50歳以上のおっさんが高校野球を語る
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>>26
最近まで東海大相模の部長だった田倉氏だね
大阪の舞洲で毎年やってる大阪桐蔭との練習試合見に行ったことあるんだけど、田倉部長、審判に怒鳴り散らしてたよ
選手殴って出場辞退したこと何も懲りてないんじゃないかと思ったな 298や299が勘違いしているようだ。
箱根のドータラ駅伝が関東の大学しか出場できないように、
選抜はそもそもが瀬戸内や関西プラス名古屋圏の学校の大会。
化外の学校が参加できるだけでも有り難く思え。
場合によっては、下品な九州や東北の学校は招待しなくてよい。 >>310
78年夏の岡山東商って話題にならない?
当時の岡山東商はどういうわけか開幕戦を引き当てることが多く、早々と散っていったが
78年夏のチームは違った。
アンダーハンド藪井は制球力が抜群に良かったし、武乗、綾野、石岡のクリーンアップは
強力で、2回戦でセンバツ準優勝の福井商に逆転サヨナラ勝ちした試合は鳥肌ものだった。
準々決勝の豊見城戦でも終盤に劣勢を一気に追いついたし。
確か福井商相手に逆転サヨナラスリーベースの石岡って木製バットだったような気が。 >>310
岡山は平松の岡山東商が選抜優勝してるけど、やっぱ県民としては夏の優勝が欲しいのかな。
吉田、ライトの2枚看板だった71年の岡山東商は確かに惜しかったな。桐蔭学園の大塚から得点したのもここだけだったよね。 68年倉敷工業、69年玉島商業、71年岡山東商業と四年間で三回もベスト4。68年は春も倉敷工業がベスト4と岡山はまさに黄金時代。
それが73年春から岡山東商業が一点差で負けてばかり(78年春までなんと8試合連続一点差試合、その間1勝7敗)、倉敷工業も小沢監督が引退して陰りが見えかけた中での78年夏のベスト4には驚いた。しかしそれが最後の輝きとなろうとは。 >>306
宮城はダルビッシュ在籍時の東北が優勝に最も近かった感もあるな。
仙台育英野球部が募集停止したことで好選手が集中してたし、04年選抜はもしダルが万全なら…と思わせてしまうような結果だった。
他には09年選抜の花巻東、ベスト4止まりだったが87、90年選抜の東海大甲府を加えても良いかも。 桐蔭学園の大塚が、最も苦しかった試合は岡山東商戦だと言ってたね。
NHKの甲子園録音集の中で。 岡山は、平松・松岡・森安が同学年、一つ上に星野。
岡山東商が優勝したのもうなづける。 >>316
東海大甲府は85年夏のチームも力強かったな。
準決勝で当時新記録の、1大会4ホーマー目を藤井に喰らって宇部商に負けたけど、
その前の準々決勝、関東一戦9回表の大逆転は印象に残る。 >>313
岡山東は78年より71年のほうが強かった印象なのでね
78年はミラクルな逆転勝ちの好チームだが 75年夏の開幕戦で日南に負けた試合はガッカリだったな。優勝候補とも言われてたのに >>322
75年の日南っていうと、あの機動力野球の広島商相手に1試合で二度もライトゴロを完成させた
強肩強打の超高校級外野手がいたね。 >>313
78年の岡山東知ってるなら遊撃で1番打ってた山口?だったか覚えてる?
甲子園では不調だったけど、あの年の岡山東を引っ張ってたのは間違いなく彼だったよ。
南陽工業の中堅手の田崎?田坂?と二人、あの俊足好打は特筆ものだったんだよなあ。 >>324
山口は二塁、山口橋本の二遊間は鉄壁だった
南陽工のトップバッター田坂はセンバツ福井商戦でポテンヒットで二塁まで行ったな
確かあの回の南陽工は4連打しながら牽制球で一塁ランナーが刺され1点どまりだった >>321
71岡山東商は、ショート岡義明の守備が際立っていた。
しかし、本来1番の岡が、3番を打たざるをえない打線は厳しい。 恒例の座談会で岡山勢が優勝候補と言われたのは、75年の岡山東商のみ。
ほかに、68年の準々決勝の組み合わせ抽選後、倉敷工−広陵が事実上の決勝と言われ
勝った倉敷工が一番優勝に近いと思われた。
これ以外に「候補」と期待されたことはないのでは? 78年は、当初は岡山東商より、本格派・植田の岡山南の方が期待が大きかった。
秋の県大会でも優勝は岡山南で、岡山東商は投・打ともやや非力の評価だったが、中国大会ではくじ運にも恵まれて、順調に勝ち進んだ。 岡山南は76年くらいから力を付けていたが、夏の初優勝は川相投手まで待つことになるんだな 岡山南といえば、坊西を中心として、東邦や上宮など強豪を連破して4強入りした86年春の活躍が思い出されるな。準決勝でも池田から先制したし。
同年夏はその岡山南を大差で下した伝統校の倉敷工が久々に登場、どんな戦いを見せるかと思ったら、まさか初戦で秋田代表にぼろ負けするとは… >>327
75センバツで倉敷工も優勝候補の一校。
しかし、秋の中国大会決勝で広島工に負けていたから、記者もトーンダウン。
ちなみに、75春の県大会、中国大会の決勝で岡山東商を連破していたから、本命・倉敷工が順当に夏代表になったら、当然優勝候補になった。 岡山南の加百や坊西のいた世代はいいチームだったね
Youtubeにあげてる人いるよね
その前年の夏、甲子園で初戦大敗した経験があの活躍につながったんだろうけど >>332
75年の岡山東商は、大事なところでやっちゃったイメージw
そして、最後の夏は掴み取ったけど、また甲子園開幕戦でやっちゃったwww 岡山南は甲子園初出場だった77年春にいきなりベスト4進出。
しかし24の瞳の中村の影にすっかり隠れてしまった。 75年の東商の寺田はのちの俳優・美木良介
ずっと昔だが八名信夫も東商 78年の中四国で岡山東の山口(セカンドだったか…記憶違い)、南陽工業の田坂、高松商業の工と中山、南宇和のキャプテン(名前忘れ)もいい選手だったな。
南宇和のキャプテンは田舎っぺ丸出しだったがなかなかの好素材だった。
淡路島の洲本の左腕柳川?は、練習試合で二年生の時に星陵小松に投げ勝ったらしいが、小柄ながら伸びのある球投げてたわ。 86年春の岡山南は、本来センバツは絶望視されていたが…
中国大会未勝利にも関わらず、1勝した多々良学園を退けて滑り込みセーフ!w >>332
その中国大会で兼光が広島商を手も足も出ない感じで完封、広島工に負けたのは兼光を温存したから
兼光投手と大型打線で、大会前に控えめな小沢監督が「去年(のセンバツ8強のチーム)は今年の準備でした」と強気発言をしていた 78年、仙台育英の佐藤だかは後年TVドラマの王貞治物語とかで王貞治の若い頃を演じてたな。 >>339
決勝では、2Pの塚岡がこの上ない好投をしたが、打線が8安打1点の酷い拙攻w
広島工の小林誠二も、連投の疲れでヘロヘロw 75倉敷工打線は強力だった半面、脆さもあった
岡山東商寒川には秋と夏の県決勝で完封され、東海大相模村中にも完封負け
左投手に弱かった 岡山東商は、土居、寒川、原邦と3代好投手が続いたが、個人的には原邦が好み。
松下電器に進んでからの伸びがえげつないw 原邦だけプロ行ってないよね
てか、原邦というとバックネットのアシストで弘前工に勝った人では? そうですね。
ワイルドピッチがバックネット下のコンクリートの部分に当たり、
強く跳ね返ったボールで3塁走者が本塁でタッチアウト。
このようなプレーは、当時、1つの大会で1、2回見られたが、
阪神・佐野がフェンスに激突して頭部陥没骨折の重症を負う事故が起きて
フェンス等にラバーが付けられてからは見られなくなった。 75年と76年では、岡山県内の高校野球のレベルが全然違う。
岡山東商の原邦彦も、レギュラー総入れ替え後のエースで、味方が打てなくて苦しんだけど、ライバルの倉敷工がそれ以上の戦力ダウンで、結局、岡山県内では公式戦負けなし。
そして、秋・春とも中国大会決勝で、原邦が好投するも崇徳に完封負けする、お約束のパターンw 小沢さんは、一時期、NHKの甲子園中継の解説をしていたね。 >>343
松下電器は、原邦彦(岡山東商)―大本二郎(倉敷工)の、1歳違いの黄金バッテリーが看板!!
大本は、監督もやってたな。 >>344
これも選抜開幕戦だったな。原邦と弘前工 大湯の投げ合いだった。 倉敷工、松下電器というと水本勝己がある意味すごい
カープでは一軍の試合出場のないブルペン捕手から二軍監督に登りつめた 岡山は何で岡山商業でなくて岡山東商業で東が付くんだ
普通広島商業とか高松商業なのに >>317
優勝後のインタビューを聞いていたが、最も苦戦したのは
鹿児島玉龍戦と言っていた・・バント攻めで苦しんだ。
もっと印象的だったのが、大塚投手が淡々としていたところかな。
因みに社会人選手権の決勝戦の相手も田村投手(別人)。 >>355
1949年に岡山商業と岡山産業が合併したときに、岡山東高校という名称になったから。 >>346
原は選抜出場投手のなかで防御率ナンバーワンだったが、なんと0.25だったことが記憶にある。
崇徳には秋は0-3、春は5安打に抑えたが0-1と連敗。
76年は選抜だけ純白のユニフォームだったような。 >>353
アホ 名将向井監督に失礼すぎる
岡本など土居、腹、寒川ら好投手を擁しながら1勝しかできず、ミラクル石岡世代で4つ勝てただけの無能 向井さんの不肖の弟子 >>359
同意。岡山東といえば向井監督だろう。
倉敷工業の小沢監督と岡山の黄金時代を築いた人。 最近は、倉敷地区の好選手は、倉敷工じゃなくて倉敷商に流れているのか。 >>346
崇徳黒田が相手だから打てなくても仕方ない
むしろ選手権で市神港の中村に再三チャンスを作りながら完封された打線の勝負弱さが駄目だった
原邦はピーキングの問題かもしれんが甲子園で結構打たれていながら最少失点で切り抜けたイメージがある >>358
白桃色の伝統のユニフォームを捨てるほど、前年夏の開幕戦敗退が相当堪えたらしいw >>351
原はプロには行かなかったが、85年の都市対抗で日本生命に補強され、決勝の東芝戦、4-3と逆転した直後の最終回一死満塁のピンチを内野ゴロ併殺に打ち取り胴上げ投手になった。
甲子園では選抜の二回戦の7回裏、小山の黒田に逆転三塁打を打たれた印象が強い。2ストライク1ボールから勝負を急ぎすぎた。 >>338
広島×2校、山口×2校で問題ある?
無理くり感満載w 岡山といえば毎回ブラバンは桃太郎ばかりだったな。
最近はあまり聞かないぞ >>366
昭和60年の岡山南は演奏していたね。
朝にテレビCMで
『桃尻さん 桃尻さん トットットイレにサンポール お尻の穴も見てますよ♪』(桃太郎の替え歌)
この強烈なCM見た一時間後くらい後に第一試合東海大甲府ー岡山南で岡山南が桃太郎を演奏していた >>367
この年の岡山南は前年の主軸が何人か残り強いと思われていたが、甲府に粉砕され大敗
翌春は小粒な打線と言われたが、初戦で優勝候補東邦に勝ち波に乗り4強 高校野球は流れが大切だな >>361
倉敷商といえば、甲子園には出られなかったが、星野仙一さんが4日亡くなったな。
星野がエースのとき、東中国決勝までは行ったらしいが。
とまれ、謹んでご冥福をお祈りします。 星野さんがエースで、1学年下の松岡さんが控え。
全セみたいだな。 「島と星間違えとんかぁ」で始まった闘将・星野の波乱の野球人生・・・あの時巨人が
星野仙一を指名しとったら闘将はどんな野球道を歩んでしょうねぇともあれ空の上では
水原さん川上さんと仲良くやってください。 合掌 まあ昔は
倉敷工の小沢野球
中京の杉浦野球
は甲子園をうならせたな。
その両校が対戦したセンバツの超打撃戦は忘れられない。 倉敷工と中京の超打撃戦は、ラジオで聴いていた。
倉敷工・神土選手がホームランを放ち、中京・千賀儀雄選手の三振でゲームセット。
「じんど」と「せんが」は、中学生の私の耳には、インパクト大でした! >>373
小沢監督曰く「あの中京戦を勝ったことで、監督を辞める決意をした。次の試合で勝とうが負けようが…」 倉敷工005 801 011-16
中 京101 450 310-15
確か、4回表で13-2になった時には勝負あったと思ってTV切って飯食いに行ったら以後大乱戦になっていた。小沢、杉浦両監督が次々伝令に指示を与えていた記憶がある。 >>376
その当時は教育テレビでのリレー中継がなかったから、0時前に中継が中断、
1時に再開したときは8回か9回で同点になってた。 >>376
流石センバツ大会、金属バット開幕戦だな
勝った小沢監督は試合後謝ってたな
大事な開幕戦を台無しにしてしまってと
後にもう一回センバツで当たった時は中京大中京が勝ってる 広島商業も松山商業も、もう出て来ないし商業工業高校の時代はとうの昔に終わってるな 兼光の肩痛がなかったら、一方的な馬鹿試合になるところでしたw
当時の中京は、千賀と安井の投手力が弱すぎ >>380
杉浦監督の継投ミスだったね
中京はこの頃から致命的な継投ミスを時折やらかすようになりました
78年夏の9回裏で4点追いつかれるとか
去年の選手権とか >>383
スレチかも知れないが、サンデーモーニングで、星野が助っ人で張本の隣に座ったことあったっけ?
記憶が無いんだが、ひょっとして水と油の関係だったのかも。 >>381
ショートの近沢まで投げ出したらオシマイw >>380
安井は本来は内野手で急造投手だったから責めるのは酷。
この試合、近沢が本塁打を含む6打点のタイ記録(のちに星稜松井に更新される)をマークしたな。 >>386
安井は急造投手ではないぞ 中学野球では名を知られた投手
中京に入学したときにすでに1歳上に金本、小山と甲子園で活躍した好投手がいたため打力を買われて野手転向しただけ
75年中京の新チームでは、マウンドから投げさせたら球速、コントロールともダントツだったのが捕手の岡田忠雄だったらしいが、投手経験の少なさから安井をエースにしたと聞いている 千賀も中学の優勝投手で期待されて入学したが、制球難で自滅することが多かった 72年の中京は、金本、小山の1年コンビでベスト8入りした好チームだったけど
ふたりはそれっきり出られなかったんですね。
バンビと同じパターンか >>390
74年春に出てるぞ。
金本はフォーム改造したが威力なく滝川打線捕まってしまった。
小山は野手に転向していた。
あのころの中京はしっかりした投手が育たなかったな。素材はいたんだろうが。 75年のセンバツ、阪神沿線のおっちゃんたちでネット裏が一番盛り上がってたのが
東海大相模−倉敷工だった。 開会式直後の中京-倉敷工業は三塁側アルプスで見た。中京レフト吉口がフェンスを恐れないガッツ溢れるプレーで開会式で大会歌を歌ってた神戸山手女子のお姉さんがキャーキャー騒いでたな。 >>392
報徳-高知、高知-東海大相模でしょう。
現場で見たから間違いないよ 374です。
皆さん、ディテールをよくご存知で、感心します。
忘れていた近沢選手のことを思い出させてくださり、感謝します。 倉敷工は、ユニフォームが綿製からニット製に変わった74年のセンバツから、ユニフォームのデザインを変更。
襟、袖口、ズボンに、ストライプを入れた。 >>396
崇徳もニットユニフォーム導入のタイミングで、黄色を配色したデザインに変えた。 >>396
その前はストライブのない白いユニフォームだった。
甲子園では68年春から72年春までそのユニフォームを使用したな。 >>390
金本は1年秋から不調に陥りエース剥奪
2年秋からエースに復帰したが調子は戻らずフォームを改造
選抜では滝川に打ち込まれKOされる醜態
小山は肩を痛め、2年から野手本職で投手は短いイニングのみ
滝川戦ではKOされた金本をリリーフし好投したが、その代償で故障
中京は中学野球で鳴らした好素材を毎年のように獲得しあがら70年の樋江井正臣投手以来、78年武藤投手まで悉く投手育成に失敗 >>398
それまでは、黒が基調なユニフォーム。
ユニフォーム変更以降、86年夏のみ黒で甲子園に出場した。 >>374
ありがとさんです。倉工ヲタです。
ショートの神土さんは今でも試合を観にきたりコーチしたりしてますよ。
でも中京戦でHR打ったのは野田さんと石原さんです。 そうそう、神土さんは9年前のセンバツの中京大中京戦、一塁側スタンドで
ユニフォーム姿でメモ帳に書き込んでるところがTVで映りました。
すっごく優しい人です。 倉敷商とか倉敷工はセンバツの21世紀枠候補の資格はないのかい
遠ざかっているだけではダメなのか?
最近全然甲子園出てない気がしてるんだけど......... 倉工は9年前に出てるし、倉敷商はもっと出てるから無理ですね。 岡山県で長く出ていない公立は・・
21年前がラストの岡山南と、44年前がラストの玉島商ですね。 >>401
ご指摘、ありがとうございます。
神土選手と野田選手とを混同してました。 >>391、>>394、>>399
失礼しました。
ありがとうございました。 >>378
確か倉敷工は67年の夏?だかにも中京と対戦してるんだよな。
9回1打サヨナラのピンチで、小沢監督の「高めに投げな」という岡山弁の指示を投手が勘違いしたのが原因で敗戦したのだとか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています