50歳以上のおっさんが高校野球を語る
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>>576
当然、ロースコア。
願わくば、打線にもう少し力が有ったら、十分優勝戦線に食い込めたんじゃないかな。 >>573
三試合で失点1とか、やっぱりいい投手やったんやな。
印象では長谷川のリード振りが広商らしい記憶があったわ。
とにかくキビキビして気持ち良かった。 >>572
住吉は早くから「江川2世」と呼ばれ期待されていたが、コントロールが悪くエースになったのは2年生秋。
夏には見違えるほどコントロールも良くなり、決め球・パームボールも精度を増した。
残念なのは打線で、70〜80年代では一番弱かったw そういえば、75年の広陵との定期戦の時、当時1年生の住吉が新人戦で投げていたなぁ >>579
一年生の永田がレギュラーだった。打順は八番だったかな。
あの年は小技の精度もいま一つだった印象がある。 >>581
永田は6番ライト。
あのチームは、広商らしくないプレーも散見された。センターが何でもないフライを落球したり.... 広商は、77年夏のチームは「投高打低」、79年夏は「投低打高」。
戦力のバランスは難しい問題だが、甲子園とは縁がなかった80年のチームがバランス良く、個人的には好きだった。 広商はもう随分と甲子園にご無沙汰ですが、まだ復活には時間かかりそうですかね?
広陵他の私立に押されて、復活の目は無さそうでしょうか?
同じく松山商、高知商、徳島商など四国四商。 >>583
その翌年、81年夏のチームは予選でも苦戦して甲子園に出てきた覚えがある。
で、甲子園では当時弱小県だった新潟の新発田農に延長の末に負けたね。
やっぱり弱かった。 >>583
下手投げの西川?
この年だけは広陵が息を吹き返して夏の決勝で3-5で負けたのかな。
定期戦では1-11と大敗したと思う。 >>584
若松新監督が強化に取り組んでいるから、面白いことになるかもしれない!
昨夏も、準決勝で広陵に0−1で惜敗。有望選手も集まってきている。
>>585>>586
80年のチームは、79秋の県大会2回戦で、広陵に大逆転負けしてセンバツを逃したのが痛い。
あの試合がすんなり終わっていたら、センバツの準決勝で高知商と対戦したのは広商だったかも....
渡辺−原のバッテリーの広陵とは実力は互角。西川、川崎は法政大学、社会人野球でも活躍した。 80年の広陵・渡辺投手は青年の主張に出てなかったか? 俺は「精密機械」のような隙のない強い広商よりも、どこか詰めの甘い広商の方が愛着がある。
新発田農に負けたチームも、結果だけで叩かれるけど、いいチームだった。
それにしても、56広商のエース・森は何で卒業後軟式に転向してしまったのだろう。プロのスカウトも注目していたのに。
82年、広商・広陵定期戦がテレビ中継された時に、OBの森が惚れ惚れするようなボールを投げ、解説者が驚いていたのを覚えているな。 怪物江川を攻略した作新戦やサヨナラ3バントスクイズの静岡戦、80年代の中京、興南、津久見戦など、広商野球の神髄を発揮した試合も多いが、なぜか広商らしからぬつたない試合運びだったゲームも目立つな。
74年春の大分商戦、75年夏の習志野戦、81年夏の新発田農戦、83年春の横浜商戦、92年春の天理戦、94年春の宇和島東戦、02年春の鳴門工戦などは「これがあの広商か」とがっかりしたな。 新発田農戦は9回にスクイズを連続ですれば勝てたましたな。 広島商は82年夏、決勝で池田にボコボコにされて打つ方に力入れてたはずなのに、
84年夏は初戦で金足農に3−6で、普通に打ち負けてたね。
まあ金足農もベスト4まで進出したから地力はあったチームだったが。 >>593
84年夏の広商は、よく代表になれたなぁw
頼れるエース不在の中で、背番号3の西川弟が兄貴を真似て「なんちゃってアンダースロー」w >>594
「今年の夏の代表は、広商以外ならどこでもいい」と願っていたら、やっぱり…(笑) 50歳以上のおっさんが広島県の高校野球を語るスレになりました >>594
84年というと、選抜でも広陵が法政二にボコボコにされてたね。
あの年の広島はドングリの背比べ状態だったということですか。
ところで意外に知られてないが、広島県高野連は全国で唯一「試合でベンチ入り出来る県外中学出身者は
5人まででなければならない」と、具体的な数字を挙げて野球留学生を規制してた。
ところがこの規制、いつの間にか無くなっちゃって残念。
何で無くなっちゃったんだろうか? 学費の全額無償化&部活指導者の外部委託化が行われれば、
かつての地方名門公立校が復権するのではないでしょうかね >>597
個人的には、春の県大会優勝の崇徳か、センバツで優勝校・岩倉に善戦した近大福山が希望。
規制の件は、広商・畠山先生が決めたことで、亡くなった今では… >>599
あの年はどのチームも投低打高で、本格派投手は近大福山の2年生・岡田展和(元横浜)ぐらい >>575
その前年秋に広商を破った岡山南も好チームでした。
レギュラーの半分以上が眼鏡を掛けているという珍しいチーム。 >>601
上原と小倉の眼鏡バッテリーは珍しいんじゃないか >>601
その年の中国大会は「前年と比べてスケールダウン」と言う理由で、出場枠は−1。
そうそう、崇徳のような力の有るチームは出てこないのに..... 中国の枠、74年の「5」から75年は「3」に一挙に減らされている。
レベル的には、両年、変わらないのに。 >>605
76年 崇徳 岡山東商(防御率0,25の原) 宇部工(練習試合含め1敗のみ)
大社 3校がサンデー毎日の評価90点以上
77年 岡山南 瀬戸内 米子東 90点以上なし
普通に全体のレベルもスケールダウンだが ていうか、73年、74年の5枠はいくらなんでも多すぎだろう。
両年とも東北は1枠なのに。 広陵が夏の全国優勝がないのは高校野球七不思議の一つ。
そりゃそうだが、金本がどっかで言ってたが、広商関係者にそれを言われると、カチンとくるそうだ。 >>610
>広陵が夏の全国優勝がないのは高校野球七不思議の一つ。
広陵よりも東邦の方が不思議なんじゃないか >>610
昔は、広商生と広陵生が表立って親しくする事は厳禁だった。
今は、どんな空気感?! >>611
広陵は夏4回準優勝。
対して東邦は夏の準優勝は77年の1回だけ。
やはり広陵のほうが不思議だろう。 広陵は中等野球の草創期からの伝統校だから、東邦より活躍してる期間はだいぶ長い、つうか中京よりちょっと長いか。
ま、両校とも優勝してて可笑しく無いよな。 というか、激闘&栄光、のサイトの掲示板は去年の4月から止まってんのかな?
たまに覗いてたけど、久しぶりに見たら工事中になってた。
ちょっと気になる…。 >>603
昔は「眼鏡をかけた捕手はダメだ」と言われていた。ヤクルトの古田の出現で迷信となったが、高性能の眼鏡がなかった昔は眼鏡の捕手は大変だったと思う。
眼鏡の捕手というと、同じ77年の東邦の大矢かな。
投手は、戦前の嶋清一(海草中)はともかく、新浦(静岡商)、奥田(大鉄)、有田(北陽)、野口(米子東)、三谷(今治西)、宮田(浜松西)あたりが思い浮かぶ。 >>589
あのフォームは今見てもものすごい二段モーションじゃないですか? >>588
これから、君の投球フォームは禁止します。と審判から告げられた時私は涙が留まりませんでした。という話だったと思う。自分より一学年上。めちゃくちゃ親近感が湧いた。苦労して考えて編み出した技術やのに。他人事と思えなかった。 >>618
センバツでも広島大会でも、何の注意も受けなかったので「フォームはOK」だと思っていたのに、負けた途端に面と向かって「ごまかし」だの言われたら、ブチキレるしかないw 80年というと、巨人から阪神にトレードされた小林繁が全盛だった頃だよね。
サブマリンの途中で止まるようなモーションが悪いという認識は一般にも無かったよ。 >>618
もっと凄い二段モーションがあるぞ!
盈進の山口と言うw あの渡辺の二段モーションは選抜のときにも違反なのでは?という声が上がっていた。
前年の箕島の石井も二段モーションくさかったが、渡辺のは明らかに二段モーションだった。
なぜ地方大会の段階で二段モーションと注意しなかったのか。
そして選抜のあとにも注意しようとすればできたはずたが高野連はなぜしなかったのか。
地方ではOK、甲子園ではダメではなんとも不統一。
渡辺は最初弁論で語ろうとしたのは高野連のそうした対応の悪さについてだったそうだ。
しかし「高野連批判になるからその点は抑えて」と関係者から釘をさされ、この悔しさを糧にこれからも頑張るという内容にしたと大学時代にインタビューで話していた。 それは関係者が正しいと思う。
青年の主張は高野連への恨みつらみを述べる場ではないからなあ。 >>623
山口はヤバいぞ!
一旦、フォームが静止してるww
昔は、二段モーションの基準がユルユルだったのか… 山口で思い出したが、74年夏の広島決勝は盈進対竹原という予想外の顔合わせ。
前年全国制覇の広商が二戦目で呉港に0-1とまさかの敗戦。呉港は不祥事で前年は対外試合禁止になっていた。
竹原の投手はプロ入りした望月だった。 >>629
広商が敗退後、ガチガチの優勝候補に成り上がった崇徳も、竹原・望月の前にまさかの敗退。
「どちらが甲子園に行っても、恥をかくのが落ち」という状況になったw 二段モーションの話題で思い出した
レッズが来た日米野球の時、小林繁の投法を見て
レッズの選手名は忘れたが「彼の投法はインチキだ」みたいな発言したが
日本では「??」みたいな感じだった
小林繁が投げる時はえらくレッズのベンチが盛り上がってたのを覚えてる
今、思うと馬鹿にしたような笑いだったと想像つくなあ >>631
ちなみに、竹原・望月はプロ入り後、小林繁のフォームを参考に、ゴリゴリの二段モーションになった(笑) >>632
望月はプロ初勝利が二段モーションの師匠?小林の巨人戦だった。
ロッテにトレードされた年の日本ハム戦で三者連続デッドボール(史上初)を与えるという、ノーコンを如実に物語る記録を作った。 盈進の山口の卒業後の進路知ってる人いる?
その後が気になる。 >>634
広商の田所、浜中らと一緒に、法政大学に進学。
浜中は野球部に馴染めず、退部した。 眼鏡の捕手で思い出すのは、江川の作新学院に勝った銚子商業の主将木川捕手。
銚子商業を担当したプラカード嬢と結婚したとNumberの記事で読んだ。 >>630
当時の崇徳は凄かった。
主将の聖川は亜大の4番。中川は駒大で石毛(元西武)と二遊間コンビ。
1つ上の藤原、福井はドラフト指名。山口は駒大でオールジャパン。そして、主将の森本は人気番組「料理の鉄人」3代目「和の鉄人」w
そういえば、74年チームでは当時1年生の黒田が公式戦デビューを果たした。 >>637
もう1つ上の黒紙(亜大−東芝)は、都市対抗で橋戸賞。
この時期は広商全盛期だったけど、崇徳も是非とも甲子園に出てほしい高校でした。
ひょっとして、76年のチームより強かったかも?! 広島と言えば、長らく呉港の名を聞いてないな。
軍港がなくなって街が小さくなった影響で、戦後弱くなったのだろうが。
私学で強豪としてのブランドもあるのだから、強化できそうな気もするが。 崇徳は74年秋の神宮大会に出場したが、日大山形の金子にノーヒットノーランをくらって0-12で大敗している。山崎がスタメンで出ていた。
なので、その後の確変ぶりがすごいと思った。 >>639
広商OBの佐々木幸治さんが指導に当たり、復活を目指している。 あの勇姿を甲子園で観たいな、広商。
校歌も宮島さんもアルプスでしゃもじを叩いて歌いたい。 最早現在の高校生達は松山商業、広島商業って言う学校があることすら知らないのが実情、さみしい限りです >>635
山口が法大で試合に出ていたかは、わからないなぁ。
当時の法大の広島勢は、広商の金光、楠原、佃、谷をはじめ、国山(広陵)、福島(竹原)が試合に出ていた。 >>632
望月がプロ入りにした年、春の1軍のオープン戦で顔見せ興行的に1位の堂園(鹿児島商)とともに投げたな。
望月はある程度まとまりを見せたが、堂園のコントロールが……(苦笑) >>635
thx
山口はレベルの高い法政で出番はあったのかな? >>644
読んでなかった。ごめん。
山口のあの投法では大学野球では違和感があって
受け容れられなかったかもね。 >>647
大学では外野手。
もともと打撃は得意で、2年生の夏・準決勝で崇徳・藤原(元阪神)からホームランを打った。 >>645
74年ドラフト 広島
1位 堂園喜義(鹿児島商)
2位 望月卓也(竹原)
3位 高橋慶彦(城西) 広島といえば俺は尾道商業の校章のエンブレムのマークの入った帽子が格好良かったわ
。胸にONOSHO,またあのユニ姿が甲子園でみたい。 広陵といえば思い出すのはハンチン帽の宇根、佐伯のピッチング姿だよね
。ユニは平安と同じく純白であれはあれでよかったな。 >>651
「ハンチン」だけは残して欲しかった!
佐伯も入団した年の春のオープン戦で、2位の永本(盈進)と「顔見せ」があった。
残念ながら、5位の金城(此花商)は登場しなかったw >>652
スレチだが、佐伯、永本、金城は70年ドラフトの三羽烏だが、全員トレードされたな。
とくに佐伯は大々的に球団がPRしていただけにトレードされたときは意外に思ったものだ。通算成績も88勝100敗だったか、高校時代のウルトラぶりを考えるといま一つだった。
金城も自動車事故で回復したと思ったらトレードに出されたな。 広陵の宇根で思い出したが、
決勝はわずか2回目の出場の新鋭習志野に1-7で大敗。
千葉県勢に初優勝を献上している。
夏2連覇を狙った中京が習志野に敗退した時点で、
当時の人は広陵の優勝と思っただろうか?
習志野は準決勝で中京、決勝で広陵という伝統校を破り優勝。
多分、当時、ノーマークだったと思うが、アッと驚く優勝だったんだろうか。 習志野対中京は準決勝の第一試合。
第二試合は広陵対市和歌山商。
市和歌山商には選抜でノーヒットノーランを演じた左腕の野上(南海入り)がいて評判が高かった。
大会前の下馬評は報徳、大分商、市和歌山商、中京が4強で、広陵も実は評価は高くなかった。
なので準決勝は二試合とも意外な結果に終わったのではなかったか。習志野と広陵はどちらが勝ってもおかしくないという感じだったのでは?伝統がない分だけ習志野のほうが意外に感じられたと思うが。 >>651
佐伯については、富山商戦の1安打15奪三振のピッチングはよく覚えている。
「公務災害」の肩痛さえ発症しなければ、ずっと広島にいて北別府以上の勝ち星を挙げただろう。
宇根は、リアルタイムでは記憶にない。 >>656
67年の広陵には、正直、県民も期待してなかった。
山本和行(元阪神)擁する広商が、当然甲子園に行くもんだと思っていたし、おまけに、決勝戦で宇根が指に怪我をしてしまったし…。
したがって、甲子園ではあれよあれよのうちに勝ち進み、「もう決勝?!」って感じ。 >>659
67年の広陵は「広陵野球部史上最弱」と言われていたらしい。
仮に広商が出たら、前年と同じように優勝候補に挙げられた模様。
なお、宇根の指の手術は、感覚が鈍るのを嫌って麻酔を使わずにやった......(汗) >>658
富山商戦は毎回の15奪三振だったが、九回は三人とも3球三振だったはず。
富山商は初戦では高松商の大北に全員の16三振を奪われ、つづく佐伯には毎回の15三振。二試合で31の三振を喫した。 >>624
あの春の時の広陵って隠し玉を使ってアウトにしたの二試合あったよな
諫早戦9回のピンチはそれでしのいで勝った
これは見てたんだが、初戦の東海大四戦でもやってたらしいな
何かそれを批判するようなのを雑誌か新聞で読んだ覚えある
まあルールの範囲内だから問題ないが、高野連とか審判団はそういう批判に敏感だからね
多少は広陵によくないイメージもたれてたのかも 宇根はなんで近大に行ったの?
同じ関西圏に同志社、立命館があるし、
東京なら、明治、法政はもちろんだが、早稲田にも行けたと思うが・・。 >>657
習志野の市原監督は、試合後のインタビューで「中京は田舎野球」と発言してしまい、
大会終了後に、校長に速攻で監督を解任されたんだよな・・・。 宇根が進学した頃の近畿大は後のミスターロッテの有藤や藤原(元・南海)といった
強打者が揃っていたから選んだんでは同志社や立命館は当時は低迷していた。
東京へいかなかった理由はわからないが卒業後の就職も地元の電々中国だったぐらい
やから個人的(家庭の事情か)に東の方に行きたくなかったのかも・・・ >>661
富山商は大北から16三振もしてよく高松商に勝ったな。 宇根が3年生の時の広陵と、佐伯が3年生の時の広陵はともに甲子園でも優勝候補に挙げられていたが、内容的には全然違う。
特に、監督が変わった事も大きく、佐伯の代は攻守にちぐはぐ続き。援護ももらえず佐伯も可哀想だった。 >>667
今年のセンバツには、両校とも出場が有力。
再戦で今度は高松商に勝って貰いたい! >>667
高松商は渡辺一大北一渡辺一大北の継投だった。渡辺が一点を先制されたが、大北は富山商打線をノーヒットに抑えていた。
七回に追いついて延長戦。11回裏に高松が無死満塁とサヨナラのチャンスだったが、富山商の津田が絶体絶命のピンチを切り抜けた。
直後の12回表、四球のランナーが盗塁などで二死三塁となった後、稲葉(だったと思う)が三塁前に意表を突くセーフティバント。これが決まって内野安打となりまさかの決勝点となった。大北が許した唯一の安打、16三振を奪いながら敗戦投手となった。 >>671
高松商は、58回銚子商戦、60回仙台育英戦、61回茨城明野戦と延長で力尽くことがよくあったな。 >>659
山本和行曰く「私の高校時代の最大のライバルは、村田兆治(福山電波工)と大田垣耕造(尾道商)でした。」 宇根の甲子園ラストの試合は準々第四試合で遅いナイターになってしまい
そのせいか守備がボロボロで自滅
なんとも後味が悪い・・・・ 高松商かな、夏の延長でサヨナラデッドボールで負けた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています