30歳以上のおっさんが高校野球を語る25
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今井が喫煙か
愛甲や金村が高校生の頃みたいなタバコ吸わない奴のほうが肩身が狭かった時代と今は違うんだから、喫煙はダセエと思わんのかのう >>589
96センバツの準決勝で、智弁和歌山に敗れたのにも驚いた。 その智弁和歌山が夏の初戦で茨城 水戸短大付に打ち負けたのには驚いた。 >>589
一応訂正しておくが、高陽東がPLに7-6で勝ったのは1996夏だな。
1998夏はPL-横浜の延長17回の激闘。 >>592
高陽東が初出場した時は、初出場で優勝の同じ広島の崇徳の匂いがした。
あの年のセンバツ・ベスト4では、戦力的には高陽東が頭2つ頭抜けていたな。
それだけに、小川監督も「優勝」の2文字ちらついて… >>595
高陽東は、秋の中国大会は準決勝で敗退。3校目でやっとのセンバツ出場だったから、どちらかというと過小評価されていた。
中国大会圧勝の崇徳とは、それが違うところ。 たしか中国大会の直前に修学旅行があって調子を崩してたとかだったな >>597
米子東に負けた時は、正直啞然としたww 崇徳とは言わないまでも、小川監督の「作品」としては、86年のエース上田にバックは01年の打線と言うイメージ。 シュミレーションゲーム俺の甲子園
ここから始めると部費15万円が支給されお得ですよ。
面白いよ。
http://orekou.net/i/644z 神奈川、愛知、大阪、兵庫、和歌山、広島、愛媛、高知
70から80年代を中心に高校野球を見てきた俺の中で、この8府県が安定した強豪地区の印象。
たまに千葉、東京、静岡、京都、香川、徳島、福岡から強豪校が出てきて上位をうかがう感覚かな。
今はずいぶん変わったなあ。 三重の相可とか、本当ご無沙汰だね
ヤクルトの中西とかプロも輩出しているのに。あと海星も見ないね〜。 三重高校も80年代は低迷していた。
明野が強かった時期だね。 >>603
三重の明野が86年夏の1回戦で、センバツ優勝の徳島・池田を7−2で
KOした試合は印象的だったね。 相可は甲子園に出てなかったら、他県の人間は読めないな。 >>595
チームが長髪で自由な感じがしたが
後にエースの宗政が猛練習で気を失う事もあったとか雑誌で語ってた。この頃までかな、こういう昭和的な無茶なノリ。
前年甲子園出てた帝京、星稜、銚子商らも終電まで猛ノックとか失神救急搬送とかきつい練習記事があった。 >>607
小川さんは資本、腕が違う
明大〜テレビ局勤務の2年生エース、名前なんやったかのう?
打たれても、打たれても真っ直ぐ勝負。
控えの高津が大リーガーになるとは分からんもんやな。 >>609
上田
小川監督も凄いが、甲子園初出場を果たし、確実に小川監督にバトンを繋いだ真藤監督の功績が大きい。 >>610
仏の真藤、鬼の小川w
若い頃の小川監督は本当に厳しかったが、部員には慕われていたな。
「マスターズ甲子園」を見ても良く分かる。 >>611
「マスターズ甲子園」に熱心な高校は、チームワークの良さが伺えて好感が持てる。
県工も各年代からのメンバーは、果たして何人体制?! 三重県は三重と海星が中心の時代から、公立勢が巻き返して混戦になった。 91年三重は高校野球は四日市工の井手元、高校サッカーは四日市中央工の小倉が活躍して有名になったな >>613
県工は78年夏の甲子園出場チームの代から、先輩・後輩分け隔てなく仕事をするシステムにした。
この考え方は今も続いているかどうかは...... 高陽東と如水館が強くなり始めたのは同時期。
その後は、監督の任期により勝負はついた。
高陽東の巻き返しに期待したい。 1996年の高陽東は本当に強かったな
宗政とかよく覚えてるわ
小川監督…体罰か何かでクビになったんだっけか。
で、その後、元・教え子を殴って逮捕w
まーそんなことあっても瀬戸内をまた強豪校に復活させたんだからその手腕は見事ということか >>619
ピンクレディ系小川監督
明るくて頭の良い監督やな >>618
如水館・迫田監督の継投好きには閉口するw
広島商時代の山村−田井みたいに、上手く行く方が珍しい。 >>621
迫田監督も、信頼できる投手がいる年は心中w
いない年は、発病ww そうでもない。48年は佃ひとりが投げて優勝。 3人の投手を揃え、自他共に優勝候補筆頭で
むかえた49年選抜は大分商によもやの敗退。夏は予選敗退 >>625
大商はまさかの勝利に居酒屋では、半額セール 和歌山の新宮は名古屋からも大阪からも何時間もかかる僻地、ここから甲子園出場って、なんか故郷代表って感じがするわ 新宮市まで何時間もかかる僻地出身の下宿生もいるのよ。
下宿生は和歌山県内だけでなく、十津川(奈良県)の子もいる。
藪恵壹は三重県からの越境通学だったらしい。
ただし、自転車通学。 >>624
ある程度信じてもらえたのは、洲上、小町、せんとくん、今年の福嶋ぐらいw >>628
故郷代表という感じなんで久しぶりに新宮高を甲子園で見たいですね。
ちなみに兄弟校の新宮商出身でジャイアンツでも活躍した南真一郎投手はどうしているのでしょうか?
薮さんは関西の家電屋さんを奥さんにもらいながら、よくテレビでてますね。 >>630
新宮の普通科はそこそこの偏差値あるんで、
土木科がなくなってからは選手集めに苦労している。
残念だが、甲子園出場はもう無理かと・・・・・。 >>631
選手が集まらないんだな
ユニホームは故古角先生が明大OBだからだね。
ただ、新人戦で優勝してるくらいだから、チャンスはあると思うが。 秋に近畿大会まで行って、21世紀枠での出場というのが現実的かな 新宮は夏のベスト4があるけど春は0勝5敗
これ選抜のワースト記録じゃないの? 1980年代は広島・山口、四国がそこそこ強かったが、今は弱くなり、東北がやたら強くなった。
しかし、東北はまだ優勝がない。 >>634
21世紀枠に地区推薦なら僻地枠で当選の可能性が高い レベルの低い争いw
21世紀枠待ちじゃ、潔く野球やめた方がエエんとちゃう?w >>642
市岡は87年にプロ注目の富士宮西佐藤を攻略し、1勝!
市岡のエース岡森投手はどうしとるんかの?早稲田に何年も浪人して入った選手おったな。
佐伯天皇の母校。 市岡は95年の選抜でも日南学園相手にほぼ互角の試合をしていた >>644
夏の大阪大会も決勝でPLそこそこ苦しめたよな。
あの年のPLは歴代PLでもかなり上位の部類なのに。 87年の市岡のアルプスにはOBのジェームス三木氏がいた。 近畿は21世紀枠に当てはまる古豪がたくさんあるね。 >>649
近畿7校復活、東京2校、関東4校固定。
四国、中国、それぞれ4校 >>653
すいません。
>>650さんの東京2校、関東4校固定。に
対しての意見です。 市岡は1990年夏の大阪地方予選でPL学園に勝った。入来、坪井などプロ入り選手がいた強力チームを完封した。 市岡は86年秋の府大会で優勝している。
翌年PLが春夏連覇するけど秋の府大会は3位だった。(市岡とは対戦せず) 86年秋の市岡は府大会で優勝。近畿大会でも初戦の報徳(大阪桐蔭の西谷監督が選手でいた)に6-1で勝ち、選抜当確となった。
このときの快進撃は大阪では「事件」として大々的に報じられた。 >>657
報徳?ずっと出場辞退ちゃうかったっけ?滝二、西詰、東尾、明石、井上、藤本、報徳?? >>658
ホンマや、兵庫県大会3位で出てる。
このあと、2年半位ずっと公式戦出場辞退やな、このあとは今、本田技研鈴鹿監督の甲本らのセンバツ出場やね、因みにこの夏優勝する吉岡擁する帝京にシーソーゲームで勝って、キク山田のTOHOに惜敗。監督は現関学監督の広岡さん。
銀行員が報徳立て直しで招へいされた? 報徳学園は85年のチームが優秀!
PL学園にまぐれ勝ちwした東洋大姫路とはものが違う。
惜しむらくは、プロ入りしたエース松田が覚醒前。それでも、秋はPL学園と互角の勝負だった。
北原監督も密かに全国制覇を目論んでいた。 >>660
北原監督は金村擁して全国制覇した81年のチームよりも打線には自信を持ってました。
確かにエース松田が覚醒前でこの時はまさかプロ入りする投手になるとは思えなかった・・・ 報徳学園の松田はセンバツ弘前工業戦は大乱闘でした。 報徳学園10−2横浜は、当時の報徳学園の良さがフルに出た試合。
それにしても、松田の覚醒がもっと早ければ… >>660
当時は今みたいに情報も少なくて、ホームランや報知読んで松田、安田の2枚看板に強力打線と高評価だったからどんな強力チームだろうと楽しみにしてた。
弘前工に序盤からリード奪われる展開に唖然。横浜戦は力を示したが帝京戦では先制するもビックイニング作られて敗退と前評判程の強さは感じなかったな。
初めて甲子園見始めた年で、報徳、東洋のヘルメットが写真で見てたツバだけ色があるヘルメットではなくて何で変えたのか疑問にも思ったな。 1985年の報徳学園に松裏という選手がいた。 普通は松浦なのに、変な名前だなと思いました。 エース松田は、西濃運輸に入ってすぐ頭角を現わした。
速球が高校時代とは見違えるようで、ドラフト指名の年の都市対抗では王子製紙春日井の補強選手として活躍した。 >>666
確か、王子は初出場でベスト4。
松田は、大会優秀選手に選ばれた。 あのときの報徳は前年秋の近畿大会でKKのPLに1-2とがっぷり四つにわたりあった。
豊田の東洋とならんで評価は高かった。目をひいたのは新チーム結成以来15試合くらいでエラーが5個しかなかった。
それがあの弘前工戦、初回になんと3エラーして4点を先制されるというまさかの展開には目を疑った。相手外野の転倒、そして最終回の相手の強攻策失敗に助けられて勝ちを拾ったな。 >>668
ホント、甲子園の初戦、特にセンバツの初戦は何が起きるか想像もつかないw
2戦目で立て直したのは、さすが甲子園優勝監督。 2年前の83年春の報徳学園は、貧打の極みw
「あの年のエース岡本が、85年春のチームのエースなら面白かったのに」と思った。 桐蔭学園との試合で8回裏スリーラン、ソロで大逆転。 ホームラン打ったの谷川だったかな。 岡本も香田もプロ野球ではまずまず活躍した。 Y高三浦は全く通用しなかったのが以外でした。 83報徳は甲子園以前の近畿大会で
和歌山の無名の公立に負けてたやん。
兵庫枠でセンバツ出場。 85エース松田は打撃センスも抜群だったが、夏はあの強打線の4番を任された。 >>676
85夏は報徳と東洋は直接対決で決着?
春は大差で東洋が勝ったと報知の夏予想号で確認したような。
東洋大姫路は春は津久見に大敗したから夏は無いと思ったがやはりPLを倒すだけの力はあったんやね。東北との試合も、当時の佐々木はまだ大魔神状態じゃなくむしろ不調だったから東北勝利は予想外。 そう、県決勝で東洋2-1報徳。
秋は準決勝で報徳が豊田を攻略、10-6で勝っていたが。 >>677
試合は報徳が押し気味で、東洋がワンチャンスをものにした。 >>675
このときの報徳は近畿のベスト8にも入っていなかったが、岡本の投手力、初戦で彦根東に10-0コールド勝ちの試合内容で浮上というきわどい理由づけだった。前年兵庫がゼロだったので、今回は兵庫から出さないと、という声が選考委員の間でかなりあがっていたらしい。
あおりをくったのが和歌山勢。ベスト8に3校残ったが二回戦で報徳に4-3で勝った星林だけが選ばれ、新宮と吉備は落選。
この年にかぎらず報徳は選抜の選考で恩恵を受けていることが多い。81年、2009年は東洋大姫路と最後の枠を争ってすべり込み。81年は県では東洋に負けていたが選ばれた。
震災の95年は兵庫3校になるため本来は選出はされなかったと思う。
このような歴史があるので、数年前の近畿ベスト8での落選には驚いたものだった。 85年、87年のセンバツベスト4にPL,池田が両方とも入ったのに85は両校敗退、87は池田が敗退と83夏以来の対戦にならなかったのが残念。
85年池田なら片山投手の踏ん張りで桑田PLに勝てたかも。87年は糸永が背筋痛だったから立浪PLに粉砕されてたかな。 1987年池田はガタイの良い選手を揃えた大型チーム。 センバツは優勝狙えると思ったが糸永の不調が痛かった。 >>682
85年池田は片山投手中心の守りのチーム、87年池田は船本などかつてのやまびこ打線のイメージだったね。優勝した86年は梶田投手中心ながら打線も繋がりがあった。
85年ベスト4、86年優勝、87年ベスト4と春は池田は強かったけど夏はイマイチになったね。 >>675
>>680
7枠目の選考に入る前に、兵庫県からは高砂南が既に選考済み。
よって、選考委員会が兵庫県からの選考に拘っていた事実はない。 1987年池田の新チーム発足時は船本がエース候補。甲子園春夏とも船本の登板はなく糸永と桜間の両左腕が投げた。 >>685
船本はニックネームがエンゲル、桜間はラーマ、
松浦がキン肉マンだったかな
多分ニックネームが載ってるから甲子園の星だったはず 報徳の松田と言えば1978年選手権8強チームの一塁手兼投手の松田も印象に残る。
投手としては速球が持ち味で打撃も良かった。 >>671
報徳の谷川、岡本の2者連続本塁打は選抜大会史上初でした。
翌年にPLが初戦の砂川北戦の初回に鈴木、清原が2者連続本塁打で大会史上2回目でしたが
打撃上位の現代でもその後は記録されてないような?
全く打てない、と北原監督は嘆いていたけど、その全く打てないと言われた打線から大会史上初の記録が飛び出して・・・ 池田は83年以降も全国優勝したり、
ベスト4にも入ったりしているが、何故か印象が薄い。
82年夏〜83年春夏の印象があまりにも強烈すぎたんだろうな。
それ以外では74年春、79年夏なんかは印象に残ってる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています