中島や青山の頃は 報徳の福島監督が慶應野球部OBだったから
ある程度勉強ができる部員に慶大受験を勧めていた
当時慶大は工学部以外に推薦入学制度が無くて
作新学院の江川投手などは経済、法、商、文と4学部受験して全滅
甲子園出場レベルの高校から慶大進学するのは
簡単なことではなかった