1981年の秋の近畿大会は全府県3校の18校が出場していた。

大会が終わり年が明け、センバツの選考会が開かれた。

選考会史上最も難航した年と言われている。

Best8に進出した滋賀県2位の比叡山と、3位の瀬田工業の間で激しく争われ、
決め手が全くなくて困った高野連が、
何と練習試合の直接対決2勝1敗との理由で5番目に瀬田工業を選んだ。
後にも先にもこんな決め方はないだろうね!
比叡山の日下部監督が嫌われていた所為もある。

更に続きがあって、
初戦で比叡山に延長18回引き分け再試合の後に敗れた、兵庫1位の三田学園が補欠の1位となり比叡山は補欠の2位にも入ることがなかった。
当時は近畿は7校選出だったので
比叡山は10位以下とゆうことになる。
5位争いが10位以下だ!
この大会は初戦で兵庫が全滅で
何とか兵庫枠をと高野連が頑張ったが補欠1位にするのがやっとだった。
兵庫県がセンバツに出られなかったのはこの時が初めて。

大津2校選出は夢と消えたが、果たして彦根2校は選んでくれるのだろうか?
嫌われていた日下部監督と評判の良い村中監督の違いはあるだろうけどね。

更に更に続きがあって、
次の年からは近畿大会の出場を大阪・兵庫以外は2校出場に戻した。
14校にした方が1回戦負けからも選びやすいからね。

昔の選考員なら彦根東よりも
先着に明石商業!
だろうね。

果たして5校目に彦根東を選んでくれるかな?

このことを知っている選考員なら5番目に彦根東を選ぶだろう!!!

眠っ

おやすみ