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85年春の横浜は、大会前の報知の記者座談会で中山編集長が「忘れてはならないのは横浜だ。エース相川が抜群の成長ぶり。あのチームは攻守に鍛えられているから投手がいいときは必ずやる」とえらく高く買っていた。
そんなものかな?と不思議に思ったが、選抜では報徳戦の二回に大量7失点で完敗。報徳ナインに「相川の球はマシンみたいに素直だった」と言われる始末。いまでは珍しくないが横浜が甲子園で惨敗するのを初めて見た。