50歳以上のおっさんが高校野球を語る
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
相可、諫早、築上中部、早鞆、大社、膳所あたりが
珍名に思えた。 >>519
東京農大二が昭和55年選抜に出場した時のNHKアナウンサーは群馬県高崎市にあることを強調していたね。 済美の魔法、高知高の世界の鐘が、桜美林のオベリンナ、東洋大姫路は書写を仰げば、エエなと思った校歌。 >>523
自分は
広島商業の あー広商の我が友よ
箕島の 我等男の子の凜列の意気 凜列の意い気
習志野 君知るや ここ津田沼の花かおる丘に
これが良かった。 皆んな知ってると思われるけど、夏の大会は第〇〇回の〇〇はその大会に出る選手の3年生の生まれ年になる。
例えば第63回夏の大会だと、63年生まれ(早生まれは残念)が3年生。
春はそこからマイナス10。
今年は100回だから、2000年生まれが3年生の大会。 >>507
三重で多いのは伊藤、水谷、服部ぐらいやで 青森、三沢高校の小比類巻くん、八重沢くん
高知、高知商業の明神くん、森田くん
が印象深い。 校歌は銚子商業の印象が凄い(作詞作曲もなにやら凄い人のものらしいね)
ついで、嗚呼麗しき厳島♪の広島商業
もう甲子園では聞けないPLの永遠の学園♪かな。
70年代で聞けなかった?松山商業の校歌に印象が無いのが残念だわ。 盛岡一の校歌軍艦マーチや
上宮のお経っぽいのも印象深いな 崇徳の校歌が素晴らしい。
特に優勝したセンバツでは、勝利校の校歌で名門・崇徳グリークラブの歌声が毎回響いた。
夏はグリークラブヴver.じゃなく、ちょっと残念だった。 校歌は短ければ短いほど良い
校名が入っていない校歌が上品
明治の文人が言ったらしい
自分の母校の校歌もそれに該当するので、ちょっと誇らしい >>530
動画で見たけどコスチュームといいフラッグワークもいいな盛岡一高の。 >>531
崇徳グリークラブのハーモニーが秀逸!!
>>532
銚子商の校歌、せっかく勝ったのに呆気なさ過ぎて「校歌、もう終わり?!」 崇徳は夏より春、中村は昨年より40年前のがよかったですね >>532
法然上人が詠んだ短歌が、そのまま校歌になってる上宮、上宮太子が格調高くていいね。
♪ 月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ澄む ♪ 尾道商業も良かったな。
野球好きで有名な詩人・作家のサトウハチローさんが作詞で、全編「〜あり」で構成されている。
作曲は、「スター誕生」の辛口審査員(?!)、松田トシさん。 習志野が新居浜商にサヨナラ勝ちして全国制覇した時の校歌斉唱には号泣するナインと大観衆の手拍子も重なり本当にジーンと来たわ。別に地元の人間ではなかったが、君知るや︵ここ津田沼の花薫る丘に︶ は完全に覚えてしまったわ。 >>541
「リンゴの歌」のサトウハチローかぁ。
校歌の中に、「闘魂ありて勝利あり」のフレーズが出て来るあたりは、高校野球が大好きな先生らしい。 広島商業の応援歌
♪宮島さんの神主がおみくじひいて申すにはいつも広商は勝ち勝ち勝っち勝っち
いいねえ(笑)
つうか銚子商業の校歌、、、ちょっとググったら
作歌:相馬御風 作曲:東儀鉄笛
こんな凄いコンビが作ったんやからやっぱり凄いわ。
どんなコネクションが有ったのか気になる(笑) >>531
自分が高校入学時のセンバツ大会でした。
中学までは野球部だったのですが、崇徳グリークラブのハーモニーに感動し、高校からは合唱に転向、アラ還の今まで続けるきっかけになりました。 崇徳も、あれから41年間甲子園で勝利がない。
出来れば、センバツでグリークラブの校歌を聴きたい。 崇徳も、あのときの決勝の相手だった小山もあの年以来甲子園で勝っていない。
小山に至っては甲子園で勝ったのはあの年の春夏だけなんだよな。 >>544
自レスだが、広商の宮島さんが始まる時の掛け声のレディーゴー!がなんともミスマッチでユニークやねんなあ。
あれが出囃しの三味線とかもいいかも。 崇徳ほど、県大会の決勝、ベスト4で敗れている高校もない。
勝ち運がないと言うか… 勝ち上がるに連れて校歌覚えますね。自分は香川ですが、小6の時新居浜商業が準優勝した。 我ら新居浜商業高校、ここに集えり のフレーズは覚えますね。 村上もイケメンだったね
大学では肩肘を痛めて外野手に転向したけど
控え投手の片岡が大学で覚醒してプロ入りしたけど >>551
まさに奇跡の逆転だな。
個人的に、一番信じられない逆転は90年夏の山陽−葛生戦。 新居浜商も前年の渡邊(高校時代の西本のライバル)のいたチームの方」が強いと思って
いたがまさか準優勝するとはvs上尾はほんといい試合やったw >>544
「宮島さん」に関しては、広商と広陵どっちが「元祖」か、今となっては証明出来ない(ちなみに、広陵は戦後すぐには歌ってたらしい)。
「2番の歌詞が存在するから広陵が元祖」との説もあるが、昔は広商も歌ってたような気が.....?!
2番の歌詞は、♪もしも広陵(広商)負けたなら、電信柱に花が咲き、絵に書いたダルマさんがゴ〜ロゴ〜ロゴ〜ロゴロ その唄はわが県にも伝わてって(というか甲子園でよく聴くますね)
「御山の森の神主がみくじを引いて申すにはきょうの試合は〇〇が勝ぁつ勝つ」 >>557
私も、広陵が元祖と聞いた覚えがあるな。
しかし、今の広陵の「宮島さん」は、こっちが元祖なのに明らかにカープの応援に寄せているから嫌い。
その点、広島商の応援は昔ながらの「宮島さん」で好感が持てるな。 >>599
2番の「バンザイ!バンザイ!」(笑)
校訓の「質実剛健」そのままの硬派な応援が売り物だったけど、今は仕様がないなぁ。 佃世代の大活躍の余韻か、山村の時の広商側のアルプスの盛り上がりは異常だった(笑)。
チアガールの人数が半端じゃなかった(他校の三倍ぐらい居た記憶)。
配られたしゃもじが割れるまで叩いた小学生時代、マジで楽しかったわ。
対して柳川、報徳らの男子校?の迫力の応援団も良かった。
動画だけど盛岡一高も最高やね。 広島商業のチェアガール
とベーマガ社発行の「甲子園讃歌」に写真入りで紹介されていた。
当時はチアガールという言葉も知られて無かったのかな。 >>561
その年の広商−広陵定期戦を、広商グランドに見に行ったな。
賑やかな広商の応援に対して、広陵の寂しいこと....。広陵が「氷河期」真っ只中だった。
試合前、広陵の選手が広商の選手に因縁つけていたwことと、広商・山村がチームメイトの出雲と「昨日、カープ初優勝で酒飲んだか?」と言う禁断の会話wをしていたのが印象に残っている。 >>563
この年の広陵は、光井(元近鉄)、河井(元電電中国)、山広(元広鉄局)とある程度タレント揃いだけど、76年はまさにどん底。
広陵が、県内でも「優勝候補」に上がらない、初めての年。 >>563
広商vs広陵の定期戦、、、豪華カードやなあ。
全国に名を轟かす両校の対戦を県内で見られるとか贅沢過ぎる。羨ましい。
つうか甲子園で観たいと思わせる黄金カードやな。 >>563
カープ初優勝の翌日となると昭和50年10月16日だな。
いまや広商が氷河期真っ只中だな。ため息。 >>566
例年は広島市民球場で行っていたが、あの年はカープの初優勝がかかっていたから、広商グランドでの開催となった。
OB戦も豪華メンバーで良かったが、現役の生徒同士はライバル意識過剰で、お世辞にもフレンドリーとは言えない関係性だったw >>568
その当時の現役生に、「宮島さんの元祖は、広商?広陵?」と聞いたら、大喧嘩になるかもw >>494
ジョニー黒木もイケメンで延岡学園で
勝ち進んでたらみんなの記憶に残って
ただろう。 そういや昔、謙信、信長って苗字の選手が甲子園出てたな〜 住吉、長谷川の時はどうやったんやろ?ベスト4だっけか。
その時は自分が高校生やったから観に行けんかった。
佐賀商業に勝ったのは朧げに覚えてるけど、、、。
住吉は手塚治虫のビッグXが巨大化した時みたいな人やと思ったわ。 >>572
投球フォームが時の左手の動きが独特だった。広商のピッチャーとしては珍しく力感あふれたタイプだった。
佐賀商、高崎商を連続完封、三回戦の豊見城も無得点に抑えていたが味方打線も下地に抑えられて延長11回、金城に本塁打を打たれて甲子園唯一の失点で敗戦投手となってしまった。 俺は関東の人間だけど佃、金光の広商見てから高校野球にはまった。江川の作新に勝った試合と
夏決勝のサヨナラスリーバントスクイズちは今も脳裏に焼き付いている。 >>572
優勝した東洋大姫路の梅谷監督が、大会前に「一番マークするチームは?」という問いに「広島商」と答えていた。 >>575
もし広商が豊見城に勝ってたら次の準々決勝で東洋と当たってたんだよね。
どんな試合になってたんだろ?1ー0とかロースコアの接戦になってた気がする。 >>576
当然、ロースコア。
願わくば、打線にもう少し力が有ったら、十分優勝戦線に食い込めたんじゃないかな。 >>573
三試合で失点1とか、やっぱりいい投手やったんやな。
印象では長谷川のリード振りが広商らしい記憶があったわ。
とにかくキビキビして気持ち良かった。 >>572
住吉は早くから「江川2世」と呼ばれ期待されていたが、コントロールが悪くエースになったのは2年生秋。
夏には見違えるほどコントロールも良くなり、決め球・パームボールも精度を増した。
残念なのは打線で、70〜80年代では一番弱かったw そういえば、75年の広陵との定期戦の時、当時1年生の住吉が新人戦で投げていたなぁ >>579
一年生の永田がレギュラーだった。打順は八番だったかな。
あの年は小技の精度もいま一つだった印象がある。 >>581
永田は6番ライト。
あのチームは、広商らしくないプレーも散見された。センターが何でもないフライを落球したり.... 広商は、77年夏のチームは「投高打低」、79年夏は「投低打高」。
戦力のバランスは難しい問題だが、甲子園とは縁がなかった80年のチームがバランス良く、個人的には好きだった。 広商はもう随分と甲子園にご無沙汰ですが、まだ復活には時間かかりそうですかね?
広陵他の私立に押されて、復活の目は無さそうでしょうか?
同じく松山商、高知商、徳島商など四国四商。 >>583
その翌年、81年夏のチームは予選でも苦戦して甲子園に出てきた覚えがある。
で、甲子園では当時弱小県だった新潟の新発田農に延長の末に負けたね。
やっぱり弱かった。 >>583
下手投げの西川?
この年だけは広陵が息を吹き返して夏の決勝で3-5で負けたのかな。
定期戦では1-11と大敗したと思う。 >>584
若松新監督が強化に取り組んでいるから、面白いことになるかもしれない!
昨夏も、準決勝で広陵に0−1で惜敗。有望選手も集まってきている。
>>585>>586
80年のチームは、79秋の県大会2回戦で、広陵に大逆転負けしてセンバツを逃したのが痛い。
あの試合がすんなり終わっていたら、センバツの準決勝で高知商と対戦したのは広商だったかも....
渡辺−原のバッテリーの広陵とは実力は互角。西川、川崎は法政大学、社会人野球でも活躍した。 80年の広陵・渡辺投手は青年の主張に出てなかったか? 俺は「精密機械」のような隙のない強い広商よりも、どこか詰めの甘い広商の方が愛着がある。
新発田農に負けたチームも、結果だけで叩かれるけど、いいチームだった。
それにしても、56広商のエース・森は何で卒業後軟式に転向してしまったのだろう。プロのスカウトも注目していたのに。
82年、広商・広陵定期戦がテレビ中継された時に、OBの森が惚れ惚れするようなボールを投げ、解説者が驚いていたのを覚えているな。 怪物江川を攻略した作新戦やサヨナラ3バントスクイズの静岡戦、80年代の中京、興南、津久見戦など、広商野球の神髄を発揮した試合も多いが、なぜか広商らしからぬつたない試合運びだったゲームも目立つな。
74年春の大分商戦、75年夏の習志野戦、81年夏の新発田農戦、83年春の横浜商戦、92年春の天理戦、94年春の宇和島東戦、02年春の鳴門工戦などは「これがあの広商か」とがっかりしたな。 新発田農戦は9回にスクイズを連続ですれば勝てたましたな。 広島商は82年夏、決勝で池田にボコボコにされて打つ方に力入れてたはずなのに、
84年夏は初戦で金足農に3−6で、普通に打ち負けてたね。
まあ金足農もベスト4まで進出したから地力はあったチームだったが。 >>593
84年夏の広商は、よく代表になれたなぁw
頼れるエース不在の中で、背番号3の西川弟が兄貴を真似て「なんちゃってアンダースロー」w >>594
「今年の夏の代表は、広商以外ならどこでもいい」と願っていたら、やっぱり…(笑) 50歳以上のおっさんが広島県の高校野球を語るスレになりました >>594
84年というと、選抜でも広陵が法政二にボコボコにされてたね。
あの年の広島はドングリの背比べ状態だったということですか。
ところで意外に知られてないが、広島県高野連は全国で唯一「試合でベンチ入り出来る県外中学出身者は
5人まででなければならない」と、具体的な数字を挙げて野球留学生を規制してた。
ところがこの規制、いつの間にか無くなっちゃって残念。
何で無くなっちゃったんだろうか? 学費の全額無償化&部活指導者の外部委託化が行われれば、
かつての地方名門公立校が復権するのではないでしょうかね >>597
個人的には、春の県大会優勝の崇徳か、センバツで優勝校・岩倉に善戦した近大福山が希望。
規制の件は、広商・畠山先生が決めたことで、亡くなった今では… >>599
あの年はどのチームも投低打高で、本格派投手は近大福山の2年生・岡田展和(元横浜)ぐらい >>575
その前年秋に広商を破った岡山南も好チームでした。
レギュラーの半分以上が眼鏡を掛けているという珍しいチーム。 >>601
上原と小倉の眼鏡バッテリーは珍しいんじゃないか >>601
その年の中国大会は「前年と比べてスケールダウン」と言う理由で、出場枠は−1。
そうそう、崇徳のような力の有るチームは出てこないのに..... 中国の枠、74年の「5」から75年は「3」に一挙に減らされている。
レベル的には、両年、変わらないのに。 >>605
76年 崇徳 岡山東商(防御率0,25の原) 宇部工(練習試合含め1敗のみ)
大社 3校がサンデー毎日の評価90点以上
77年 岡山南 瀬戸内 米子東 90点以上なし
普通に全体のレベルもスケールダウンだが ていうか、73年、74年の5枠はいくらなんでも多すぎだろう。
両年とも東北は1枠なのに。 広陵が夏の全国優勝がないのは高校野球七不思議の一つ。
そりゃそうだが、金本がどっかで言ってたが、広商関係者にそれを言われると、カチンとくるそうだ。 >>610
>広陵が夏の全国優勝がないのは高校野球七不思議の一つ。
広陵よりも東邦の方が不思議なんじゃないか >>610
昔は、広商生と広陵生が表立って親しくする事は厳禁だった。
今は、どんな空気感?! >>611
広陵は夏4回準優勝。
対して東邦は夏の準優勝は77年の1回だけ。
やはり広陵のほうが不思議だろう。 広陵は中等野球の草創期からの伝統校だから、東邦より活躍してる期間はだいぶ長い、つうか中京よりちょっと長いか。
ま、両校とも優勝してて可笑しく無いよな。 というか、激闘&栄光、のサイトの掲示板は去年の4月から止まってんのかな?
たまに覗いてたけど、久しぶりに見たら工事中になってた。
ちょっと気になる…。 >>603
昔は「眼鏡をかけた捕手はダメだ」と言われていた。ヤクルトの古田の出現で迷信となったが、高性能の眼鏡がなかった昔は眼鏡の捕手は大変だったと思う。
眼鏡の捕手というと、同じ77年の東邦の大矢かな。
投手は、戦前の嶋清一(海草中)はともかく、新浦(静岡商)、奥田(大鉄)、有田(北陽)、野口(米子東)、三谷(今治西)、宮田(浜松西)あたりが思い浮かぶ。 >>589
あのフォームは今見てもものすごい二段モーションじゃないですか? >>588
これから、君の投球フォームは禁止します。と審判から告げられた時私は涙が留まりませんでした。という話だったと思う。自分より一学年上。めちゃくちゃ親近感が湧いた。苦労して考えて編み出した技術やのに。他人事と思えなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています