思い返せば、東亜大(山口県下関市)の現役学生だった坂原監督が就任したのは05年8月。
当時、下関国際野球部は荒れに荒れていた。部室は窓ガラスが割られ、壁は落書きだらけ。
就任直前の山口大会は部員の集団万引が発覚して出場停止。生活態度を正すことから始めた指揮官に反発し、部員が1人になったこともあった。
平成版「スクール☆ウォーズ」ともいえる中で、指揮官は「甲子園出場」という夢を語り続け、12年たった今夏にかなえた。先発メンバー中、1、2年生が7人。聖地は来夏も待っている。