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21世紀枠いらなくね?

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0001名無しさん@実況は実況板で
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2018/03/24(土) 15:28:21.99ID:jwl5ibrB
守備もお粗末で貧打のとこばかりでまともな試合してるところないやん
0546名無しさん@実況は実況板で
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2018/03/27(火) 12:11:48.40ID:jBxJpIsf
21世紀枠・17勝48敗、勝率.261

 3試合0勝3敗、得点2・失点29・得失点差マイナス27──選抜高校野球に出場した「21世紀枠」の3校は、この成績を残して甲子園を去ることになった。

 こうした21世紀枠の存在は、これまでもしばしば議論の対象となってきた。各地区で十分な実績を残した学校と比べると、歴然とした実力差があるからだ。しかも今年は、春夏連覇のかかる優勝候補・大阪桐蔭と伊万里(佐賀)の試合もあり、いつも以上に注目されていた。

 21世紀枠は、2001年から春のセンバツで導入された。選考基準は、野球の実力にこだわらず、「高校野球の模範的な姿を実践している」ことだ(毎日新聞2017年1月27日付「選抜高校野球 21世紀枠の選考基準とは」)。初年度(2001年)の宜野座(沖縄)や09年の利府(宮城)のようにベスト4に進出した高校もあったが、そのほとんどは初戦敗退だ。

 これまでの18年間で、21世紀枠でセンバツに出場した学校は49校にのぼる。その総合戦績は、65試合17勝48敗・勝率.261だ。細かく見れば、得点154・失点380・得失点差マイナス226となる。初戦を突破したのは13校で、全体の約4分の1(これらのデータには21世紀枠同士の2試合も含まれる)。過去5年にかぎれば15校中2校のみだ。

 こうした数字は、今年だけでなく、21世紀枠出場校の実力が劣っていることをはっきりと示している。
実は“公立救済策”の21世紀枠

 こうした21世紀枠には、「模範的な姿」というタテマエの裏に、“ホンネの顔”がある。公立高校という特徴だ。

 歴代出場校49校中、私立高校で選ばれたのは2013年の土佐(高知)の1校のみ。1990年以降、特待生で有力な選手を集める私立高校はその力をどんどん強めていった。少子化によって生徒数の減少が顕著になった90年代中期以降は、さらにその傾向が強まった。各私立校が、SI(スクールアイデンティティ)のために部活に力を入れたからだ。

 SIとは、ざっくり言えばマーケティングの一環だ。学校の個性を際立たせることで生徒を集め、少子化時代を生き残ろうとする戦略である。部活に力を入れて全国大会に生徒を送り込めば、ニュースや中継などで学校の名前が全国に知れ渡る格好のチャンスとなる。なかでも甲子園は、確実にNHKが中継し、春は毎日新聞、夏は朝日新聞が大きく扱う。甲子園は学校にとって格好の宣伝媒体だ。

 結果、現在では甲子園に出場する高校の多くが私立校ばかりとなった。それはデータにもはっきりと表れている。2017年の夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)では、私立校の出場は49校中41校・83.7%にまで増えている。
0547名無しさん@実況は実況板で
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2018/03/27(火) 12:16:47.91ID:jBxJpIsf
 26日の大阪桐蔭と伊万里の試合前には、伊万里の健闘を期待する声よりも、大惨事になることを危ぶむ声のほうが大きかった。事実、伊万里は12点差で大敗した。

 もちろん、伊万里は2得点したことでなんとか21世紀枠の面子を保ったという印象もある。
しかも完投した伊万里の山口投手は、20被安打・14点失点をしたものの、無四死球ピッチングだった。
最速126キロながらもスローカーブを多用して、強力な大阪桐蔭打線に正面から向かっていった。
その姿勢は、スポーツ以外でも通用するタフな精神性を強く感じさせるものだった。

 24日に登場した膳所(滋賀)も、その存在感を発揮した。
報じられているように、データ解析をしたうえで打者に合わせて守備陣系を敷き、幾度かそれが功を奏した場面があった(朝日新聞×ABC 2018年3月24日付「なぜそこに遊撃手が…? 甲子園驚かせた膳所データ野球」)。
担当したふたりの部員は、フリーの統計ソフト「R」を使っていたという。有料の統計ソフト「SPSS」と異なり、プログラミングを要する「R」はより扱いづらいものだ。それを高校生が扱っているのはかなりの驚きだ。

 このふたつの例は、たしかに21世紀枠が見せた高校野球の可能性だ。
もしかしたらそれは、「公立救済」というホンネが導いたタテマエ「模範的な姿」の具現化なのかもしれない。

 ただし、それでも厳然たる事実は残る。両校とも10点差以上をつけられて大敗したことだ。
21世紀枠は、いくら正面から向かっていっても、いくらデータを活用していても、“プロ部活”には太刀打ちできない。それくらいそもそもの実力差がある。
21世紀枠の大敗は、「教育の一環」というタテマエに生じた“プロ部活”という現実を隠しきれない。高校野球の矛盾緩和策としては、あまりにも力が弱い。
欲求される情緒的なドラマ性

 酷暑のなかで行われる夏の大会をはじめ、高校野球には3つの要素が絡み合って幾重にも“矛盾”を生じさせている。

 ひとつが教育だ。

 「教育の一環」が単なるタテマエに堕していることは、これまで説明してきたとおりだ。実際、甲子園は公立高校の予算では太刀打ちできない、私立高校による“プロ部活”の独壇場となっている
大阪桐蔭に代表される強豪校の野球部は、「教育の一環」などではなくプロ養成機関だ。

 次がスポーツだ。

 現在の高校野球は、スポーツとしての野球の現在形からは大きく逸脱している。野球は優勝チームの勝率がもっとも低いプロスポーツであるにもかかわらず、国際大会ではほとんど採用されないトーナメント制の一発勝負がいまだに続いている。
また、ベンチ入り人数が限られながらも試合日程は厳しく、勝ち進んだ高校の投手は故障を誘発する連投を余儀なくされる。
熱心な野球ファンでも高校野球を敬遠する層が少なくないのは、あまりにもスポーツとして時代遅れの状況にあるからだ。
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