30歳以上のおっさんが高校野球を語る26
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自分は、ネット時代になるまでは、選抜も選手権も同じやないか!と信じていたが、ここまで選抜が空気みたいな扱いだと洗脳されたような気分になってしまった。それなら、さわやかイレブンも24の瞳も、鼻くそ扱いになるんだな。寂しい。 確かに50年代は、選抜は出場校も少なく地味だった。まあ、シーズン始めの招待試合、オープン戦みたいな感じ? >>193
東洋大姫路も86年夏を最後に梅谷さんが退任してから次の夏の出場は98年だった。
>>194
北原氏が失脚した直接の理由は父兄との韓国旅行だったか。
あのころの報徳は不祥事が続いて廃部も検討された。 >>188
文字数だけじゃない。
ユニフォームのデザインが全然違うw >>197
高校野球の監督は自費でチームの強化を図ったりして強豪チームにするまで苦労するけど、一旦強くなり大学や社会人野球など生徒の進路の権限を持つとやっぱり金のトラブルが多いね。
報徳の金村もレギュラーは実力順、ベンチ入りメンバーはお金持ちの順に決まるというてた(笑)
強豪チームの監督はなかなかやめられまへんな〜^_^ >>197
高校野球の監督は自費でチームの強化を図ったりして強豪チームにするまで苦労するけど、一旦強くなり大学や社会人野球など生徒の進路の権限を持つとやっぱり金のトラブルが多いね。
報徳の金村もレギュラーは実力順、ベンチ入りメンバーはお金持ちの順に決まるというてた(笑)
強豪チームの監督はなかなかやめられまへんな〜^_^ 智弁学園が昭和43年に初出場した時のユニフォームがおもしろい。
朱色なのは今と同じだが字体が今より丸っぽい。
市川こん監督の映画「青春」で入場行進の映像を見ることが出来る。 >>169
> 中京は学校のイメージをガラッと変えることを考えていたから、かつての中京を彷彿させるものは抹殺したかったんだろうね。
浪商も中京と同じで学校のイメージをガラッと変えた。
不良学校からお坊ちゃん学校へ華麗な転身www偏差値も大幅アップ。
とっくに商業科がなくなってる浪商は校名変更で「商」の文字を消し去ろうとまでしたが、
OBの大反発にあって校名変更を断念して、それ以降は開き直った・・・・・・。
ユニフォームだって牛島、香川の時から変わっていないぞ。 どうだろう、浪商は牛島香川の時に一時的に復活したけど、既に古豪の扱いで甲子園に出てくることは殆ど無かったからなぁ。中京ほど野球学校のイメージが世間一般に通っていたとは言い難い。一部の高校野球ファン以外からは忘れられた存在的な。 個人的には浪商という校名はいかにも大阪らしさが出ていて秀逸だと思うから無くさないで欲しいね。
銚子商業も銚子水産と合併する際に校名変更で揺れたが、結局、銚商のブランド力が勝って、銚子商業になった。
ラグビーの世界では伏見工の名前が合併で消えてしまったのは残念。サッカーでは清水商が清水桜ヶ丘に。 地理的に和歌山に近い浪商は、有望選手を智弁に取られることが多いんだよね。 大鉄、浪商、PL学園、上宮、近大附、北陽、大阪桐蔭。1970年代終わりから1990年代初頭までの大阪代表はPLを中心にどこが出て来ても強かった。 1987 PL学園 春夏連覇
1989 上宮 センバツ準優勝
1990 近大附 センバツ優勝、北陽 4強
1991 大阪桐蔭 春8強、夏優勝
1993 上宮 センバツ優勝
PL学園全盛時代が終わった後の90年代初頭の大阪勢の盟主争いは面白かった。 そんな中、一瞬の煌めきを見せた渋谷はやはり称賛に値するな
夏の大阪決勝、甲子園の49番クジ、そして宇部商業との死闘と、あの夏ただ一度の出場なのに鮮烈な印象を残した >>193
その報徳、東洋大姫路の低迷期に輝いた育英が逆に全く出なくなったね
80年代生まれの俺からしたら兵庫は報徳、東洋大姫路、育英の三強でそのあいまに神戸弘陵、神港学園、滝川二あたりが 出るイメージ >>208
大阪決勝は、宮田-塩路の松原バッテリーやったが、中村ノリがガンガンホームラン打っていた。
中村ノリはガッツポーズではなく、スタンドに手を振っていた。爽やかな感じ。 ノリに二打席連続アーチを喫したあとの7回、宮田は4球続けてノリの頭をねらった。
朝日新聞の全国版でたたかれていた。
大阪の高校野球史上に残る汚点だろう。 >>210
これは動画でしか見てないんだけど、宮田を完璧に打ち砕いたって感じだったようだね
凄い活躍だった >>211
上宮の宮田も選抜の記憶すら無いみたいだな。ビデオ見ても投げてるのは自分なんだろうが全く思い出さないらしい。
一命をとりとめて今はソフトバンクのスコアラーか何がやってたかな。 >>212
中村ノリは、現箕面東の長谷監督いわく、そんなに大した選手やなかったが、長谷監督が振り回して大きいの打たないと試合に出さない方針だったから?練習からめちゃくちゃバットを振ったと書いてあった。
あと、近鉄でもめちゃくちゃ練習したと中根が言うとった。 あの時の渋谷は淀川シニアの全国制覇?メンバーがそのまま進学したとか聞いた事有るわ。 >>208
あの宇部商戦は甲子園で観戦したが、10回表松本の打球が風に乗ってラッキーゾーンにポトリと落ちた瞬間、球場が静まり返った感じだった。 >>216
テレビで観ていた俺にでも、満塁ホームランに球場全体がポカーンてなったのは伝わった
宇部商にとっては完全にアウェーだったもんな 清宮がいまだオープン戦でノーヒットとプロの壁に早くもブチ当たっているが、本人の「一番の違いはバット。金属バットだといったと思った打球がとらえきれない」旨のコメントを聞くと、金属バットばかり使用しているのも考えものだと思う。
高校入学時からプロをめざしていたわけだから、そういうバッターは将来を見据えて木製バットを使用すべきだったのでは?むかしの篠塚みたいに。
木製で打ったら本物ということも証明できたし、高校時代にもっと騒がれたと思う。
清原も「金属はアホみたいに飛んでいくから。金属というのはいま考えてもよくないと思う」と言っていた。 >>219
まあ、天才やし清宮はすぐ慣れるよ!
むしろ、守備をめちゃくちゃ練習して、体絞って早くプロの体になって欲しい。 >>211
まあ、宮田も中村ノリも野球で飯を食おうと選手やから、ノリも納得ちゃうかな? >>211
多分、2打席連続ホームランの後、山上のおっさんが宮田に敬遠を指示して、そん時中村ノリが宮田になんか言うたから、頭狙ったんやな。
因みに、K K黄金期のPLに公式戦で勝ったのは渋谷高校ちゃうかったっけ? KK時代のPLが大阪の公式戦で負けたのは、1年春の決勝桜宮戦4-5、2年春の準々近付戦0-1(木下完封)だけじゃないかな。 >>223
練試かな?渋高と夏の予選で当たったとき、そんなナレーション聞いたような?
勿論、夏の予選やから16-0でPL学園がコールド勝ちやったが。 桑田は三年間で公式戦、練習試合あわせて70勝7敗だったが、このうち練習試合での負けが1試合あり、1年時の守口戦(0-3)だったらしい。
渋谷が勝っているとすれば他の投手が投げたときじゃないかな。 1990年夏の大阪代表は大阪四天王(近大付 後藤、北陽 寺前、上宮 宮田、PL学園 入来)がいた高校が甲子園出ると思ったら、以外や以外渋谷でした。因みにプロには寺前、宮田、入来が入ったが活躍したのは入来のみ。 上宮の小野寺在二郎や塩路はどうしとるやろか?小野寺はロッテのユニホーム着て後からプロに入る元木にテレビメッセージ送っていた。
塩路は社業に就いてるんかな?ヤマハ? >>202
フィギュアの宇野昌磨は男子校時代だったらいなかったタイプだろうな >>219
それほど関係ないんじゃないの?
昔の高校野球は木のバットだったが、
高校時代に木のバットで打ってても
プロに入って活躍できなかった選手はたくさんいる。
例えば浪商の坂崎とか。
高校時代は凄い打者だったみたいだが。 >>224
ホームラン85夏の展望号に、春季大会で渋谷の投手をあまり打てなかった事、秋季大会で上宮の西川なんかが桑田を打ち込んだ事で打倒PLの候補で書かれていた。
85春はPLは近畿大会優勝してるから春は渋谷には負けてないはず。 >>229
それは言えると思う、野球部をやめた奴が「肩やっちゃったから、、、」的な。
(大学まで野球部やったけど、何処も故障せんと卒業したやつとかいてないし)
「金属バットから木製に馴染めなかった」つうのも言い訳みたいな気がする。
プロは投げてるピッチャーのレベルが違うのが一番の理由のような。 >>225
守口は15年くらい前に金髪ヤンキーだらけでチンタラ入場行進やって、ルーキーズの様な雰囲気で実況chでも話題になってた事があった。
案の定1回戦で0-22で大敗したが、強豪だった時期もあったんだな。
長吉もダラダラ行進して、ネタになってた。 守口は戦前は京阪商業といって甲子園にも出場している。
いまは芦間高校かな、校名変更と同時に野球部は廃部になったはず。 西山はその後の野球人生を考えれば上宮に進学して正解でした。もしPLに行っていたらどうなっていたか? 桑田とのバッテリーも見てみたいが。 85夏は秋に桑田からホームラン打った西山・関井を軸にした強打の上宮と
渡辺・山本の投打の両輪を擁した北陽がPLの対抗と呼ばれていたが、
上宮は春に再戦したPL戦で控えの小林に1点に抑えこまれたようなモロさも同居していたし
北陽の渡辺は素材自体は高かったが、投げてみないと分からない部分があったから
実際はPLとかなり差があったんだろうね。 >>236
84年秋の上宮は大阪の準決勝でPLと対戦、西山、関井が桑田から本塁打するなどリードを奪ったが終盤投手陣が崩れて大魚を逃した。最終スコアは5-11だったかな。
しかし、さらに三位決定戦にも敗れて近畿大会進出を逃したのがなんとももったいなかった。相手は桜宮だったか?
組合せの運不運とはいえ、東海大仰星が大阪二位で近畿大会進出したが、大阪決勝ではPLになんと1-21と惨敗していた。
仰星の代わりに上宮を近畿大会に出してやればいいのに、と思ったものだ。
やはりこのときの上宮は236にかかれているようにもろさがあったな。 大阪といえば、興国、北陽、明星、大鉄、が懐かしいな。PL 、大阪桐蔭が台頭してくる前は強かったなあ。 オレ的に昔から平安は良い投手が育って来ると思っているが、何より皆、投げ方が格好いい。やはりコーチの教えが良いんだろうね。 >>239
川口以降の話?
それとも、60年代の話? 平安は左投手の育成に長けているという印象だな。同じように宇部商も左腕の好投手が多かった。 好投手を輩出する学校談義は最近50歳以上スレでさんざんやったぞ。 90年平安のサウスポー西村は好投手だったな
優勝候補の関東一に見事な完投勝利やった。関東一にはプロ入りした山崎、山本と投打の軸がしっかりしてたから、平安にもし勝ってたらベスト4ぐらいまでには行ってたんじゃないかな >>243
平安は甲子園出場時2年だった西村が残って翌年も本命だったが、北嵯峨にまさかの5回コールド0-10の大敗。
雨中の悪コンディションに加えて、微妙な判定に苛立った西村がフォアボール連発で初回に10失点。
強豪校のエースがここまで我を見失う事は、そんなにない。 >>244
そうだよな。キャッチャーの松岡はダブリの2年生だったけど、レギュラーの大半が西村と同じ2年生で、翌年も強いと思ってただけに、その結果知って俺もビックリした。
まあ勝った北嵯峨の細見もドクターKとの評判の好投手だったが >>238
これに近大附を加えた大阪私学7強は全部春夏甲子園のいずれかで決勝進出してますね。
北陽、大鉄は準優勝止まりでしたが。 >>244
平安は、いつの時代も「脆い」と言う印象だな。 >>251
ということは、その後、タクシー関係で失敗した? >>237
84年秋に上宮が仮に近畿大会出場していても、好投手がいた学校と対戦したら負けていただろう。
この時期の上宮は自分のペースに試合を持ちこむのが勝ちパターンで
相手のペースになるとそのままズルズル最後まで行っちゃうことが多かったね。
83年選抜・明徳戦、86年選抜・岡山南戦がその代表例。 >>>252 その通りです
しかし何で留年したんかね.?
素行が悪かったか、頭が悪かったか? 上宮の応援団は漢字の人文字がいかにも男くさい感じでなかなかよかった。 留年というと、83年夏吉田戦で起死回生の同点アーチを放った箕島の硯も留年していた。
硯は西濃運輸で仕事を頑張っていると聞いた。 >>230
PLと渋谷その年の夏に対戦しとるな。16ー0でPLが勝った >>247
そんな強豪大阪でも
春日丘、三国丘、渋谷など、
時々、意味不明なところが代表になったりしてたのが面白かった。
春日丘、三国丘はPL全盛期だったからな。
今は大阪桐蔭か履正社しか出れる感じがしない >>258
86年に泉州がPLを倒して出場したが鈴木健、谷口の浦和学院に大敗した。もともと泉州は有力だったんやろうか?やはり86夏もPL本命だったんかな? >>261
86大阪は完全に谷間の年w
ドングリの背比べの中、北陽、近大付、浪速、上宮が有力候補で、後は腐っても?!PL。
泉州は優勝候補じゃない。 86年はセンバツにPL学園は出ているんだよな。初戦で浜松商に大敗した記憶が。
前年は桑田清原で優勝、翌年は春夏連覇だから、86世代は本当に肩身の狭い思いをしているんだろうな、今でも。 PLの86世代は立浪世代のあの事件にも絡んでいると言われているよね。 86年はまだ選抜に出てるからいいが、本当に肩身が狭いのは88年。
春夏共甲子園に出場出来ず、特に夏は公立の布施に5回戦で敗れる有り様。
86年は前年にベンチに入ってたのは今岡だけ、88年は宮本と黒木だけで、PL程の強豪でも安定したチーム力を維持する難しさを実感した。 深瀬主将は春夏とも甲子園開会式では優勝旗返還で先頭を行進した。無念だったでしょうね。 谷間の86年大阪世代には、高校時代は無名だったが世界の野茂がいるんだよな
不思議な組み合わせだな >>267
94、99春は優勝すると思ったんだがな… そう、その2大会は優勝しないといけなかった。94年春は下手投げ宇高を擁して久しぶりに投打にスキのないPLらしいチームができあがったと思った。
準々まで問題なく勝ち上がったが、前日に宇和島東に大逆転した智弁和歌山の勢いにやられた感じ。
99年春は正直PLとしては実力が落ちていた、植山だったっけ?投手力も絶対ではなかった。
しかしベスト4の顔ぶれから優勝はPL以外にないと思ったが…比嘉の粘り強い投球があったとはいえ、19残塁の拙攻とはPLらしくなかった。
このころは春夏連覇したチームはその後優勝できないジンクスがあったので(2006年春横浜がジンクスを破った)、あのPLにしてもジンクスを破れないのかと思った。 99春のPLは、戦力的にいただけないw
沖縄初優勝の引き立て役で十分w まいど!のガンちゃん岩本勉の阪南大高は出場辞退じゃなかったら上宮に勝てたやろうか? 95年96年のPLは優勝は無理だったかな?
自滅した95年春はともかく、95年96年はチャンスあったと思うけど。
ちなみに国体はこの2年は優勝してるんだよね。 96夏は確かにチャンスあったと思う。が、予選から前川一人で投げてたツケが… まあ、大阪大会強敵との対戦が続いたから仕方ないかもだが。 >>272
恥ずかしいことをして、辞退
多分、勝てなかったと思う
阪南大高 >>273
基本的に、PL学園に「優勝=ノーチャンス」の年はないw PLの全盛期は78〜87年までか。
この頃は前半リードされていても、
終盤にひっくり返す底力があった。
終わってみれば、やはりPLなんて試合も多かった。
それが90年代に入ると、
そういう驚異的な粘りがなくなったね。
そして2000年夏に智弁和歌山に4発くらって、
力で捻じ伏せられて、PL時代は完全に終了
PLの甲子園での最後の輝きは、
98年夏の横浜戦か >>278
その10年間で優勝7回、準優勝2回、四強2回だからね
圧倒的すぎる
短期間でこれだけの成績残すところはもう無いだろう 78年〜87年のPLの成績調べたら52勝5敗、勝率.912
大阪桐蔭の通算勝利が52勝だから10年で大阪桐蔭の全勝利分稼いだことになる
ちなみに大阪桐蔭は通算52勝12敗だから勝率.813だからこれもやはりすごい 83年の泉州(秋季近畿王者)はかなり強いと思ったんだが、センバツでは享栄に完敗。
この年は近畿勢がすっとこだったんだよなあ。
近畿勢で活躍したのはKK1年のPLだけ。 >>278
完全に終了したのは智弁和歌山に粉砕された翌年のあの事件だろう。
あまりにもやりすぎの弊害が出て内部崩壊してしまった。 >>280
78〜87年のPLは54勝6敗、勝率9割の誤りじゃないのか?
78〜80年 鶴岡監督時代 10勝2敗
81〜87年 中村監督時代 44勝4敗 >>283
なぜ、鶴岡監督は解任されたのか?
金の問題か?
その後、大阪桐蔭の礎を築いたが。
大産大大東校舎 70年、76年の準優勝も見事!!
ここも黄金時代に加えてもいい。 PLは上下関係が厳しいとかOBがうるさくて、なかなか下級生を抜擢し辛い空気があるかも知れない。
特に1年は雑用に追われて野球どころではなく、結果3年中心になってそのチームは強くても、新チームになった途端に弱体化するのだと思う。 >>286
その時代だけでも、プロ入りは新美、新井、行沢、平山、立野、金森、尾花、米村。
70準優勝時の捕手・野村は、2度のドラフト指名を蹴った。 大阪予選はブラスバンド禁止なのでアカペラの応援や、日生や藤井寺の下手くそな手書きのスコアボードが味があった。 PL学園の本にも、なぜそこまで異常にプロ成功者が出るのか?には明確に書いてなかった。まだ黄金期になる前から、活躍するプロを出し続けてたものなあ。単にスカウトがいいだけとは思えないわ。 >>290
60年代も、野田、戸田、中塚、坪井、長井、加藤秀、得津、福嶋……。
プロ野球のレギュラークラスがゴッソリ! あと何年かしてマエケンが引退したらPLを知る世代も激減するんだろうな いつか忘れたがPLが選抜準決勝くらいで清峰に負けた。エースは誰だったかな?その清峰も決勝で横浜に大敗したような。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています