相洋の野球部長に就任当初、練習場には石が転がり、水が湧いていた。
部員とともにツルハシやスコップで懸命に整備。
それが今では雨天練習場などが完備され、外野も芝になった。
関東大会に導くなど同校を強豪に育て、教え子から元楽天の渡邊恒樹(所沢ボーイズ)らプロ選手も輩出した。
主に技術的な指導は監督に委ね「精神面を教えるのが自分の役目」と「ユニフォームの着こなしや道具の手入れ等に関しては厳しく叱った」 青春は野球一色。武相高校では甲子園出場。
転機は東京農業大学時代。
肩痛で選手生命が絶たれた。練習場に行ってもプレーできない。
そこで指導者として野球に携わるべく教員の道を志した。
教員を定年後は妻と、のんびり旅行等を楽しむ日々。
だが母校の東農大へ足を運び後進へアドバイスするなど野球から離れる事はない。