50歳以上のおっさんが高校野球を語る
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>>651
佐伯については、富山商戦の1安打15奪三振のピッチングはよく覚えている。
「公務災害」の肩痛さえ発症しなければ、ずっと広島にいて北別府以上の勝ち星を挙げただろう。
宇根は、リアルタイムでは記憶にない。 >>656
67年の広陵には、正直、県民も期待してなかった。
山本和行(元阪神)擁する広商が、当然甲子園に行くもんだと思っていたし、おまけに、決勝戦で宇根が指に怪我をしてしまったし…。
したがって、甲子園ではあれよあれよのうちに勝ち進み、「もう決勝?!」って感じ。 >>659
67年の広陵は「広陵野球部史上最弱」と言われていたらしい。
仮に広商が出たら、前年と同じように優勝候補に挙げられた模様。
なお、宇根の指の手術は、感覚が鈍るのを嫌って麻酔を使わずにやった......(汗) >>658
富山商戦は毎回の15奪三振だったが、九回は三人とも3球三振だったはず。
富山商は初戦では高松商の大北に全員の16三振を奪われ、つづく佐伯には毎回の15三振。二試合で31の三振を喫した。 >>624
あの春の時の広陵って隠し玉を使ってアウトにしたの二試合あったよな
諫早戦9回のピンチはそれでしのいで勝った
これは見てたんだが、初戦の東海大四戦でもやってたらしいな
何かそれを批判するようなのを雑誌か新聞で読んだ覚えある
まあルールの範囲内だから問題ないが、高野連とか審判団はそういう批判に敏感だからね
多少は広陵によくないイメージもたれてたのかも 宇根はなんで近大に行ったの?
同じ関西圏に同志社、立命館があるし、
東京なら、明治、法政はもちろんだが、早稲田にも行けたと思うが・・。 >>657
習志野の市原監督は、試合後のインタビューで「中京は田舎野球」と発言してしまい、
大会終了後に、校長に速攻で監督を解任されたんだよな・・・。 宇根が進学した頃の近畿大は後のミスターロッテの有藤や藤原(元・南海)といった
強打者が揃っていたから選んだんでは同志社や立命館は当時は低迷していた。
東京へいかなかった理由はわからないが卒業後の就職も地元の電々中国だったぐらい
やから個人的(家庭の事情か)に東の方に行きたくなかったのかも・・・ >>661
富山商は大北から16三振もしてよく高松商に勝ったな。 宇根が3年生の時の広陵と、佐伯が3年生の時の広陵はともに甲子園でも優勝候補に挙げられていたが、内容的には全然違う。
特に、監督が変わった事も大きく、佐伯の代は攻守にちぐはぐ続き。援護ももらえず佐伯も可哀想だった。 >>667
今年のセンバツには、両校とも出場が有力。
再戦で今度は高松商に勝って貰いたい! >>667
高松商は渡辺一大北一渡辺一大北の継投だった。渡辺が一点を先制されたが、大北は富山商打線をノーヒットに抑えていた。
七回に追いついて延長戦。11回裏に高松が無死満塁とサヨナラのチャンスだったが、富山商の津田が絶体絶命のピンチを切り抜けた。
直後の12回表、四球のランナーが盗塁などで二死三塁となった後、稲葉(だったと思う)が三塁前に意表を突くセーフティバント。これが決まって内野安打となりまさかの決勝点となった。大北が許した唯一の安打、16三振を奪いながら敗戦投手となった。 >>671
高松商は、58回銚子商戦、60回仙台育英戦、61回茨城明野戦と延長で力尽くことがよくあったな。 >>659
山本和行曰く「私の高校時代の最大のライバルは、村田兆治(福山電波工)と大田垣耕造(尾道商)でした。」 宇根の甲子園ラストの試合は準々第四試合で遅いナイターになってしまい
そのせいか守備がボロボロで自滅
なんとも後味が悪い・・・・ 高松商かな、夏の延長でサヨナラデッドボールで負けた 宇根が3年生の時、優勝候補は広陵と武相だったが、確か序盤で当たったのでは? >>675
たしか春の箕島戦は5失策、夏の倉敷工業戦は6失策と乱れまくって敗れた。
倉敷工業には秋の中国大会では1-0で勝っていたが…
これで三原監督が更迭されたんだよね。 広島・岡山のくくりで見た時に、その代ほど揃って全国レベルだったことはないと思う。
秋の中国地区4強は広島2校(広陵・尾道商)と岡山2校(倉敷工・岡山東商)
センバツは準決勝で尾道商と倉敷工が対戦
夏は準々決勝で広陵と倉敷工が対戦
際どく一度も甲子園に出れなかった岡山東商の奥江投手も後にプロで活躍 >>670
犬を連れてたから、電車に乗れなかったんだろうな。 67年夏の決勝で広陵は習志野に1-7と大敗して初優勝を許したが、二年後の春の招待試合で佐伯が完全試合を達成、9-0で雪辱している。 電車やバス、自動車がない頃はやはり江戸時代みたいに徒歩で甲子園まで行きましたか?船? 宇根さんは数年前にTVで見かけた
何かのローカルなイベントで投球してたよ
もちろん爺さんになってたけど 銚子商、広島商、箕島、習志野、上尾、享栄、岡山東商、松山商。
また甲子園で見たいチーム。
高松商、広陵、熊本工、県岐阜商、松商学園、早実、東邦は最近も見かける。 初めて買ったペナントは市神港だわ。ずっと部屋に飾ってた 河地の押し出しデッドボールはヘルメットの耳に当たった今で言う危険球
打者はスタスタ一塁へ走って行ったけどね >>677
2回戦で当たったな。組み合わせを決める会場のどよめきが、なかなか収まらなかった。
試合の模様は、映画監督の市川崑さんが映画「青春」の中で、注目のカードとして取り上げている。
宇根、島野の緊張感がひしひしと伝わってくる、いい映画だ。 >>678
三原監督の辞任はエラー云々とは全然関係なく、単に自らの方針が校長と合わず、自分から辞任した。 宇根も佐伯も選抜で負けたのは箕島(東尾・s43/島本・s45)じゃなかったかな巡り
あわせか・・・ >>683
当時、ガキだった俺は左腕、宇根のピッチングフォームに憧れたな。一度足を上げた後、左足かかとを跳ね上げるあの独特なフォーム。いまでいえばドジャースのエースみたいな投げ方だったな。 中京と習志野の準決勝は当時ラジオで聴いていたか、中京はランナーは出すが、ことごとく石井投手の牽制球にひっかかりチャンスを潰していたな。後の習志野の小川も牽制球が上手かったから石井の教え方が良かったんだろうな。 当時は
中京、平安、広陵、の伝統校は力があったよな。
ユニといい、帽子といい試合前から威圧感が凄かった。関東としてはやりたくない相手だったな。 宇根はマウンド上でボールを上にスナップしていた。
これはカーブの切れを良くしようと日頃の習慣が癖になっただけらしいが、ピンチになると間を取るという意味もあったんだろう。
小さな大投手=今川(秋田商)、上田(三池工業)、宇根、田村(磐城) >>660
有名な話。
まぁ、投手力だけでも、2年前のエースがサンケイのドラフト1位・河本和明。前年のエースが後にドラフト1位、2位指名を拒否した田村忠義。
この状況で、ぽっと出の2年生エースでは太刀打ちできない(笑)
それにしても、怪我を克服して、宇根の伸び率は計り知れないものだったろう。 三原監督もドカベンの徳川監督ばりに広島から福井そして京都へと新興高校を鍛えて
甲子園へ出場させ今なら珍しくないだろが当時は話題になってTVにでた記憶がある・・・ >>694
鋼管福山・田村は、相思相愛の広島が1位指名する前に、太平洋が指名。
プロ入りの機会を奪われた。
社会人野球・広島大会で、田村のノーヒットノーランを見た。
とにかく、シュートの切れがえげつない!w >>670
それは土佐丸ではなく岩手の弁慶高校だな
確か福岡高校がモデルだったはず。
栃木の江川学院はどうみても作新だなモデルは 高松商業は、エエ所迄いくんだがもう一押し足りない。がつーんと突き抜ける力が欲しい。 >>696
目の前で田村を指名されて焦った広島は事前あいさつもしていなかった鹿児島商の堂園喜義を指名。
指名後にスカウトが堂園の実家にあいさつに行ったら「12球団のなかで事前にあいさつに来なかったのは広島だけですが」と家族に言われたらしい。
広島は二年後も相思相愛の崇徳の黒田を二つ手前の日ハムにさらわれてしまったな。 >>692
68年選抜の3強=広陵、平安、中京
1回戦で広陵と中京が激突。 >>696
崇徳・黒田に拒否された日本ハムは、結局、1位〜3位まで逃げられたw
ざまぁ!ww >>700
その3強、いずれもエースはサウスポーで、力は拮抗していた。
平安は、春・夏とも大宮工に敗れて屈辱だったろう。 小兵の宇根ではさすがにプロでは通用しなかった?
宇根をリアルタイムで見た人教えてクレメンス。 50代のオッサンとはいえ、50年前は幼稚園だろ
よく覚えてんなw >>704
当然、プロでも投球術を高く評価され、俎上には登った。 >>703
自分はTVで試合前の投球練習から見ていたが、ちょうどカーショーみたいな感じで一度、かかとを大きく上に跳ね上げて快速球を投げていた。とにかく格好良くてフォームを良く真似をしていた。 金本が、野球殿堂入りした。
金本の頃の広陵は、前チームが優勝候補筆頭の推されていたのに対し、低迷に終始した。
揃ってセンバツベスト8の広島工、尾道商。春の中国大会優勝の広島商が優勝候補で、広陵は春の県大会でも無名の大門に敗れた。
夏は、1回戦で広島商との黄金カードとなったが、力の差は歴然としていた。
金本自身も、こんな凄い選手になるとは思いもしなかった。 カープのスカウトに選手を見る目があったということかな >>709
大学ではある程度活躍したが、まだまだ非力。
広島出身と言うことで「まぁ、取っとくかぁ〜」ってとこ?! そういえば宇根のかかとを大きく跳ね上げるフォームを見て、学校であれはプレートからはなれ プレートから一度離れるからボークじゃねえか?いや、つま先は残っているからボークではない。と論争になった記憶があるな
。 >>708
高校時代は、「知憲」ではなく「博成」と名乗っていたな。 >>712
あのフォームは少しでも大きく見せようとしたのかな。ヒールアップといえは、もう晩年だったけど西鉄の稲尾、その後継者として池永がプロでやっていたけどその影響だったのか? >>712
あのフォームは、大学時代には止めたな。
今、映画「青春」を見ているが、踵が浮き上ってはいない。せいぜい江川(作新学院)、土屋(銚子商)ぐらい。
それにしても、負けた武相ナインの号泣が凄い! 全国制覇を真剣に目指していたんだろうな。
それと、開会式の入場行進から髭面! 今の高校野球では有り得ない(笑) 原辰徳
村中
津末
岡部
森
五人もプロに行った東海大相模って凄いな >>715
武相の補欠に、東門さんがいた。
早大時代に日米野球のプレー中、不慮の事故死を遂げた。
「青春」では、2年生の東門さんは泣いていない。 東門明さんは72年の第1回日米野球で送球を頭に受けて亡くなったが、このとき大学二年生だった。
武相時代は甲子園に出ていたのか、知らなかった。 >>718
背番号13。
試合では、出番はなかった。 >>722
いま調べたら森は阪急5位指名を蹴って大学に行ったんだね
佐藤功、佐藤勉兄弟などタレント軍団だったね 原、津末、村中、森、佐藤勉は東海大。
佐藤功は一浪して早大。
高卒と同時にプロ入りしたのは岡部だけ。
進学組は原、村中を除き大学では伸び悩んだな。とくに津末は腰を痛めてから劣化してしまった。大学卒業時はドラフト外で日ハム入りだった。 >>698
70年の夏は高松商−広島商の試合が、ベストゲームとして挙げられた。
大北と日高の投げ合いは、見ごたえがあった。
さすがの大北も、PL学園戦では完全なガス欠w 70年夏に春夏連続出場した江津工のエースは中日の三沢淳だったの?
江津工てこの時だけしか出てないよな >>726
広陵・佐伯がライバルと挙げたのは、島本(箕島)でも湯口(岐阜短大付)でもなく、日高(広島商)。
中学時代からの、因縁のライバルだった。 >>716
>>721
二人ともいいかげんなこと書くな。
記憶違いもあるだろうが、きちんと確認してから書くように。 京都商業の井口も小柄らしからぬダイナミックな投法じゃなかった? >>727
そう。
夏の予選無失点で甲子園出場。
初戦の鹿児島商工も完封。 ダイナミックなフォームなら能代の高松が一番記憶に残っているな。
簑島戦の立ち上がりだけ失敗した。 >>732
ビデオが見たいよ、左腕の高松
ジャイアンツ風のユニが懐かしいよ プロには行かなかったが甲子園で活躍したのは投手
丸山 プロには行かなかったが甲子園で活躍した選手
投手
丸山(興国),田村(磐城),佃(広島商),村上(新居浜商),坂本(東邦),井口(京都商),森(高知商),
打者
楠原(広島商),明神(高知商),阿久沢(桐生),近沢(中京),藤井(宇部商) あたりかな。 >>735
井口は社会人トヨタ自動車のエースで活躍
丸山は早稲田大でリーグ戦優勝投手
楠原は法政大で1年秋からレギュラー、社会人でも活躍
逆に次のステージでは不遇だった選手も多い
阿久沢は自ら華やかな場から退場した感じだが なかでも京都商、井口の準決勝、鎮西戦で見せたピッチングは物凄かったわな。早い投球モーションから落差のあるカーブを低めに落として、バッタバッタと三振を奪っていた。決勝でも金村の報徳学園よりも京都商、応援していたが残業だった。 >>738
丸山は一度もリーグ優勝していない。
早稲田は丸山在学の69年春から72年秋の8シーズン優勝なしの暗黒時代だった。
甲子園での名選手として、広島商の金光、土佐の玉川も挙げたいな。 井口の時の京都商業は、外野手は在日。韓、鄭、金原。対する報徳は金村。何処の国の野球だ? >>735
その中でプロに指名されたであろう本物は阿久沢だな。
あれだけの大型打者がプロ入りしなかったのは、
あまりにももったいなかった。
後は桐蔭学園の志村とか また二回戦の井口の京都商と渡辺久信の前橋工の対戦も見応えがあったな。試合は予想外の展開になり、打撃戦になったが最後は京都商が5サヨナラ勝ちした。渡辺久信はまだ1年で以後も期待されたが甲子園はこの1回だけだった。 東門が青春に映っているのか・・
太田幸司は映ってそうだが
あの時ロイヤルボックスはバックネット裏じゃなく
一塁内野スタンドに作ったんだよな
まるでファールボールにご注意くださいだな 今年は第100回記念、明治150年記念だが・・
皇太子ご夫妻を招いたり、映画作ったりしないのかね? TVの特番や皇太子の開幕戦の始球式はあるかもしれんねぇ >>748
映画「青春」は、甲子園大会のみにフィーチャーしたものではなく、大会に向かう過程からスポットを当てている。
当時の中京、平安等の名門校の練習から、北国の無名校の工夫した練習など。
甲子園大会では、特に興南の奮闘ぶりと興国の活躍かな。
もしも映画を作るなら、今のタッチの「青春」を見てみたい。 >>731
まるで87年一関商工のエース渡辺みたいだな。彼も岩手予選全試合無失点、甲子園一回戦 宇和島東を完封
しかし70年代の鹿児島勢て定岡の鹿実以外は弱かったんだな >>751
予選無失点・甲子園初戦完封なら、72年の工藤(苫小牧工)や81年の宮田(浜松西)も 77年三浦(福島商)、78年大久保(仙台育英)もそうだね。
いまはチームとしても予選全試合完封って見られないな。 苫小牧工の工藤は初戦の相手が宮古水産だったからねえ。
次の津久見には大量失点で敗れた。 苫小牧工の工藤は春夏連続出場。夏の予選決勝では函館有斗の佐藤義則(日大〜阪急、オリックス)に投げ勝った。
法政に進んだが、江川が二学年下にいたから出番はなかったな。その年の夏に出た秋田市立の船木も法政で江川の陰に隠れてしまったが、船木は最後のシーズンで少し活躍したな。 >>751
定岡の鹿実も、甲子園ではくじ運に恵まれ上位進出。
大会前は、全くのノーマーク。
その年の鹿児島大会の優勝候補は、センバツで優勝校・報徳学園に惜敗したエース堂園の鹿商。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています