30歳以上のおっさんが高校野球を語る25
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>>642
市岡は87年にプロ注目の富士宮西佐藤を攻略し、1勝!
市岡のエース岡森投手はどうしとるんかの?早稲田に何年も浪人して入った選手おったな。
佐伯天皇の母校。 市岡は95年の選抜でも日南学園相手にほぼ互角の試合をしていた >>644
夏の大阪大会も決勝でPLそこそこ苦しめたよな。
あの年のPLは歴代PLでもかなり上位の部類なのに。 87年の市岡のアルプスにはOBのジェームス三木氏がいた。 近畿は21世紀枠に当てはまる古豪がたくさんあるね。 >>649
近畿7校復活、東京2校、関東4校固定。
四国、中国、それぞれ4校 >>653
すいません。
>>650さんの東京2校、関東4校固定。に
対しての意見です。 市岡は1990年夏の大阪地方予選でPL学園に勝った。入来、坪井などプロ入り選手がいた強力チームを完封した。 市岡は86年秋の府大会で優勝している。
翌年PLが春夏連覇するけど秋の府大会は3位だった。(市岡とは対戦せず) 86年秋の市岡は府大会で優勝。近畿大会でも初戦の報徳(大阪桐蔭の西谷監督が選手でいた)に6-1で勝ち、選抜当確となった。
このときの快進撃は大阪では「事件」として大々的に報じられた。 >>657
報徳?ずっと出場辞退ちゃうかったっけ?滝二、西詰、東尾、明石、井上、藤本、報徳?? >>658
ホンマや、兵庫県大会3位で出てる。
このあと、2年半位ずっと公式戦出場辞退やな、このあとは今、本田技研鈴鹿監督の甲本らのセンバツ出場やね、因みにこの夏優勝する吉岡擁する帝京にシーソーゲームで勝って、キク山田のTOHOに惜敗。監督は現関学監督の広岡さん。
銀行員が報徳立て直しで招へいされた? 報徳学園は85年のチームが優秀!
PL学園にまぐれ勝ちwした東洋大姫路とはものが違う。
惜しむらくは、プロ入りしたエース松田が覚醒前。それでも、秋はPL学園と互角の勝負だった。
北原監督も密かに全国制覇を目論んでいた。 >>660
北原監督は金村擁して全国制覇した81年のチームよりも打線には自信を持ってました。
確かにエース松田が覚醒前でこの時はまさかプロ入りする投手になるとは思えなかった・・・ 報徳学園の松田はセンバツ弘前工業戦は大乱闘でした。 報徳学園10−2横浜は、当時の報徳学園の良さがフルに出た試合。
それにしても、松田の覚醒がもっと早ければ… >>660
当時は今みたいに情報も少なくて、ホームランや報知読んで松田、安田の2枚看板に強力打線と高評価だったからどんな強力チームだろうと楽しみにしてた。
弘前工に序盤からリード奪われる展開に唖然。横浜戦は力を示したが帝京戦では先制するもビックイニング作られて敗退と前評判程の強さは感じなかったな。
初めて甲子園見始めた年で、報徳、東洋のヘルメットが写真で見てたツバだけ色があるヘルメットではなくて何で変えたのか疑問にも思ったな。 1985年の報徳学園に松裏という選手がいた。 普通は松浦なのに、変な名前だなと思いました。 エース松田は、西濃運輸に入ってすぐ頭角を現わした。
速球が高校時代とは見違えるようで、ドラフト指名の年の都市対抗では王子製紙春日井の補強選手として活躍した。 >>666
確か、王子は初出場でベスト4。
松田は、大会優秀選手に選ばれた。 あのときの報徳は前年秋の近畿大会でKKのPLに1-2とがっぷり四つにわたりあった。
豊田の東洋とならんで評価は高かった。目をひいたのは新チーム結成以来15試合くらいでエラーが5個しかなかった。
それがあの弘前工戦、初回になんと3エラーして4点を先制されるというまさかの展開には目を疑った。相手外野の転倒、そして最終回の相手の強攻策失敗に助けられて勝ちを拾ったな。 >>668
ホント、甲子園の初戦、特にセンバツの初戦は何が起きるか想像もつかないw
2戦目で立て直したのは、さすが甲子園優勝監督。 2年前の83年春の報徳学園は、貧打の極みw
「あの年のエース岡本が、85年春のチームのエースなら面白かったのに」と思った。 桐蔭学園との試合で8回裏スリーラン、ソロで大逆転。 ホームラン打ったの谷川だったかな。 岡本も香田もプロ野球ではまずまず活躍した。 Y高三浦は全く通用しなかったのが以外でした。 83報徳は甲子園以前の近畿大会で
和歌山の無名の公立に負けてたやん。
兵庫枠でセンバツ出場。 85エース松田は打撃センスも抜群だったが、夏はあの強打線の4番を任された。 >>676
85夏は報徳と東洋は直接対決で決着?
春は大差で東洋が勝ったと報知の夏予想号で確認したような。
東洋大姫路は春は津久見に大敗したから夏は無いと思ったがやはりPLを倒すだけの力はあったんやね。東北との試合も、当時の佐々木はまだ大魔神状態じゃなくむしろ不調だったから東北勝利は予想外。 そう、県決勝で東洋2-1報徳。
秋は準決勝で報徳が豊田を攻略、10-6で勝っていたが。 >>677
試合は報徳が押し気味で、東洋がワンチャンスをものにした。 >>675
このときの報徳は近畿のベスト8にも入っていなかったが、岡本の投手力、初戦で彦根東に10-0コールド勝ちの試合内容で浮上というきわどい理由づけだった。前年兵庫がゼロだったので、今回は兵庫から出さないと、という声が選考委員の間でかなりあがっていたらしい。
あおりをくったのが和歌山勢。ベスト8に3校残ったが二回戦で報徳に4-3で勝った星林だけが選ばれ、新宮と吉備は落選。
この年にかぎらず報徳は選抜の選考で恩恵を受けていることが多い。81年、2009年は東洋大姫路と最後の枠を争ってすべり込み。81年は県では東洋に負けていたが選ばれた。
震災の95年は兵庫3校になるため本来は選出はされなかったと思う。
このような歴史があるので、数年前の近畿ベスト8での落選には驚いたものだった。 85年、87年のセンバツベスト4にPL,池田が両方とも入ったのに85は両校敗退、87は池田が敗退と83夏以来の対戦にならなかったのが残念。
85年池田なら片山投手の踏ん張りで桑田PLに勝てたかも。87年は糸永が背筋痛だったから立浪PLに粉砕されてたかな。 1987年池田はガタイの良い選手を揃えた大型チーム。 センバツは優勝狙えると思ったが糸永の不調が痛かった。 >>682
85年池田は片山投手中心の守りのチーム、87年池田は船本などかつてのやまびこ打線のイメージだったね。優勝した86年は梶田投手中心ながら打線も繋がりがあった。
85年ベスト4、86年優勝、87年ベスト4と春は池田は強かったけど夏はイマイチになったね。 >>675
>>680
7枠目の選考に入る前に、兵庫県からは高砂南が既に選考済み。
よって、選考委員会が兵庫県からの選考に拘っていた事実はない。 1987年池田の新チーム発足時は船本がエース候補。甲子園春夏とも船本の登板はなく糸永と桜間の両左腕が投げた。 >>685
船本はニックネームがエンゲル、桜間はラーマ、
松浦がキン肉マンだったかな
多分ニックネームが載ってるから甲子園の星だったはず 報徳の松田と言えば1978年選手権8強チームの一塁手兼投手の松田も印象に残る。
投手としては速球が持ち味で打撃も良かった。 >>671
報徳の谷川、岡本の2者連続本塁打は選抜大会史上初でした。
翌年にPLが初戦の砂川北戦の初回に鈴木、清原が2者連続本塁打で大会史上2回目でしたが
打撃上位の現代でもその後は記録されてないような?
全く打てない、と北原監督は嘆いていたけど、その全く打てないと言われた打線から大会史上初の記録が飛び出して・・・ 池田は83年以降も全国優勝したり、
ベスト4にも入ったりしているが、何故か印象が薄い。
82年夏〜83年春夏の印象があまりにも強烈すぎたんだろうな。
それ以外では74年春、79年夏なんかは印象に残ってる。 報徳学園は、81年、85年の強力打線以外は常に「ピストル打線」のイメージ(笑)
野球の強豪校なのに、何故か毎チーム「機動力」を売りにしている。
同じ兵庫の東洋大姫路にも同様のイメージがあるな。強力打線は77年ぐらい。 高砂南と言えば藤王に打たれた特大ホームランを覚えている
泉州戦での片手ホームランも強烈で、
絶対プロでも活躍すると思ったんだが・・・・・。 >>690
試合巧者の報徳学園。
相手の隙に付け込むソツのなさ、機動力を駆使した攻撃、鉄壁の守りがチームカラー。
ピストル打線は永田前監督がチームを率いるようになってからが多かったような。 藤王の入団当時の監督は「カッパえびせん」と異名をとる教え魔の山内さんロッテ時代の
落合さんのように自分に合うトコ合わないとこを取捨選択できればよかったが若い藤王は
無理やったんでしょうねぇ >>684
だけどあの年の報徳の選考はゴリ押しだぞ。
とにかくできるだけ兵庫から選ぼうと意図が働いていた。当時の雑誌、新聞記事を見てみるがいい。報知高校野球の選抜ガイド号の座談会でもそのことが触れられているぞ。
前年兵庫がゼロだったためか、開会式のスタンドに空席が目立ち(あの頃は開会式は常に満員であんなに空席の多い開会式は初めて見た)、大会後に選考委員の誰かが辞任したというじゃないか。
通常ならば7枠目は和歌山の吉備、新宮のどちらかだろう。
そのほか、あの年の近畿の顔ぶれはショボく、実力低下が懸念され(事実、選抜では36年ぶりにベスト8進出なしという凋落ぶり)、ネームバリューのある学校もなかったので名門の報徳を選んだという感じもした。 報徳学園はグラウンドの狭さも影響しているのかな?目一杯打撃練習が出来ないから必然的に守備的チームになるとか? >>690
>>692
報徳学園、東洋大姫路のみならず、兵庫県の高校は強力打線が売りのチームが少ない。
どの高校も「投手を中心とした守り」「機動力」等、チームカラーが似通っている。
他の高校でも、強力打線は80年の滝川ぐらい。 >>696
古い話になるが、70年前後の三田学園も例外。 1983年 夏の兵庫県代表は報徳、東洋、滝川でもなく市尼崎が出た。市尼崎は予選前優勝候補に上がっていたのかな。 あの年は春の近畿覇者の東洋が本命。
それがまさかの出場辞退。
報徳もサヨナラホームランで早々と敗退。
市尼は池山が注目選手でチーム力としては話題になっていなかったはず。
あの年は川西明峰に古田がいたんだな。 >>698
市尼崎は巨人ドラ1の林を擁した61回大会では惜しくも決勝で敗退。
勝った明石南は全くのノーマーク。
それでも甲子園で好投手根本(安積商)を攻略し初戦突破した。 平成8年選抜に出場の滝川第二って打線が良いと大会の前評判ではなかったかな? >>694
秋季県大会で大本命だった箕島が新宮に負けて、近畿大会へ行けなかったんだよね。
新宮も2番手Pと3番手Pがプロ入りするくらいの強力チームだったが、
近畿大会では長浜北の田島に完全に抑えられた。 >>691
あの大会の藤王の活躍は衝撃的だった。
3試合で10打数9安打3本塁打、13打席で12打席出塁、11打席連続出塁は大会記録。
池田の水野との対戦が見たかった。
プロ入りしてからは残念の一言。人気があったのでチヤホヤされたのも影響したと思う。飲食店でトラブルになったこともあったな。 >>703
>飲食店でトラブルになったこともあったな。
ある本に藤王のトラブルのことが書かれていたが、
その記事で美人局という言葉を初めて知った。 >>704
藤王は勿体無かった。
勉強はできなくてええけど、社会の常識を教えてやる必要があったな。
中日は伝統的に地元選手をスポイルしちゃうね。 >>707
その経歴だとY校の三浦ですね。
藤王も戦力外通告の後に一時期佐川急便にいたけど。 一時期、三浦と藤王は職場の机が隣だったはず。
三浦は二年のときのほうが調子よかったな。三年のときはカーブはすごかったが球の威力は落ちていた。プロでは難しいと思った。 >>706
藤王が享栄に入学したときのペーパーテストは自分の名前以外は漢字が書けなかったという伝説がある 後年、谷繁伝説が語られたとき真っ先に藤王を思い出した >>708
三浦は女性ファンが多く、バスにつかまったまま宿舎まで来たと言う伝説が。
2年の時に先輩に肩を壊されたとチームメートが言っていた。また、中日時代も最後の一年は契約金の税金を球団に肩代わりしてもらっていたので年俸0 三浦は活躍できず背番号26から60に降格されたり、プロの終わりごろは不遇の時期を過ごした。最後の1990年は一軍登板なかった。 岡山は戦国だが古豪・岡山南が夏はダークホースになるかも?あと岡山城東も甲子園で大物食いしてたね。懐かしいなあ・・・ Y校のエースの中で一番好きな投手は、甲子園に出てないけど77年の長谷部。 Y高は市立だけど、専用グランドあるんだね、神奈川を勝ち抜くのは難しいと思うけど、また甲子園で見てみたいな!
もれは、同世代の2年生エース古沢は元気かな?同じく2年生の谷繁の江の川に勝ち、帝京芝草に隠し球で?惜敗。
あれからY高って、神尾、河原でベスト8が甲子園最後? >>716
97年春にエース青山で出てる、初戦敗退だったけど
五月女の話ってほんとなのかね? Y校は就職も良いんだよな
横浜銀行等地元企業に多数内定 >>719
ジャンボ宮城は公称95キロ
実際は105キロ(笑)
プロでは大成しなかったね ジャンボ宮城って「巨人の星」の登場人物にちなんで
ニックネームが「オズマ」だったんじゃなかったっけ? >>716
あの年の甲子園だけは、桐蔭学園に行ってもらいたかった。
レベルダウンした翌春のチームが、センバツでベスト4。 >>724
左腕萩原と右腕小桧山の二枚看板にキャッチャー大久保の強力バッテリーでした。
大久保は現在慶大の監督を務めてますね。
この年の神奈川県はレベルは高かった。
他に若田部の鎌倉学園、高井の横浜、門馬監督が現役選手だった東海大相模とどこが出ても甲子園で勝ち進めたような。 負けたけど、駒大苫小牧のマー君から本塁打、二塁打を放った東洋大姫路の林崎はどうしたの。 >>725
88春は渡辺投手でベスト4、背番号13のネギやんの強打も良かった(笑)
宇和島東に延長で敗退だが、惜しかった。東海甲府には、完勝したから優勝もありかと思ったが😅 88年春のベスト4は宇和島東、東邦、桐蔭学園、宇都宮学園だったか。
宇学は前年秋の関東大会準々決勝で東海大甲府に完敗したけど、新チーム結成以降、東海大甲府敗れるまで負け無しだったチーム力が評価されて関東5校目に選出。
確かに高野連の選択は間違っていなかった。
やんちゃを絵に描いたようなチームだったけどw >>728
この大会、谷繁の江の川は中大ベスト4で落選し、倉吉東が選出された。部員16人の弱小チームが2勝して桐蔭学園2勝惜敗するなど大会を盛り上げた。
軟投エースの河野くんは明治大で野球を続けたのかな?16人目でベンチに入れなかった池本くんは元気かな? >>729
河野は、明治大学でも中継ぎとして活躍した。 大阪桐蔭の西谷監督は、86秋の近大で報徳の選手として市岡に1-6で敗れてますが、ベンチ入りはしていないんだな。
報徳はこの後、不祥事連発で2年くらい予選に出れなかった。 横浜商業は甲子園に出たことあるが
神戸商業もあるのかな? >>729
江の川は倉吉東の影響じゃなく、中国大会で1勝もしてない宇部商の抜擢により落選した形。
江の川も、納得出来なかったろうなぁw >>732
あるよ。
大正11年(第8回大会)に出場して準優勝
当時のエースが浜崎真二 >>731
この当時の報徳は85年秋、87年春に不祥事発覚で86年春季大会と87年夏県大会は対外試合禁止でした。
夏の予選に出られなかったのは87年のみ。
対外試合禁止期間は87年6月から1年間で88年夏の県大会には出場しました。
88年夏は滝川二と5回戦で当たって6-13の7回コールド負けでした。 >>735
好き嫌いやな、江の川は外人部隊やし
まあ、進学校いうても学校では落ちこぼれ。公立進学校出ても地元やOBは喜ぶし、毎日グラフとかくだらない雑誌も売れるから、お互い様やね。 >>736
2年生エースの甲本や徳でセンバツで帝京に勝った! >>735
このパターンは、86年センバツで多々良学園を蹴落として岡山南が選ばれたケースと全く同じ。
その時は、岡山南・エース加百が評価されての選考だったことから、88年センバツも宇部商・木村の存在が大きい模様。 >>739
まあ、春は投手力やから
ただ、87年は滋賀の伊香高は投手力酷かったけどな
86秋の近大でのちにプロに進む智弁学園の辻本を攻略。 >>739
結果論だが、81岡山南、88宇部商を選択した選考委員会は大正解!w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています