全国から選手を集める学校が多いが、そうでもしないと質の良い選手を確保できないのでは。子どもの数の多い昔は大半の学校は近辺だけで集めれば済んでいた。
底辺が狭まっている。出場校が固定している県が多いのも、甲子園の上位の顔ぶれがほとんど同じで新鮮味に欠けるのもそういうことだと思う。もはや高校ラグビーのようになりつつある。
少子化の流れは止められないだろうからこれからますますそうした状態はひどくなっていくだろうね。
スタンド満員で隆盛のように見えるが、本当のファンは離れていると感じる。 朝日の南大阪大会展望
近大付・大体大浪商を軸に初芝立命館・興国などがからむ そういえば興国のグラウンドって枚方だったな
地震で水道とかは大丈夫なのかな
昨年の朝日新聞高校野球CMのダンスを撮影したのが興国のグラウンドやった 日本がコロンビアに勝った番狂わせは高校野球に例えれば
新湊が享栄に勝った試合かな? >>392
昭和59年夏、新潟南が明徳義塾に勝った試合を思い出した。
新潟が高知の、それも明徳義塾に勝つなんて、想像も出来なかった。
同じ大会の滋賀の長浜が、センバツベスト4の大船渡に勝った試合もそうだった。
長浜の西田一人に大船渡がしてやられた。
西田は大迫とダブったな。 80年代の番狂わせというと印象的なのは、新湊一享栄、新潟南一明徳のほか、81春の東山一早実、81夏の新発田農一広島商、88夏の浦和市立一宇都宮学園などかな。
70年代は、71夏の磐城一日大一、73夏の旭川竜谷一東洋大姫路、75春の豊見城一習志野、77春の中村一天理、78夏の倉吉北一早実、郡山北工一松山商、79夏の明野一高松商などかな。 >>394
衝撃度で言えば、旭川竜谷−東洋大姫路かな。
応援で手を抜いていた東洋大姫路は翌年の山形南戦ではちゃんと応援団を送り込むことに・・・ >>386
それは野球に限ったことではない。
他の高校スポーツはもっと同じ顔ぶれ。
むしろ、野球の方がまだ違う顔ぶれが多い方だよ。
まあ、大阪桐蔭みたいなのは消えてほしいのは同意だが。 高校野球は、高校野球というジャンルみたいなものだからな。高校で燃え尽きでも後はしらん、みたいなのが続いてきた。他の競技では、五輪を頂点にしているのが多く、高校大会なんかには出ない選手までいたりする。 聖光学院の11年連続てあんまりやろw
久しぶりに学法石川、日大東北、磐城などを見たいもんだな 福島を筆頭に最近は出場校が特定されている県が多すぎる。初出場が数校しかない年が続いている、新鮮味がない。
その特定された出場校の大半は留学生が集まる野球私学。高校の部活動の領域を越えてしまったやりすぎのところが多い。
そんな学校が出場するのは当たり前すぎておもしろくない。
地元で限られた環境の中で部活と勉強を両立させている子に甲子園の土を踏ませてあげたい。 2014年の決勝で日大東北が9回ツーアウト4点リードを逃げ切れなかったのが惜しかった。
好投手大和田に抑えられて、聖光もここまでかと思ったが。 昔の高校野球は、せいこうがくいんの異常な連覇みたいなのは少なかった感じがする。最近は高知県でもそうだが、明徳のライバルになるはずの学校が、どうせ勝てないんだからと、最初からあきらめているような展開が態度などで見てとれる。諦めが早い 馬淵監督の母校・愛媛県三瓶高校部員がおらんのか連合チーム組んでいるな。 >>401
戦前だと海草中学が台頭するまで20年近く奈良・和歌山地区代表を占めてきた和歌山中学みたいな例も散見されるけど、まだ高校野球の人気が
全国津々浦々までは行き渡ってはいなかった時期の話だもんな。 春の福島大会は2位が福島商で、3位が磐城。
両古豪が頑張っているが、1位との差はあまりにも大きい。 地元で限られた環境の中で部活と勉強を両立させている子に甲子園の土を踏ませてあげたい。
これが高校野球が隆盛してきた理由だろう。今後は下降して行くだろう。 まもなく今年も夏の高校野球の予選が日本中で行われるけど、
以前は「日没コールドゲーム」ってのが結構あったような気がする。
それが最近は全然聞かなくなった。
予選の段階でも照明設備の無い球場は使われなくなったということか? 地方大会で1日1球場の4試合ってのをあまりしなくなったのとロースコアの展開が少なくなり延長戦が減ったことかな。
さすがに日が長い夏でも延長戦があって1球場4試合すれば日が沈むよ。 以前は、北北海道の支部大会で、朝7時半開始というケースがあったね。 初出場当時よりは県外人が少なくなり、地元人が多くなったとか言ってる割には
相変わらず主力だけは関西人や関東人が占める
こういう私立多いよな東北わ >>406
「日没コールド」なんて、ゴルフ以外では聞いたことないな
あ、ゴルフは「日没サスペンテッド」って言うんかな? 長野高校対丸子実業
丸子実業が日没再試合狙いも、度重なる遅延行為で没収試合。
長野高校の勝ち。 >>410
いや、昭和の終わりでも秋の九州大会?で日没コールドゲームあったよ。
選抜甲子園の出場を決める試合なのに日没コールドゲームとは驚いた^_^ >>408
釧根地区大会ですな。
昭和50年代後半まで七時半開始がありましたよね。
夏の釧路の日の出って四時前ですもんね。
>>412
平成2年の秋季中国大会二回戦【広陵ー宇部商】がありましたね。
5ー2で広陵やったかな。
前の試合【邇摩ー岡山山陽】が延長16回9-8のせいかと思われます。 75年秋の東京大会の準決勝、日大三対国学院久我山も八回日没コールドで日大三が2-1で勝っている。球場はどこだったかは忘れた。
久我山の投手は巨人入りした吉沢だった。 日没コールドゲームじゃねーけど、1988年選手権の滝川第二対高田の降雨コールド
アサヒグラフの写真がバックネット前で審判が居て両校主将が握手している場面が印象的やった >>416
滝二の佐野はドラフト下位で大洋行ったな、今どうしてんやろ。
ハンパないって、の中西くんは銀行員やけど。 >>417
佐野は滝二甲子園初出場時の4番でしたな。
退団する時に実家が蛸漁を営んでて後を継ぐとの話を聞いたような。 >>418
ありがとう、確か2年の春は立浪、野村、片岡、橋本のPL春夏連覇の年で、滝二は秋の県ブロック予選で同時出場の明石にコールド勝ちして、近畿大会も準優勝やったような。 明石は、近畿大会でPLにも勝って、選抜甲子園では初出場の常総学院にも勝って強かったんだな。井上、藤本は社業に就いてるんかな? 夏は芝草の帝京に負けたけど、対戦相手は強豪ばかりでした。 選抜大会は常総学院に4-0で勝って、次戦は池田に8-3で負けたんだっけか。 >>419
秋の近畿で準優勝したのは明石。
滝二は準決勝で、明石は決勝でともに佐々木の京都西に延長の末に負けている。 >>421
そうそう、日体大出の森田監督が、池田には勝つつもりだったから、内容は不満とコメントしていた。
池田も関東一の平子に抑えられて決勝進出ならず。エースは糸永? >>422
佐々木は明治大学の二部か通信制に入学だった? >>420
>>421
常総学院は選抜補欠校でした。
東海大浦安が選抜開幕1週間前に不祥事発覚で出場辞退。
代わりで補欠校の常総学院が甲子園初出場に。
急遽の出場でドタバタでチームとしては完全に調整不足。
島田も真っ直ぐで強気に押したけど、井上、廣田にHR喰らうなど明石に完敗。 >>425
廣田選手は実家の家業を継いでいるのでしょうか? >>425
東海大浦安はその夏、千葉決勝まで進出したが、城のいた習志野に敗れて甲子園に出られず。 >>427
習志野は大会No.1ピッチャーの佐賀工の江口をノックアウト。
東海大甲府が来たらあかんかったね。 常総学院は1987年の春夏が甲子園出場。まさか甲子園常連になるとは当時は思わなかった。 >>429
木内さんの指導を受けたいと近隣の有力選手が常総学院に集まってきてましたから茨城県では有力チームになりそうな予感はありました。
甲子園優勝監督の威光はやはり凄かった。
あっという間に常連に。 >>428
あの試合の2日前くらいだったか、佐賀工の宿舎で騒いでた選手らを
監督がバットで殴る制裁を加えてたんだよね。
佐賀工の習志野戦があまりに信じられない展開だとは思ってたけど、
事件発覚で納得出来た。 >>431
江口はとにかく球が早くて、強気で有名な東海大甲府の大八木監督もお手上げという感じだった。
即プロかと思っていたが、ノンプロのNTTへ、そのあとダイエーが強行指名したけど故障が癒えず引退。
もったいなかった! 1987年の夏の甲子園決勝はPL、常総に後にプロ入りした選手が5人もいた。しかも全員がプロで活躍したのだから凄い。橋本だけ微妙だけどね。 >>433
立浪、野村、片岡、橋本、仁志ですね。
PLが4人、常総が1人で。
常総の仁志はこの時は1年生でした。 いや、あとPLに宮本もいたから両チームで6人ですね。
PLの4番だった深瀬もプロに行けると思ってたけど、大学で伸び悩み社会人でも開花しなかった・・・ >>432
佐賀工は8回裏にホームスチールして東海甲府を下したな。あれは鮮やかだった。
一塁走者とのダブルスチール(捕手が二塁送球するスキに本塁突入)によるのでなく三塁走者単独のホームスチールはあまり見たことがない。
ほかには74春の池田雲本(函館有斗戦)、78夏の南陽工藤本(宇治山田商戦)、84夏の取手二吉田(鎮西戦)などが思い浮かぶ。
満塁での三重盗となると2011夏の習志野(静岡戦)が記憶に新しいが、75春の掛川西(能登川戦)があったな。
甲府の大八木監督は「江口はとにかく速い。一死三塁でないと点が取れない」と珍しくお手上げだった。実際、一死三塁の場面でスクイズで挙げた一点だけだった。 >>435
常総の島田もいるからPL5人、常総2人の計7人だろう。
連投失礼 >>436
投手が単独で成功した2006春の前田(PL学園)も印象深い。 サッカーW杯で日本がコロンビアに勝ったが、29年飯田長姫・驚きの初優勝、30年四日市・驚き
の初出場初優勝。48年静岡・準優勝! もそんなノリだったのだろうか?51年桜美林は松本
の玉は速いし、春関も制したし そもそも実力を秘めたチームだった 昔過ぎて分からんけど、最近なら佐賀北優勝みたいな衝撃じゃない? >>439
昭和最後88年のセンバツを制した愛媛の宇和島東もその中に入るだろう。
あの年の宇和島東は下馬評で、下から数えた方が早いくらいのチーム力だったし。 習志野の石井監督って、あの若さで母校を優勝させた割には
指導者として油の乗り切る年代の前の1987年夏が最後の甲子園になるとは・・
何か習志野の監督辞めさせられた経緯で揉めてたよな 日本がコロンビアに勝った衝撃を例えるなら、05年夏に清峰が名電に勝ったゲームだな
まさか長崎の初出場で田舎の公立が選抜優勝校に勝つとは想像できんかった あの年の清峰には驚いた。前年春夏連覇の寸前までいった済美も破ったし。
これに匹敵するのは71年夏の磐城対日大一、75年春の豊見城対習志野、86年春の新湊対享栄かな。 選手権決勝で三池工業が銚子商業に勝ったのは
本当にありえない番狂わせだったのか?
単に先入観によるものじゃないの? 昔の高校野球は、本当に国民的人気だったから、現在の多ジャンル時代のサッカーとは、また違うんじゃないだろうか。現在は、サッカーにしても興味がある無いが、昔より差が著しいと思う。娯楽がなかった時代の高校野球は、凄い認知度だったかも。 >>439
アホ
48年静岡は隠れ優勝候補、準優勝は驚きでも何でもない 西日本勢
大迫 鹿児島
乾 滋賀
本田 大阪
香川 兵庫
岡崎 兵庫
長友 愛媛
バカントン
川島 埼玉wwwwwブギャー >>443
平成夏未勝利の名電でもこの時ばかりはさすがに勝つと思ってたけどね
まさか平成も終わる今年まで勝てないとは思わなかった
今年甲子園出れなかったらその時点で平成夏未勝利確定になってしまう 常総学院 島田はドラフト外入団だが、息が長い投手として活躍した。 >>423
そうだよね、あの年の静岡は全国で代表決定が最も遅かったしなにしろ江川作新がいたからあまり騒がれてなかったけど強打ぶりは鳴り響いていた。
70年代以降で下馬評はまったくの予想外での優勝となると、76夏桜美林、78春浜松商、88春宇和島東、94夏佐賀商、99春沖縄尚学、2004夏駒大苫小牧、2007夏佐賀北、2013夏前橋育英、2016春智弁学園といったところではないか。
76夏の桜美林は春の関東でも優勝していたし力はあったが、なにしろあの年は崇徳、東海大相模はじめ強力チームがひしめきあっていたからなあ、大会前は話題にもなっていなかった。
74春の報徳、77春の箕島、88夏の広島商、96夏の松山商も大会前の予想からは意外だったが、これらは名門校の底力ということで除いた。 >>451
夏の甲子園の優勝校には一定の法則がある
それは「優勝の直近の3大会に出場経験あり」ということ
過去40年でその法則の例外は
82池田 92西短 94佐賀商 07佐賀北 13前橋育英 のみ
こうして見ると池田、西短は下馬評高かったけど、佐賀商、佐賀北、前橋育英なんかはやっぱり意外な優勝だね >>452
「優勝の直近の3大会に出場経験あり」
→これは春夏含めた直近3大会なのか、夏の直近3大会を言っているのかはっきりしないが、顔ぶれからして春夏含めた直近3大会なのだろう。
だとすると、80年横浜もそうだろう(前回出場は78年夏)。二年前の夏以来の出場で、92年西短と同様のケースだった。
夏の優勝校はその年の春にも出場していることが多いな。 >>453
直近3大会とは春も含めてます。
そーいえば横浜もだね
忘れてた 80年の横浜は、1年生で甲子園を経験した愛甲と安西がいたからなあ。 選抜に出ていると、選手権予選は余裕がある試合運びしている印象がある。自分等は一回出てるからな〜みたいな余裕が感じられる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています