平田監督が決して野球技術を教える「ノウハウ」がないわけではない。
実質、藤平や増田を育てたのは部長時代から関わっていた平田監督だ。
二人をプロに送り込んだのだから育成能力は高い。
また、平田監督が横浜のコーチになったのは2006年。
それから将来の監督候補として、小倉元部長からみっちり帝王学を学んだ。
「教えるノウハウ」はしっかり小倉元部長から伝授されている。

しかし横高を取り巻く状況は大きく変化し、横高野球も大きな変化が必要だった。
渡辺・小倉体制の晩年は甲子園に行ってもなかなか勝てなくなった。
鉄壁で緻密な横高野球が徹底されず、横高らしからぬ凡ミスが目立つようになった。
そして指導者の高齢化と退任という横高野球の岐路に立たされていたのも事実。
また、昔と違って今の若者の野球に取り組む姿勢と意識状況が大きく変化してしまった。
横高の厳しい練習噛み合わず、鉄壁で緻密な野球が徹底できない一要因にもなっている。
今の高校野球が置かれている社会的な状況と変化(怒鳴る・しごき等の厳しい目)
にも対応しなければならなかった。

様々な変化に対応できず、伝統的な横高野球の行き詰り、時代に合わなくなってきた。
指導者の世代交代というこのタイミングで横高野球の大きく改革した理由はそこにある。
今までと同じことをやっても尻すぼみして消えていく運命だった。
平田アンチは表面的で結果的なことしか見えない。