30歳以上のおっさんが高校野球を語る26
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>>518
上田ってプロでイチローと同等クラスの捕殺職人になったよねたしか
イケメンでもあったし >>520
上田はプロに指名されなかったら俳優になろうと本気で考えていたらしい 84年選抜に新津が出場した際、選抜でまだ新潟勢が得点をしたことがないという記録も紹介され、
今はもう昭和59年だよ?選抜が始まって何年立つんだよ?得点ぐらいするに決まってるじゃん。と思っていたら、まんまと新津が金足農エース水沢に完封され、不名誉な記録を更新したのにはワロタw >>519
他には北陽の寺前、箕島の山路、鹿実の杉内が思い浮かぶ。 >>512
73夏東洋大姫路の井上主将「(旭川龍谷の向峰は)誤魔化しのピッチングや。ウチは誤魔化しに弱いだけ」 「そんなこといってるからひねられたんです。向峰君は配球が実にうまかった。」 そういえば膳所に大勝した桐生もあれ以来出場してねーんだな
木暮、阿久沢懐かしい
この年の春関決勝は松本の前橋と桐生の群馬対決だった
阿久沢はプロ行けたのに何で野球続けなかったのか・・ 母親の面倒を見るためにプロ入りしても、解雇されて
路頭に迷うリスクを万が一でも背負うわけにはいかなかった。 >>529
彡(゚)(゚) 「マッマの為にも解雇のリスクが高いプロ行きは断念した方が賢い選択やな…」
彡(^)(^)「地元一流企業に就職するやで!NISSANとか堅実そうやな」 「地元の国立大出て教員になるのが堅実で一番の親孝行やな…よっしゃ!これで行くやで!」 桐生の阿久沢は夏の県岐阜商の野村に完全に抑えられて負けた試合で自分の実力ではプロで通用しないと悟ったという。
それで国立の群馬大学に進学した。今は群馬県内の高校で監督やっている。 1978の県岐阜商は愛甲が1年だった横浜高校やセンバツ4強の桐生を破って、優勝したPL学園に負けたのかな?
右サイドの野村投手は子供心にも打ちにくそうな投手という印象だったな。 >>528
77年秋群馬決勝 桐生4-0前橋
78年春群馬決勝 桐生2-1前橋
78年春関東決勝 桐生2-1前橋
前橋はどうしても桐生に勝てなかった。
関東決勝は準決勝と同じ日という強行日程。木暮、松本とも連投で最後は松本が疲れて押し出しでサヨナラ負け。
この試合、木暮は松本からライトにホームランを放っている。
木暮は選抜後はこの関東大会のほか、招待試合とか多かったんだろう、夏はコントロールに苦しみ劣化してしまった。
群馬決勝の前橋工業には打ち込まれて7回途中で降板している。逆転で甲子園切符だったが春のような活躍はできないと思ったが、二回戦で姿を消すことになるとは、早すぎた。 木暮って当時、名前がカッコいいってだけでファンというか応援していた。 >>533
この年の県岐阜商は、前年に発覚した不祥事で1年間の対外試合禁止処分をくらい、
確か予選開始の前々日くらいに処分が解けたはず。
つまり、新チームになって最初の試合が夏の予選だったわけで、実戦経験全くなしで
甲子園に勝ち上がってきたんだよね。
お見事と言うほかないな。 >>537
翌年、千葉の習志野も同様になるところだったが県決勝で惜しくも銚子投手の市立銚子に逆転負け、甲子園行きはならなかった。 >>535
しかし、地区大会の決勝が県立の進学校同志なんて今じゃ考えられんな・・・。
桐生もうあれ以来出場ないんだね。前橋は2002年、高崎は2012年に出場あるけど。 >>512
盛岡工ー報徳
ラグビー花園対決なら当時盛岡工が4戦4勝でしたね。
十年くらい前、報徳が盛岡工に勝ち一矢を報いてますが。 >>505
当時近大付の選手が「大阪代表は僕らです。だから大阪出身の多いチームには負けたくない」と。 1980年の茨城県代表、江戸川学園取手が野球留学生の件で外人部隊批判されたけど、近隣県の生徒ばかりなのに可哀想だったな。茨城と言っても取手なら東京と言ってもおかしくないのに東京や千葉からの選手が多くてそれが批判されるとは。 一時期の早稲田は、高校時代、プロ確実と思われた投手を大学でしぼませてたな。
今治西の三谷、桐生の木暮、天理の本橋。
浦学の小島もそうなりつつある。 早稲田は大物選手の途中退部者も多いね。
小沢、石田、大越、大野、尾藤。 プロを目指す投手が早稲田大学へ進学するのはリスクが高いと思うね。
まぁ、ブランド力は絶大だけど。 済々黌の大竹も早稲田で伸び悩んで、育成でお情けみたいな感じでプロ入りする有り様。 >>543
しぼませていたというより、三谷は故障で、木暮は単なる制球難で、本橋にいたっては入学前から投手生命が断たれていたのでは?
しかし三谷は残念だった。入学時からエースと期待され、一年秋の早慶対決で完封、三谷時代が到来かと思えたのに。二年秋からまったくダメになってしまった。
入学時は公認会計士志望と言っていたが、こちらもダメに。 >>546
大竹は二年秋の神宮大会決勝の亜細亜戦、雨の中14回を投げて自らマウンドを降りた(試合も1-2で敗戦)。
あれで故障してしまったのではないか。その後はまったく精彩を欠いた。
えっ、プロ入りするのか。おどろいた。 >>543
早稲田といえば、1980年に発覚した商学部を中心にした大規模な不正入試事件が
あったのを思い出す。
事件発覚当時、既に卒業してた元四番打者が、実は不正入学だったことが分かって
在学記録自体が抹消された、なんてこともあった。
その後、スポーツ推薦入学制度が導入されたが、当時の早稲田には不正の温床も
あったのかも知れないね。 上位指名確実だった高卒投手が
大学行くのは腕を消耗するだけな気がする。
島袋なんかは監督が酷すぎて極端な例だけど。
でも怪我とか伸び悩んでも
早稲田の野球部を出たなら
就職はどこでも行けるやろ。 >>549
ちょっと前にあった教員採用試験の不正は
親が勝手にやってて本人は知らなかったりしたけど
その不正は盗まれた入試問題を見てるんだから
本人も完全にクロだなぁ。 プロだけを考えるなら東京六大学進学が本当に良いのかどうか?
でも六大学以外の大学リーグでやるのは華やかな甲子園を経験した選手には地味過ぎてモチベーション保つの大変そう。 >>550
いや、早稲田卒でも相応に基礎学力がないと、大手企業に入れても続けていくのは難しい。大手企業に入っても皆、辞めて高校の指導者になっているのが多いのがその証拠。
まあ、職種によるが。 >>552
そもそも、大学野球はそんなに派手なないよ。まあ、スター選手いうても素人やろ(笑)
モチベーションって?
by青木理 >>552
それを言うなら、東海大相模から東海大学に進んだ原辰徳は親子鷹ながら大したもの。
東海大学なんか大学のグラウンドが舞台で、二部降格もあり得る首都大学リーグだしね。
東海大学時代の原はどうだったか知らないが、やっぱりギャルが連日押し寄せてたのかな? 同世代のイチローが未だにメジャー現役、1991年春は松商学園上田と投げあった。
オレは団塊Jrだから子供の数が多い世代で野球部員も滅茶苦茶多かったな。 >>549
事件が明るみになったのは80年3月だったが、不正入学したのは当時在籍していた選手だろう?
卒業後にその選手が不正入学していたことが分かって記録が抹消されたんじゃなかったっけ?
元四番打者といっても一時的で大した記録も残していなかったが。
不正入試発覚直後のリーグ戦で早稲田は東大に史上初めて連敗、落ちるところまで落ちた感があった。 >>558
85年のその対戦見たかったな
中山対黒潮打線 >>541
二回戦で対戦した東北のエース加藤も大阪出身だった。 >>556
91春夏に甲子園出場したチームの選手は結構プロ野球に進んだ。 高木大成なんかはきれいに忘れられたな。いいキャッチャーと思ったがな。 >>540
花園のこと詳しいですね。
おととしには報徳対郡山北工というカードもありましたな、78年夏の甲子園カードの再現。 その年の花園初戦では岩手代表の黒沢尻工業が兵庫代表の報徳を50-0で完封。
黒沢尻工業は国学院久我山に決勝で敗れて準優勝。 野球部は夏、春と連続出場したときでしたな。
この年の選抜から始まった学校紹介のフイルムで「ラグビー部はことしの正月で準優勝を飾り」と紹介されていた。
この選抜では千葉投手が箕島の黒潮打線を二安打に抑えたが、内野の連続エラーをきっかけに失った1点で惜しくも負けた。 黒沢尻工業が甲子園で優勝候補、と書かれていた記憶があったけど78年だったのか。当時、岩手県が優勝候補?と思った。 >>567
そんなの書かれてないw
PL、箕島、池田、横浜の強豪昭和50年代に岩手代表なんて鼻にもかけられてない
その夏号の朝日グラフのチアガール特集してた真ん中のページで
県岐阜商の子がスコートまくれてアンスコ丸出しで写ってたのが印象的だった 78年、黒沢尻工業は岩手代表の最右翼と見なされていたが、
完全アウエーの球場の雰囲気の中で行われた決勝で盛岡一高にまさかの苦杯を喫した。 おまえらPL学園、広島商業、松山商業、
中京大中京、平安の話しで夜通し1杯できるだろ! >>567
それはない。
あのときの黒沢尻工は前年夏甲子園で1勝したときのメンバーがたくさん残っていて、秋の東北大会でも薄木の東北(神宮大会優勝)に0-1で惜敗だったから力はあったが、優勝候補にはとても名前が挙がらなかった。
あのときの候補はPL、高松商、印旛、豊見城、岡山東商、桐生などだった。
余談だが、昭和時代に東北のチームで優勝候補に挙がったのは72年夏の東北(春ベスト4)、81年夏の秋田経大付(春ベスト8)くらいではなかったか。 >>561
桐蔭学園・高木大成もだけど宇都宮学園・高根沢も印象的なキャッチャーだった。
自分と同い年世代を思い出すと涙出てくる。 高木大成といえば高橋と仲が悪いのに西武入団仲介役に指名されてたのが記憶に新しい
入団会見時の高橋死にそうな暗い顔しとった。その高橋は高橋選手のいない巨人監督と
して今年も苦渋の日々だ >>572
高根沢いい捕手でしたね。他には秋田の菅原、西条農の礒部、佐賀学園の岸川、鹿児島実の味園が印象深いですね。 高木大成と高橋由伸の不仲説あったなぁ。
横浜の成瀬と涌井みたいな感じだったのかな。 >>574
その世代は、それだけ素晴らしい捕手が揃っていながら、プロではカツノリぐらいしか目立った捕手しかいなかったよね。
それと我孫子のエースだった荒井が捕手に転向してプロに指名されたのには驚いたな。 >>576
プロ通算
野村克則 66安打
礒部公一 1225安打ww カツノリと一茂は親父のコネがなかったらプロには行けなかったのは当然のことだが、六大学で二桁本塁打打ったり、首位打者獲ったりは凡人にはできないよな。 一茂は大学時代の活躍を見れば
普通にドラフト指名レベルだったと思う。 >>572
91年の甲子園で印象に残っている学校は松商学園と市川。ともに春夏出場して両大会とも上位進出。
松商は春のトップバッター荒井。決勝の広陵戦、7回にホームランして5-2と突き放したが…3点リードも一瞬の夢だった。
四番の岡元は準決勝で代打を送られ、決勝はベンチ、かわいそうだった。
荒井は夏は故障して、星稜戦、代打で最後のバッターとなり泣きじゃくりながら整列に向かったな、無念だったろう。
市川は樋渡だな。かわいい顔していた。「甲斐腕」といわれたが、夏は調子を落としていた。我孫子を2安打完封したが、つぎの鹿実戦、突然メッタ打ちされ7失点。慶応に進んだが、いまどうしているのかな。 91年山梨には東海大甲府に萩原という好投手もいたな。オリックスにイチローよりも上位指名されたんだよな。パッとしなかったが 井手元、谷口、二年生の松井、他にもたくさんだったな。もちろんイチローも。 >>581
萩原はショートだろう。
当時オリックスのスカウトだった木庭教さんが萩原を推したらしい、たしか二位だったかな。 >>581
萩原はオリックスで野手から投手に転向した変わり種。クローザーでそこそこ活躍した記憶が 当時のオリックスは今村と嘉勢も野手からピッチャーにコンバートしてた。
この二人は元々ピッチャーだったけど。 >>585
萩原は結構長くやったね、最後はヤクルト?やったっけ?
大八木のおっさんもかっていたな。 >>574
高根沢ってプロして無いね、調べたら三菱自動車川崎へ行ったらしい。
1991年春、樋渡の居た市川と宇都宮学園の試合は今でも忘れられない。 >>588
懐かしいですね。ガキだったんでうろ覚え何ですが9回裏に2点差を追いついて最後、確かラストバッターのキャプテンが犠牲フライでサヨナラ勝ち。そのキャプテンが皆から叩かれてましたね。 >>589
宇学の左ピッチャーのうなだれてたのを思い出すわ^_^ 宇学の投手は戸山だっけかな
宇学は、キレ味抜群の小気味いいサウスポーを擁した時に印象深い活躍をしていく
影山しかり、ショーマしかり 91年、優勝候補筆頭は天理だったと思うが、春夏とも二回戦敗退、物足りなかった。
春、松商に負けたあとに「鼻が高くなってなめていた」と話していた選手がいた。
投手の谷口もなあ、すぐに力んでコントロール乱すうえに球のキレもいま一歩。プロではむずかしいと思った。
夏の宇学戦も序盤は打たれまくった、たしか三回までで7安打されてなかったか、宇学の拙攻に助けられて1点ですんだけど。
前年夏のV投手南とともに大型で「天理タワー」などといわれたが、南もプロでは活躍できなかった。 谷口と佐賀学園の若林の、力と力の勝負は、あの大会の一番の印象。俺にとっては。 91年、なんだかんだで濃い大会だったよな。大野は気の毒すぎるけど。アイドル扱いされる球児も豊富で華があった。 団塊二世の中で一番多いとされる昭和48年生まれが高校三年生になった年だね。
大会通して観客が一番多かったのも平成3年夏の大会だっけ?
天候不良による順延もなかったような。 >>596
昔の報知に書いてあったけど総観客動員は確か90年が最高。90万超えたのが90、91年だけだと思う。
最近は知らない。1試合平均は78、79年が、4万超えててピークだったかな?この時は選抜も4万超えてた。 90年の大会の雑誌読み返したら「今年よく客が入ったのは世の中景気悪いから節約で安く済む甲子園に行くから」と書いてあった。
バブル真っ盛りで何言ってんだと思った。 33歳の俺としては好景気とか生まれて 一度も体験したことないや >>595
甲子園に出られなかった選手もいい選手がいた。東京学館浦安の石井、聖望学園の門倉、PL学園の坪井、高田商の三浦、倉敷商の葛城など 社会人、大学を経てプロに入り活躍した選手も91年には結構いたな
ロッテ 黒木(延岡学園)、ダイエー 岡本克道(柳ヶ浦)、オリックス 川越(学法石川)、近鉄 岡本晃(三田学園)、ヤクルト 城石(春日部共栄)、 >>592
南は親父のこともあったんかな?
大成しなかったな 91年は宮城出身の俺は春の無残な育英のリベンジで東北の羽根川竜に密かに期待していたが磯部の西条農にまさかの敗退。
爽やかなイケメンで巨人に行ったが大成せず。
あと夏の各誌展望号で突如修徳の伊藤って選手が夏の主役みたいな感じで凄い押されていたけど何だったんだろう。
確か報知とホームランが巻頭で特集していたような。
他に日大一に山田久志の息子がいて堀越の野村克則と共に名選手の二世って事で特集されていた。 >>593
あの若林の一打はみごとだった。
カウント2-3から谷口の渾身のストレートを弾丸ライナーで右中間のフェンスにぶち当てる逆転3ラン(この大会までラッキーゾーンがあったんだよね)。
打たれた直後のびっくりして舌を出した谷口の表情が思い出される。 羽根川はロッテに移籍して、初登板の時にオリックスの選手がよく知らなくて、ベンチで選手名鑑を見てチェックしてるのを、珍プレー好プレーでやってた。 1991年夏の大阪桐蔭と沖縄水産の決勝があった夜、ニュースで試合の模様見たら打たれ続けても
投げ続けた大野倫が格好良かったな。
井上昌己さんのyell〜16番目の夏が選手達のプレーと共に流れてるの見たら涙ぐんでしまった。
今でも当時の映像見たら思い出します。 高校野球やってた人に聞きたいのですが
ジャンケンに勝って先攻とるか後攻とるかはチームによって決めているのですか?
その試合ごとに相手によって考えるのですか? >>606
左中間で見てたけどアホみたいだった
桐蔭の長打警戒でランナー居てても低位置から後ろじゃないと抑えられないのに
バックホーム体制→頭上越される を何度も何度も繰り返してた
そら二桁行きますわw >>377
88年はすごいな
春夏ともに公立優勝
夏は4強に公立3校 ちなみに昭和最後の甲子園である、
88夏の広島商業を最後に、本州の公立は甲子園で優勝していない
平成の公立優勝は全て四国九州
松山商、佐賀商、観音寺中央、佐賀北、長崎清峰 >>612
めちゃするやん、商業科あるから公立高校でも強かったんや
by山中&明神 高校野球ゲーム『俺の甲子園』↓から始めると部費15万円
支給されお得ですよ。早い者勝ちですよ。
http://orekou.net/i/5sj7
宜しくお願いします。 >>609
80〜88年の公立のベスト4の進出数
春 211212411 優勝5、準優勝3
夏 102322203 優勝3、準優勝4
夏は私立が優勢もほぼ拮抗していた。
春の優勝5はすべて四国だった。86年春のベスト4はすべて公立普通高校だった。戦後では唯一のこと。
平成になるのを機に一気に私学全盛時代へ。 >>612
監督の上甲に済美のイメージがついたからだろう 春優勝したときは普通に四国の公立初出場校のイメージだった >>612
宇和島東は上甲さんが去って落ちぶれたが、ボート部は昔から変わらずの強豪校。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています