50歳以上のおっさんが高校野球を語る
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>>226
静岡商の新浦、鉾田一の戸田、享栄の小林と近藤、広陵の宇根
あと、サブマリンが多かった
興国の丸山、江津工の三沢、上尾の仁村、玉島商の松枝 今朝、突然思い出した選手。
昭和49・50年のセンバツに連続出場した、報徳学園の三砂三塁手。
右投左打で強肩。
50年は主将でトップバッター。続く二番は天王寺谷左翼手で、インパクトの強い苗字が並ぶ一二番でした。 三砂は75年のキャプテンだっけ?
74年のキャプテンは渋谷渉だった。 >>226
サウスポーといえば、78年春の記念大会に出た村野工・千田を今も憶えてる。
オーバーースローだったりサイドだったり、時にはアンダーだったり。
でも普通にサウスポーのアンダースローって記憶が無いんだよね。
誰かいたっけ? 山形からの野球留学の渋谷3兄弟ですね長男&次男は平安で中軸打者、特に長男の通は
一本足打法で王二世と騒がれたの覚えてます。
三男の渉だけが報徳へ進学しセンバツ優勝を経験あの頃は地方から都会(というか関西)
の強豪校を目指して進学するホントの野球留学でした。 >>234
地方から都会で腕試し。
渋谷渉は報徳〜明大〜日本生命で活躍。
現役引退後は指導者として日生第二で夏の甲子園に2度出場。
報徳時代は東洋大姫路に阻まれて夏の甲子園には縁がなかった。 間違えた、日生第二では春夏一度ずつの甲子園でした。
89年春と00年夏に。 >>234
渋谷兄弟の入学した当時は山形からの甲子園出場は至難の技だったからな 選抜は東北から1校か2校、夏は記念大会を除くと秋田県との決定戦が控えていた 1960年代の東北最強県の秋田に山形は勝てなかった 岐阜短大付属(現、岐阜第一)の湯口敏彦
湯口事件が有名
国民が一斉にアンチ巨人に傾く出来事
当時巨人監督の川上哲治のひとでなし発言が発端で、その年のドラフト指名の4人が入団拒否
川上はその時、長嶋茂雄に引退をさせ監督にと迫るが断られる
巨人は9連覇で終わる
死去した時、川上が国民栄誉賞を受賞できなかったのは、戦時中の部下に対する扱いと湯口事件の発言の所為 「巨人こそ大被害を受けましたよ。大金を投じ年月をかけて愛情を注いだ選手なんですから。せめてもの救いは、女性を乗せての交通事故でなかった事です」
これは言うべきじゃないよな 川上自体は湯口の事件にノータッチだったらしいけど >>234
三男の渉が平安に行かなかったのは、ちょうど平安が部長の飲酒運転で出場停止処分をくらっていたからだと思うが、報徳に進んだおかげで兄も経験できなかった甲子園優勝も味わえたのだからよかったかな。
平安とは春の準決勝で対戦したな。 その年のドラフト指名の4人が入団拒否
ドラフト1位の小林秀一(愛知学院大)は指導者になる夢があったためプロ入り拒否
ドラフト3位の中村裕二(住友金属)は監督の松永怜一が将来の監督にするため慰留したためのプロ入り拒否
残りの2人の拒否は湯口事件も影響していた 湯口は病院側の医療ミスで死んだと思われるが、その前に病院側がダメだと言っているにもかかわらず、無理やり現場復帰させた巨人側の所為だ >>225
球団代表とは、居郷肇は大したものだな。
甲子園では投手をしていた、横手投げだったか。74年春はベスト8、イレブン池田に延長戦で惜敗。
法政に進んで78年春のリーグ戦で六大学史上初のサイクルヒットを記録したのが思い出される。 >>227
解説者では光沢ツヨシが好きだった
その後、残念なことになったが・・ 光沢さんは三協精機の監督としても桐蔭学園出身の大塚を擁して当時甲子園球場で行われ
た第一回社会人野球選手権に優勝・・・長野県のアマ野球の発展につくしてもらいたかっ
たんですが残念ですねぇw wikiを見ると、光沢さんは「たけし」となってるけど、「つよし」から改名したんでしたっけ? もう一人の小さな大投手、、、田村氏もなんか似た話の記憶あるわ。 磐城の田村が桐蔭学園の峰尾に決勝三塁打を打たれたのを見たのが、幼い頃の強烈な思い出です。
今と比較すると、1点の重みが全然違いましたネ!
春のセンバツの旧大会歌が懐かしい。
大会前に大会のCMにワクワクしたなぁ。
現在の大会歌も悪くないがオッチャンは旧大会歌が良かったな。 むかしのセンバツは3月にサンデー毎日の増刊がでるまで情報が少なかったから想像の
翼を広げて楽しかったが今は逆に情報量が多過ぎでかえってつまらない 昔のサンデー毎日は取材をきちんとしていて戦力分析も鋭かった。
サイズがおおきくなったあたりから記事の量が減り、内容も読みごたえがなくなった感が否めない。自分は96年を最後に購入していない。
あと、組合せが決まった翌日の毎日の紙面にベスト4を予想する大会展望も読みごたえがあったが、あれは93年が最後かな。
この年のベスト4に予想した東山、崇徳、横浜、大府がすべて初戦敗退に終わったのが影響したか。
ただこの4校を破った国士舘、大宮東、上宮、駒大岩見沢がベスト4を占めたのだから実力は紙一重だったんだけどね。 選抜出場校の予想も、毎日新聞で見る
「秋の各地区大会の結果」と、「選考会1週間くらい前に載る予想記事」が拠りどころでした。
毎日新聞は、組み合わせ翌日に「決勝までの勝ち上がり予想」まで載せてましたね。 昔のセンバツ大会は、大会直前に練習試合が出来なかったから、
試合勘をいかに早く取り戻せるかどうかもポイントだったよね。
大会前の練習試合が解禁されたのは96年からだったかな? 選抜前練習試合禁止と言っても、合同練習という名目で試合形式でやってた学校があった
正直者が馬鹿をみる不公平なルールだった >>260
72年「日大桜丘は仲根投手が調子を上げているので日大三との東京同士の決勝も期待できる」
75年「高知と東海大相模がシードされたかのように両端を引いた」
76年「崇徳と小山が双璧」
予想が当たった年もあった。 >>254
新聞社の名前が大会歌に出るとマズイかな、ラー毎日ラー大会、ラーラーラーの締めが良くなかった。 作詞は大阪毎日学芸部長の薄田泣菫
軍靴の足音高まる昭和9年の制定で、二番の歌詞
「戦塵あがる 春なかば 選士らよ 雄々しかれ」
のくだりも時代にそぐわなくなったんでしょう
力強さの夏に対し、華やかな春を70年代は今よりもっと強調していましたね >>268
作曲も陸軍戸山学校音楽隊ですから、、
yutubeにもオリジナルなど残っていないのが残念 >>263
81年だったか、北海道の東海大四が選抜前に兄弟校の静岡の東海大工でキャンプを張ろうとしたら高野連に止められたな。高校生でなんでそこまでやるのかって。
でもいまは当たり前のようにやっているな、ホント授業きちんと受けているのかな。 選抜の大会歌が変わる時の、毎日新聞の記事には、時代にそぐわない点があり、みたいなことを書いていた記憶がある。軍が関係しているから、って初めて知ったです。昔の大会歌のインストに十川ゴムのCMが選抜の味を出していたのに。 1975春 広島工 小林誠二(広島_西武_広島)に投げ勝った
福井商のアンダーハンド投手 かっこよかった記憶が微かに 前側ね。
下手投げでは大会ナンバーワンだった。
右膝が地面につくほど重心の低いフォームから力強い球をほおっていた。
相当下半身が強かっただろう、いまあんな投手いないな。
高知の松生に長打されてワンチャンスで高知に逆転を許したのが惜しまれた。
夏は予選決勝で三国に逆転サヨナラ負けで出場できなかった。 75年春といえば、悲劇の門司工(現:豊国学園)の印象があまりに強い。
開会式の日の朝に出場辞退なんて、あんまりだと思ったな。
野球部と関係ない生徒の婦女暴行事件が起きたばっかりに・・・orz >>275
突然の参加になった補欠の佐世保工業も気の毒だった。開会式当日に参加決定、数日後に当時強かった静岡商と初戦、確か投手は怪我かフォーム改造中だったような気がした。 監督から「選抜に行きたいか?」って聞かれて「行きたいですぅ!!」って言ったわけやから気の毒とは違う気がする。 無関係の生徒の不祥事による門司工の出場辞退は佐伯会長時代の黒歴史だろうと思うが、野球部関係者が不祥事を起こしてもヌケヌケと甲子園へ出ている現在、もう少し厳しい指導があるべきだとは思う 同じですもしも佐伯天皇が生きかえったら高校野球の現状を見て何と思うでしょうねぇ 当時のセンバツは野球部を選ぶんじゃなくて、学校自体を選ぶから学校に不祥事が起きれば辞退になった >>282
センバツ大会に出場する学校を選考するに当たって「学校の品位」って項目があったんだよね。
いつの年だったか、沖縄水産が当落線上スレスレだったときに、栽監督が地元新聞社の広告に
登場して何かのアピール?をしたことが仇になって、九州地区から選出されず補欠校にも
選ばれなかったことがあったんだよね。 >>280
同意。関係者どころか不祥事起こした当の本人が出場していることもある。これはいくらなんでもおかしいと思う。
佐伯天皇時代は厳しすぎ、いまはゆるすぎなんだよな。 >>284
その基準が大きく変わったのが、86年夏の全国大会期間中に発覚した愛知の享栄高校の事件。
写真雑誌エンマに、享栄高校野球部員二人が喫煙してる場面が大きく掲載されて大騒ぎになった。
享栄高校はこの事件が発覚した日は3回戦に勝ち進んでいたが、この事件発覚で出場辞退、
不戦敗になることは絶対確実と思われた。
だが大会本部と高野連は喫煙した部員二人をベンチから外し、補充を入れないという、お茶を濁した
措置で享栄高校の3回戦出場を認めちゃったんだよね。
こうなるともう歯止めは利かなくなった。
あのとき享栄は出場停止、不戦敗にしておけば、今みたいなことはなかったと思う。 >>287
ある意味、常識で測れない人だったからこそ高校野球不毛の地沖縄の高校野球のレベルを上げたんだが >>285
佐伯天皇が健在だったら、86年の享栄は間違いなく出場停止、不戦敗だっただろう。
そのあとの2002年春試合中にスパイ行為をした福岡大城東(この学校は92年春の開幕前にも不祥事で出る出ないで騒いだっけ)、最近では桐生第一、作新学院、広島工、伊勢工など大会前に不祥事起こした学校も出場停止になったかもしれないな。それにしても最近は多いな。
2005年夏の明徳は当然出場停止だが、明徳といえば92年夏の敬遠事件のとき佐伯天皇だったらどんな処分を下しただろうな。ほかにも85年春のピンクスキャンダルなど一連の不祥事で明徳は除名処分になっていると思うが。 >>279
行きたくない選手などいないはず
準備なく2ー3日で試合では実力発揮できるわけない。 出場停止回数の記録は高知商業6回浪商5回だっけか、知らないが平安、中京(勿論愛知の)も多そうな気がする。 佐世保工は、「補欠校」として選抜されていたわけで、心構えも、選出校と紙一重の実力も持っていたんでしょうね。
急遽出場が決まった翌々日、大石、久保寺率いる静岡商を向こうに回し、立派な戦いぶりでした。 佐世保工は前年夏甲子園に出場していたし、新チームでも九州大会ベスト4。
「福岡枠」で九州大会初戦敗退の柳川商に最後のイスを奪われて補欠校になってしまっていたが、相当の力があったのは間違いない。
投手は大廻だっけ?夏に向けてフォーム改造中だったと思う。
試合前日には特例として甲子園球場前でカンパを募っていた。 当時の九州高野連は小倉OBが牛耳っていて「福岡枠」という不合理な選考が散見された
佐世保工は二度も犠牲になっている
75年に九州大会初戦負けの柳川商が選ばれて4強の佐世保工が落選
78年に九州大会初戦負けの小倉が選ばれて4強の佐世保工が落選 佐伯天皇時代って鶴の一声で地区の枠数が変わったよな
「北陸の高校にも夢を与えたい」とか言って
当時、選抜の北信越は枠1なのに、東海の枠を減らして2枠に増えた
まあ、その年だけの措置だったが、こんなの個人の意見で枠が変わるて
今じゃ考えられんよな 良くわからんのだが、昔からセンバツは近畿優先な大会だよね。昔、おっちゃんに聞いたら主催の毎日新聞社が関西にあるからだと聞いた事があるんだけど? >>295
沖縄特別枠も佐伯天皇の鶴の一声だし。
あと、72年の選考会前に不祥事があったことを理由に天理の選出は見合わせろと命令したとか。 >>296
関西出身だが本当に昔から近畿偏重だな。今年も地方大会で1勝止まりの彦根東や智弁学園と初戦敗退の兵庫勢の選抜争いの話題は本当に他の地方に失礼な話だと思います。 >>298
いや違う、みんな間違ってる
一番優遇されてるのは確率的にみて四国
昔も今もそう 佐伯天皇なら今回の仙台育英の不祥事に対してどのような体裁を下しただろうか? 2013年に起こした不祥事で1年間の対外試合禁止を課すから、監督も引責辞任、立て直しに時間がかかると見る 時々、夢に昔の名選手・名場面が出てくることがあります。
昨晩は、玉川寿選手(土佐高校)のサイクルヒット達成(対 桂高校戦)場面でした。
最初の打席は凡退でしたが、第二打席以降、本塁打・三塁打・二塁打の順に快打を放ち、一塁強襲の速い打球で記録達成したことを思い出しました。
昭和50年の夏、今から43年も前になるのですネ! 玉川もことし還暦なんだな。
打たれた桂の投手は下手投げの今泉だった。 やっぱ全国制覇した事がない県のオールドファンからすると何十年前でも一番優勝に手の届く処まで行ったチームを思い出すんだろうね。 福島の磐城
新潟の日本文理
青森の三沢
宮城の仙台育英
みんな、もう一歩だったな。 岡山は決勝進出は一度きり(夏)だがボロ負けだったので
それより準決で惜敗した68年、69年、71年のほうが良い思い出 >>26
最近まで東海大相模の部長だった田倉氏だね
大阪の舞洲で毎年やってる大阪桐蔭との練習試合見に行ったことあるんだけど、田倉部長、審判に怒鳴り散らしてたよ
選手殴って出場辞退したこと何も懲りてないんじゃないかと思ったな 298や299が勘違いしているようだ。
箱根のドータラ駅伝が関東の大学しか出場できないように、
選抜はそもそもが瀬戸内や関西プラス名古屋圏の学校の大会。
化外の学校が参加できるだけでも有り難く思え。
場合によっては、下品な九州や東北の学校は招待しなくてよい。 >>310
78年夏の岡山東商って話題にならない?
当時の岡山東商はどういうわけか開幕戦を引き当てることが多く、早々と散っていったが
78年夏のチームは違った。
アンダーハンド藪井は制球力が抜群に良かったし、武乗、綾野、石岡のクリーンアップは
強力で、2回戦でセンバツ準優勝の福井商に逆転サヨナラ勝ちした試合は鳥肌ものだった。
準々決勝の豊見城戦でも終盤に劣勢を一気に追いついたし。
確か福井商相手に逆転サヨナラスリーベースの石岡って木製バットだったような気が。 >>310
岡山は平松の岡山東商が選抜優勝してるけど、やっぱ県民としては夏の優勝が欲しいのかな。
吉田、ライトの2枚看板だった71年の岡山東商は確かに惜しかったな。桐蔭学園の大塚から得点したのもここだけだったよね。 68年倉敷工業、69年玉島商業、71年岡山東商業と四年間で三回もベスト4。68年は春も倉敷工業がベスト4と岡山はまさに黄金時代。
それが73年春から岡山東商業が一点差で負けてばかり(78年春までなんと8試合連続一点差試合、その間1勝7敗)、倉敷工業も小沢監督が引退して陰りが見えかけた中での78年夏のベスト4には驚いた。しかしそれが最後の輝きとなろうとは。 >>306
宮城はダルビッシュ在籍時の東北が優勝に最も近かった感もあるな。
仙台育英野球部が募集停止したことで好選手が集中してたし、04年選抜はもしダルが万全なら…と思わせてしまうような結果だった。
他には09年選抜の花巻東、ベスト4止まりだったが87、90年選抜の東海大甲府を加えても良いかも。 桐蔭学園の大塚が、最も苦しかった試合は岡山東商戦だと言ってたね。
NHKの甲子園録音集の中で。 岡山は、平松・松岡・森安が同学年、一つ上に星野。
岡山東商が優勝したのもうなづける。 >>316
東海大甲府は85年夏のチームも力強かったな。
準決勝で当時新記録の、1大会4ホーマー目を藤井に喰らって宇部商に負けたけど、
その前の準々決勝、関東一戦9回表の大逆転は印象に残る。 >>313
岡山東は78年より71年のほうが強かった印象なのでね
78年はミラクルな逆転勝ちの好チームだが 75年夏の開幕戦で日南に負けた試合はガッカリだったな。優勝候補とも言われてたのに >>322
75年の日南っていうと、あの機動力野球の広島商相手に1試合で二度もライトゴロを完成させた
強肩強打の超高校級外野手がいたね。 >>313
78年の岡山東知ってるなら遊撃で1番打ってた山口?だったか覚えてる?
甲子園では不調だったけど、あの年の岡山東を引っ張ってたのは間違いなく彼だったよ。
南陽工業の中堅手の田崎?田坂?と二人、あの俊足好打は特筆ものだったんだよなあ。 >>324
山口は二塁、山口橋本の二遊間は鉄壁だった
南陽工のトップバッター田坂はセンバツ福井商戦でポテンヒットで二塁まで行ったな
確かあの回の南陽工は4連打しながら牽制球で一塁ランナーが刺され1点どまりだった >>321
71岡山東商は、ショート岡義明の守備が際立っていた。
しかし、本来1番の岡が、3番を打たざるをえない打線は厳しい。 恒例の座談会で岡山勢が優勝候補と言われたのは、75年の岡山東商のみ。
ほかに、68年の準々決勝の組み合わせ抽選後、倉敷工−広陵が事実上の決勝と言われ
勝った倉敷工が一番優勝に近いと思われた。
これ以外に「候補」と期待されたことはないのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています