30歳以上のおっさんが高校野球を語る25
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75年の選抜は北海道と東北から2校ずつ出て、すべて初戦に勝った。 >>256
自分がTVで見た限りでは何年か忘れたが、夏の大会二回戦の米子商の捕手だったと思う。 >>265
中国地区が5校選出された年は寒冷地枠が山陰に回って来たと思われ。 73年 この年は全五県から出場
広島商…江川を攻略、準優勝
松江商…若林を擁して一勝、広商との同士打ちで二回戦敗退
岡山東商、岩国、境…初戦敗退
74年
倉敷工…ベスト8。イレブン池田に延長戦の末敗退
広島商、境…二回戦敗退。広商は14盗塁を記録しながら大分商に敗れる珍事
防府商、岡山東商…初戦敗退
74年の岡山東は新チーム結成以来のチーム打率が1割8分くらい、7勝5敗の成績でよく選ばれたものだ。土居も大会前に盲腸を患っていたし、銚子の土屋が相手とはいえ1安打完封負け。 73年春の境は、日大山形に山形県勢春夏通じての初勝利を献上 >>270
73松江商若林でなく中林
若林は松江商80年選抜のエースで1勝した人 >>267
勝った相手はすべて近畿代表
2回戦で報徳が札幌商に勝ったものの対近畿勢は4勝1敗 佃や中林もセンバツの時点はまさか江川と同じ大学生活を送るなんて思ってなかった
やろねぇ >>274
江川も罪な選手だね。
高校も大学も急きょ方針転換して行き先を変えたな、まあ大学は本命の慶応の受験に失敗したからなんだが。
最初からこの学校に行くとはっきりしておけば、作新や法政への進学を控えた投手も多かっただろう。大橋なんてホントにかわいそうだった。 昔の強豪校の広島商、松山商、PL学園、天理、みのしま >>279
ミラクル宇部商が炸裂した88年の左腕ね。
前年秋の中国大会は初戦敗退だったのが木村の実力が評価されて谷繁のいた江の川を抑えての選抜出場で。 >>280
新日鉄光やったか?
移籍したような気がする。
因みに、宇和島東の山中も明治夜間辞めて社会人野球で頑張っていたね! 宇部商の1年生宮内が、東海大甲府の厳ついオッサンみたいな顔した三年生投手から、バックスクリーンに豪快な逆転3ランを打ったのには爽快な気分になったな >>282
東海甲府のピィは石黒、気合い溢れる選手で大八木のおっさんからは信頼されていた。
そんな大八木のおっさんも福井の学校で監督引退。萩原とか榎とかエエ選手育てたが、原貢に反目して?東海系から渡り鳥へ、甲子園ではヒールやったけどしぶといエエチームが多かった。
実録関東昭和軍? 阪神大震災があった1995年はマジで選抜は中止になると思ったな。
何とか実施にはこぎ着けたが、選手のバス利用は禁止で電車限定。
応援団もバスはダメだったような記憶が。 当時選抜選考は2月1日に行っていたが震災の絡みで2月下旬に選考会開いていたね。
ラジオで出場校を聞いていたが智辯和歌山落選でコールド負けの市岡選出に『は?』ってなったよ。 兵庫3校?
震災無くとも準優勝の神港学園、4強の育英、準々決勝で敗退した報徳学園は選ばれたと思うよ。
全部優勝したPLに負けたけど
PL学園6-4報徳学園
PL学園4-0育英
PL学園9-1神港学園
PLと唯一好勝負を演じたのが報徳学園だったし。 95年センバツといえば清陵情報の校歌が流れなかったのが残念。
震災直後だったから話題にならなかっただろうが、この歌詞がもし流れてたら
結構話題になってたんじゃないか?
ttp://www.seiryojoho-h.ed.jp/school/kouka.htm >>286
そもそも、95年は近畿勢はレベル低すぎ。
兵庫の3校も、実力はドングリの背比べ。
もしも震災がなかったら、高野連は「1県2校が上限」に固執するから、地域性で市岡、智弁和歌山は確定で、兵庫3校の徹底比較に移行する。
兵庫1位校で、決勝進出した神港学園はいちぬけで、後は兵庫2位の報徳学園と3位の育英のいずれか。 そう、兵庫3校選出は言い方は悪いが震災のおかげ。震災がなければ2校だけで、おそらく神港学園と育英だったと思う。
選考会を前に牧野会長が兵庫3校選出を強く望むようなコメントしていたな。
あおりをくらったのが前年覇者の智弁和歌山。震災、そして最後の枠を争う相手が高野連大好きの市岡だったから。
市岡は伊都にコールド負け、たしかヒット22本くらい打たれて6-13だったかな。 平成になってからも市岡が近畿大会に出られていた頃は良かったね。 >>291
市岡(大阪2位)が近畿大会1勝に対して、浪速(大阪3位)は近畿大会0勝。
浪速は、選考の際の俎上にも挙がってないw >>293
市岡もええけど、現実的には、興国や阪南大高が甲子園でみたいわー^_^ 馬鹿馬鹿しい妄想だけど、95年に21世紀枠があったとしたら
【東】富山中部
【西】首里
【3】観音寺中央
だったと思う 首里は94年秋の九州大会でその年の選抜に優勝したばかりの鹿児島実に5-4で勝ったのには驚いた。つづく熊本の城北に4-13とコールド負けした。
あの九州大会前に城北で不祥事が発覚、それまでなら九州大会には出場できなかっただろうがなんとか出場にこぎつけた。
そんな城北が首里、そして準決勝では津久見にも7回コールド9-0と勝ってしまい、津久見はこれがたたって同県の藤蔭に出場をさらわれた。
津久見はいまだに平成になってから出場がない。
ホント城北は余計なことしてくれたな、といまでも思っている。 >>296
城北の監督は京都商で準優勝した徳山監督でっか? 韓さんや鄭さんが、スコアボードに名前が出たのはインパクトあったね、韓さんはマルハンの社長って凄いわ。 勝山五郎は在日で、京都商業が甲子園で準優勝した時もスタメンに在日が何人もいた。
城北が甲子園に初出場した翌年も本命だったが、集団食中毒で済々黌に敗退。
その数日後に脳出血で倒れて、以降は京都で療養して監督の座に戻る事はなかった。 >>296
津久見は2002年秋も準々決勝で佐賀東に逆転負け。エース藤末が6回までパーフェクトピッチングだったが1イニングだけ崩れて2-3で負けた。あと一歩だったな。
まあ佐賀東も準決勝コールド負けでセンバツは落選したが。 94年秋の津久見は九州大会で長崎日大に延長で5-4、つづく佐賀東戦は8回に大逆襲して8-7と接戦をものにしてのベスト4だったのだか…
城北戦の大敗ですべてを無にしてしまった。
当時の監督は72年夏に全国制覇したときの主将だった吉近氏だった。
その後は97年、98年夏と県準優勝。97年は大分商との古豪対決で3-5、98年は柳ヶ浦に7-10と敗退。プロで首位打者になった鉄平がいた2000年も春は県優勝したと思うが夏は早々と敗退。
復活はもう無理かな。 京都商のエース井口は、以前「京商のメンバーとは同期会もないし、交流は一切ない。」と言っていた。 津久見や興国はまた見たいでも阪南大高はええは大鉄とは別の学校みたいやから 何年か前に池田が久々に甲子園に帰ってきたけど
びっくりするくらい弱いチームだったなあ
エースで4番を故障で欠いた21世紀枠相手にあわや負けそうだったしw
ああいうのは見たくない >>310
そのうち清峰とかもそうなるんだろうな
私立で強化やめて急激に弱体化するとこがあるけど、強い頃のOBは複雑だろうな
PLはともかく柳川とか堀越とか >>304
津久見は、例の大津事件の後に引き継いで85年と88年で春夏連続出場させた山本監督が早い時期に辞めちゃったのが痛い 伝統校だから大変なんだろうけど 佐伯鶴城も一昨年甲子園まであと一歩まで行ったから津久見もワンチャンありそう >>313
山本監督の退任理由は異動
小嶋さんみたいに何十年も居座ることはできなかったらしい
近年、臼杵高校で九州大会に出るなど手腕は発揮している >>265、亀でスマソ
某サイトで、73年のセンバツ大会選考を照査してみた
【北海道・東北】準優勝校が各々、旭川龍谷、仙台育英
と私立だった為か、増枠の恩恵を受けず
【関東・東京】銚子商が、関東3校目で選出。
以降、【関東・東京】は、5校が固形化
【東海・北信越】福井商と静岡商が、WCと増枠分を仲良く折半
【近畿】もう一校出すとすれば、近大付だったが、
選出には至らず
【中国・四国】WCで岩国、寒冷地枠で境を、各々選出
【九州】前回で終了だった【沖縄枠】だが、宮崎商の推薦辞退の影響で
一年延長
前原を選出
こんな感じかな? >>347
推薦辞退は宮崎商ではなくて、宮崎実(現・日章学園)ですね。 >>316
山本氏は日本刀事件のあと小嶋前監督の要望で九州産交を辞めて秋からコーチ、85年4月の津久見高校教師赴任後すぐに監督就任だった
日本刀で切りつけられた大津氏と、山本氏は津久見高校と日体大で同期
甲子園にも出場し大津氏が二番サードでキャプテン、山本氏が三番キャッチャー
大鉄川端のサヨナラ満塁ホームランで負けた >>318
そう。教職員の交通事故で推薦辞退だったかな。
宮崎実には練習試合であの江川から本塁打を放った石淵がいたな。よせばいいのにその気になってしまってプロ入りしたが三年でクビになってしまった。 当時選出理由に品行方正があったけども単なる交通事故なら推薦辞退せんで良かったんでないかな。
飲酒運転は印象悪い 津久見は川崎憲次郎で優勝もあるかと思ったが、準々決勝で広島商科の志村けんこと上野に完敗。
ナイトゲームやったな。
そのあと、ドラフト候補になったとき、阪神タイガースだけは行きたくないとかぬかしあがって、最後は中日で給料泥やってた。 >>323
こいつはなんで怒っているのかね。
プロではまったく活躍できなったんだからな。 >>320
石淵氏曰く「プロ入りは全く後悔してない。プロ野球の世界を経験できたから」
誹謗中傷の書き込みは止めろってことw プロはなかなか入れるものじゃない。よほど頭いいとかじゃないなら、無理は承知でも入って見たらいいのにと拒否する選手が出るたびに思う。 「野球しかやったことがないから…」は、高校生の段階で考えることじゃない(笑)
人生、いくらでもリカバリーが出来るし、プロにチャレンジしてみるのもいいじゃないか。 激しく同意。俺もプロ目指せば良かった。
って後悔するより余程、いい人生やと思う。 プロ側も、無理だと思ったら、早めに引導を渡す事が肝心。
そうすれば、リスタートも切りやすくなる。
石淵さんの3年は、いいタイミング。 川崎の津久見と選抜で対戦した早稲田実は小粒なチームだったな。 >>333
その年は堀越と早実と東京代表にしては戦力がイマイチやったね、帝京は芝草、吉岡の間の世代。 >>334
帝京は前年度の芝草のチームでは野手は2年生が主力だったから新チームも強いかと思ったけど。
芝草が抜けた後の投手力が弱かったか。 >>335
意外と野手は揃ってるのに投手が弱いということはね
あと2年生主戦が劣化というのもある >>336
野手では平山、大井、バッテリーの2人が3年生でそれ以外の野手は2年生。
小澤、秋山の1、2番、藤波、森と甲子園でも活躍した2年生が残ってたから強いかと思ってたら。 88夏は日大一、帝京よりも、「1番ピッチャー酒井くん」の修徳が見たかった。 帝京はたまに夏の大会前に3年生を干して2年生主体のチームに作り変えたりすることがあるよな
95年はそれで全国制覇するんだから、たまがった >>341
前田のみっちゃんも当時はガンガンやってたからな。まあ、甲子園で智弁和歌山と壮絶な打ち合いの試合以降、人間的になった気がする。残念なのは、丸くなり過ぎて、なかなか甲子園に出られないが。 >>340
その通り。野球センス抜群だった。
この年の東京都は、東西ともレベルが低い。
帝京は2年生エース・吉岡で臨むが、日大一に打ち負けた。 修徳の鈴木
修徳は高橋尚成の頃は紫のゴシック体のユニフォームだったが、その後ローマ字を経て今の行書体の漢字ユニフォームになった。ヤンキーからプロになったピッチャーおったな。 昔の広島商業は今思えば、試合巧者だったなあ、と思う。関東勢があたって、個々の実力は上だと思っていても試合が終わると負けているパターンが何度あったことか。迫田監督等の手腕がほんとに良かったんだろうな。 >>339
酒井投手二年生夏が東東京たあ
>>346 >>339
酒井投手二年生夏が東東京大会決勝で帝京に負け
二年生秋季大会準決勝で早実に延長戦で負け補欠
三年生夏が東東京大会決勝で日大一に負け
あと一歩が続いた。
>>446
昭和57年夏の選手権大会決勝で池田に大敗して辞任した桑原監督なんかも低迷していた西東京の堀越を就任五年で甲子園出場しその後もコンスタントに出場果たしていましたね。
ただ広島商のような緻密さに欠けてあまり勝利を挙げる事が出来なんだ。
そして堀越の兄弟校の頴明館では未勝利だったチームを西東京大会で準優勝させるなど手腕が光った。 【大雪警報】関東地方で「帰宅命令」が出る企業が続出中 / 一斉に帰宅する人々で各駅は大混雑の模様
本日2018年1月22日は、関東地方の広い地域で大雪となっている。午後には、気象庁が東京23区など関東甲信地方に大雪警報を発表した。交通機関の乱れが予想されるなか、それに伴い「帰宅命令」が出る企業が増えているようである。
Twitterなどを見てみると、今回は早い段階で指示が出る企業が多かったようだ。ただ、一斉に帰宅する人々で、各駅は大混雑となっている模様である。
・帰宅命令が出る企業
広い範囲に大雪警報が発表されたことで、帰宅命令を出す企業が増えている。 >>346
畠山先生−迫田監督のコンビは、ほとんど相手にスクイズも許さない、厳しい野球をやっていた。
この名コンビが痛恨だったのは、71年のチームを甲子園に出せなかったこと。
広商史上最強とも言われるチームで、潜在能力は全国制覇した73年のチーム以上。全体のレベルが低かった71年では、代表になったら間違いなく優勝候補に推された。 >>348
頴明館は文徳以上に青いユニフォームで注目を集めたけど、結局甲子園には届かないまま弱体化してしまったね >>350
ドラフト指名の荒谷、若松(現・広島商監督)に、二宮(現・DeNAコーチ)。
エース・小林は、後に亜大で20勝。
迫田監督も、夢を見ただろうなぁ(笑)
そして、失望した2年後に、「格下」と思われたチームが全国制覇。 >>350
71広島商は選手の潜在能力はともかくチームとしては機能せずだった
中国大会で岩国と1勝1敗 鳥取西にも引き分け再試合に持ち込まれている
夏大会も広陵に力負け その広陵は本番初戦で初出場校に負けている
やはり勝ったチームが強い それが高校野球だ
73広島商は将棋でいえば「歩」程度の選手が「と金」になることが相次いで伝説のチームになった
その時点で格下でも何でもない >>352
生前の佃氏が「僕が1年生の時の3年生のチームには、逆立ちしても勝てない。あれだけのチームが甲子園に行けなくて、自分たちが行けるなんて…」と語っていた。 ここ見てると育英は最近出てこなくなったな 投手の徹底分業化の全国制覇はインパクトがあった 前の年の優勝が森尾のワンマンチームの西日本短大だったから尚更 あのころの広島といえば毎年のように広陵が出場していたから、関東の者からすれば広商は73年のチームで久しぶりに復活したように思えた。
71年のチームはそんなに強かったのか、甲子園で見てみたかったな。駒沢で活躍して巨人に入団した二宮至がいたことくらいしか当時は知らなかった。
75年の三重国体を最後に迫田監督が辞めたとき、強かったチームは?と聞かれて71年と73年のチームを挙げていた。 広島・ドラフト4位の荒谷と言えば、広島市民球場に法政大学を招いて行われた三菱重工広島のオープン戦で、後輩の金光、楠原らの前で江川からライトスタンド上段にホームランを叩き込んだのを覚えている。 >>356
迫田監督は、監督としての実働期間は8年だが、強かったチームとして71年と73年を挙げたのは、ひとえに投打のバランス。
計6回甲子園に出ているが、69年、74年は「投低打高」。70年、75年は「投高打低」で、それぞれバランスが悪い。 迫田さん、73年も勿論だが、かなり71年のチームに思いが強いなぁ >>359
74年は選抜をみたかぎりでは打はショボいと思った。苫小牧工の大西からは二点取るのがやっと、バットも何本か折られたし。
そしてあの大分商戦、あれだけ攻めまくりながら詰めを欠いた。
むしろ初戦で二安打完封した田所の投球が印象に残った。三人いたが柱がいないという点で投が不安とは言われていたけど。まあ大分商戦で田所を先発させずに墓穴を掘ったが。
夏は呉港にまさかの完封負けだった。 >>359
チーム評価は妥当だと思う。
特に、日高の70年、山村、田井の75年は、打線がもう少し強力なら、優勝に手が届いたかも。 >>362
日高のときは相手の高松商大北が良すぎた
広商含めて3試合連続完封と彼の投手キャリアでは頂点だった 70年の岩手国体で、PL学園1−0広島商。延長14回、新美vs日高の熱投が見られた。
この試合、PL学園の新井が国籍の問題で出場が許されなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています